ひだまりで踊る
『で、その時デンジがさ〜』
「うんうん」
シティホテルの一室が、ふたり分の笑い声で満たされている。わたしの声と、オーバくんの声だ。
どちらかというと、口数が多くて賑やかなオーバくんの笑い声のほうがよく響いて、わたしは聞き役だけれど、わたしにとってはそれが心地よかった。わたし自身がよく喋る方ではないからということもあるけれど、オーバくんの溌剌とした声と太陽のような笑顔はわたしに元気と勇気をくれるから。
ふと、パソコンのモニターの画面いっぱいに映っているオーバくんが首を傾げた。
『エイル。こんな時間まで話してて大丈夫か?明日はカントー公演の千秋楽だろ?』
「うん。大丈夫。オーバくんの声と笑顔はわたしの元気の源だから、舞台に立つ前にお話してると緊張が和らいでいい演技ができるんだ」
『お、おう。そっか!へへ、エイルは相変わらずストレートに嬉しいことを言ってくれるよな』
オーバくんは微かに染まった頬をかきながら笑った。
正直なところ、こんなことを言ったら喜んでくれるかな、って意識して言っているつもりはなかった。オーバくんの笑顔を見て話をしていると、好きという気持ちが溢れ出て垂れ流しの状態になってしまうから、そのまま言葉になってしまうんだ。
『でも、明日も早いんだしもうそろそろ休んだらどうだ?電話ならまた明日の夜にもかけるからさ』
「いいの?」
『もちろん!なんて言ったって、明日はエイルの誕生日だからな!遠恋中で直接祝ってやれねぇけど、おめでとうってちゃんと言いたいからさ』
「……うん。ありがと、オーバくん。じゃあ、そろそろ休むね」
『ああ。おやすみ、エイル』
「おやすみなさい、オーバくん」
『……』
「……」
『いや、切れよ!』
「ふふ、オーバくんこそ」
『画面いっぱいに愛しい彼女が映ってるのに、俺からは切れねぇよ〜』
「ふふっ。じゃあ、せーので切ろう?」
『う、わかった。フェイントなしだぞ?同時だからな?』
「わかってるって。じゃあ、いくよ?」
『おう、せーの』
「オーバくん、好きだよ」
プツリ。暗くなったモニターに、にやけ顔のわたしが映っている。通話を切る直前のオーバくんの、してやられたようなあの顔……ふふ。
「……だいすき」
オーバくんのことが好きな気持ちは、彼がいないときでも変わらない。その気持ちはわたしの全身から溢れ出て、受け止めてくれる相手がそこに居なくても言葉として昇華される。
明日は時間を気にせずもっとたくさんお話しよう。そう思いながら眠りにつく瞬間は、少しだけ寂しいけれど、でもとても、愛しい空白だった。
* * *
いよいよ、千秋楽だ。最後だからといって気を抜かずに、むしろ最後だからこそ集中力を研ぎ澄ませて、最後の最後まで歌って、踊って、演じきる。
衣装をまとって、ヘアメイクを済ませて、お守り代わりにいつも付けている翼のチョーカーを最後に外したら、わたしはわたしであって、わたしではなくなる。役の中に入りきって、もしくは役に体を貸すように、ポケモンとともに舞台の上で表現するミュージカル女優になる。
「行こっ!ビビヨン!」
ゆっくりと幕が上がっていく。今回のパートナーのビビヨンと一緒に舞台へと飛び出すと、眩いスポットライトがわたしたちを照らす。
そのとき、客席の中に一際目立つ、燃えるような赤を見た。
「……!」
思わず声を上げてしまいそうになったけれど、プロとしてのわたしがそれを許さなかった。ステップを踏んで、歌を歌って、その間も頭の中は赤でいっぱいだった。
オーバくんだ。オーバくんが、カントーの、このミュージカルホールにいる。
もしかしたら、昨日通話したときにはもうカントーに来ていたのかもしれない。いつもよりも画面が近いなと思いながら話していたけれど、ホテルに泊まっていたことを誤魔化すためだったのかもしれない。
舞台の千秋楽に、わたしの誕生日に、わざわざこんなに遠くまで、サプライズで舞台を見に、会いに来てくれるなんて。
──敵わないなぁ、本当に。
嬉しさに浸るのはここまで。気持ちを切り替えて、目の前の舞台に集中する。ミスなんてしたら、見に来てくれたオーバくんにも申し訳ないもんね。
最高の誕生日をくれたお礼に、わたしは最高の舞台を届けよう。それがきっと、わたしができる最高の、オーバくんのためだけのお返しになるのだから。
2021.07.14