7-6.君の背中には翼がある


 射し込んでくる朝日が眩しくて目をうっすらと開けたときに、両腕に抱いて寝たはずの温もりがなくなっていることに気付き、飛び起きた。同時に、ガチャリ、と少し離れたところでドアが開く音がした。
 髪をタオルでポンポンと包むようにはたきながら、バスルームから現れたエイルと目が合った。

「あ。おはよー」
「っ、エイル」

 人の気も知らないで、へらっと笑いやがってこのやろう。ベッドから飛び降りて力任せに抱き締めた。むぎゅ、と間抜けな声が聞こえたが、知らん。

「あー、もう。心臓に悪い……」
「どうしたの?」
「いなくなったと思っただろ」
「シャワー浴びて着替えてただけだよ?」
「そうだろうけども……」
「眠いならまだ寝てていいよ?」
「いや、起きる。俺もシャワー浴びて来る……ふわぁ」

 そう言った直後に、大きな欠伸をひとつ。エイルはおかしそうにクスクス笑った。

「無理しなくて良いのに。朝方までたーくさんイチャイチャしたもんね?」
「っ! おま、そういうとこほんと変わってないな!」

 こっちが赤面するするようなことも平気で口にするものだから、心配になるというか心臓に悪いというか。でも、この小悪魔っぷりも好きだったりするんだよな。
 シャワーを終えて部屋に戻ると、窓際に設置された小さなテーブルの上に、サンドイッチやコーヒーなどの軽食が用意されていた。どうやら、俺がシャワーを浴びている間にエイルがルームサービスを頼んでくれていたようだ。
 食事を挟んで向き合って座り、いただきますとサンドイッチを頬張る。うん。シティホテルのルームサービスにしては美味い気がする。
 ふとエイルを見ると、ホットコーヒーを飲んでいた。それ以外にエイルの前には何も置かれていない。

「エイルはそれだけか?」
「うん」
「朝は食べない派だったっけ?」
「ううん。そういう訳じゃないけど……なんだか幸せで胸が一杯なんだ」
「なんだそりゃ」

 こうやって自分の気持ちを素直に表現してくれるところも、ほんと、好きだなぁ。だいっすき、なんだよなぁ。

「実は今日からシンオウに行くんだ」
「え!? シンオウに!?」
「うん。数は少ないけどシンオウで公演が始まるの」
「え、嘘、マジ? 俺も見たい!」
「ダメだよ! オーバくんはイッシュ地方を旅して成長するためにここへ来たんでしょ? ちゃんと旅を終わらせて帰らなくちゃ」
「そうなんだけどさー……あーマジかタイミング悪……」
「ふふっ。今度シンオウで公演があるときは一番良い席を用意しててあげるから元気出して? ね?」

 よしよし、と頭を撫でられる。あ、嬉しい。俺ってつくづく単純な男だなと思う。

「でも、昨日ホウエンから帰ってきて今日また出発なんて、本当に忙しいんだな。フキヨセの実家には帰らなくてよかったのか?」
「もちろん、帰る予定だったよ? でも、ライモンにきみがいるって言うから、逢えると思ったらいても立ってもいられなくて……本当に逢えるなんて思わなかったし、また抱き締めて、キスしてもらえるなんて夢みたいだったけどね」

 コトリ、とホットコーヒーが入ったカップを置いて、エイルは俺を真っ直ぐに見つめてきた。

「わたし達がまたこうして一緒になれたのって、何て言えばいいんだろうね。奇跡、かな? それとも、運命?」
「奇跡だとしても運命だとしても、どれも必然のうち……なんてな。少なくとも俺はそう思ってる」
「必然、かぁ。うん。その方がわたしも好き。なんだか運命よりも確かな気がする」
「だろ?」

 出逢ったことも、想い合ったことも、衝突したことも、別れの道を選んだことも、再会したことも、二人の想いが変わらなかったのも、きっと必然だ、と。そう思えたら、空白だった時間すら意味のあることのように思える。俺たちには必要な時間だったのだと、受け入れられる。
 二人で迎えた朝が、全てを物語っている。再び、離れた日が続くことになるとしても、俺達はまた同じ朝を迎えられるのだろう。

 朝食とチェックアウトを済ませ、ホテルの外に出ると、太陽はそこそこ高い位置に昇っていた。エイルがシンオウへ向かう便は夕方らしいが、まずはフキヨセまで飛ばなければならない。リザードンが頑張って飛んでも、今から出発してちょうどいいくらいだという。
 いよいよ、別れの時間だ。名残惜しそうに振り向いたエイルが頭を垂れる。

「ね、いいこいいこして? お仕事頑張れるように」
「ん。へへっ。これも久しぶりだな」

 黒髪を数回撫でて、そのまま後頭部を引き寄せ、胸の中に閉じ込めてキスをした。エイルが少し顔を上げて、俺が少し顔を傾けるくらいでキス出来るこのくらいの身長差が、俺は好きだったりする。それに、手を繋いで並んで歩くにもちょうどいいのだ。

「あのね、オーバくん」
「ん?」

 少しだけ、エイルから緊張したような空気が伝わってきた。俺の両手をギュッと握り、視線はそこに落としたままだ。

「わたし、幼い頃からの夢を叶えられて、今は仕事が何より大事で、連絡が疎かになったりするかもしれないけど」
「うん。大丈夫。ちゃんとわかってるよ。だから安心して、世界中飛び回ってこい」
「……ありがとう」

 言葉を間違わないようにと考えながら話そうとしているのか、口調はいつもよりもゆっくりだったが、そんなことは心配しなくても良いのに。
 エイルの現状が、彼女にとってどのようなものか、俺は十分に理解しているつもりだ。忙しい毎日でも、幼い頃からの夢を叶えられた今、充実した幸せな日々をエイルは送っているし、それが続くことを望んでいるのだろう。
 だから、滅多に逢えなくても連絡が途切れがちになっても、俺には耐えられる自信がある。そうでなければ、よりを戻そうなどと無責任なことを言ったりしない。エイルが幸せな日々を送り、その中で俺を想ってくれている。それだけ知っていれば、十分なのだ。
 そういう意味を込めて言ったつもりだったのだが、エイルはさらに俺の手を強く握り、さらに緊張しきった声色で言葉を紡ぐ。

「でもね、わたしも女だから……いつかは落ち着きたい……というか、幸せな家庭を築きたいっていう気持ちはあるんだ」
「うん?」
「そのためには、仕事をセーブしないといけないときが来ると思う……完全に辞めるとかは考えてないけど、活動を縮小するというか……将来的に、今の事務所のシンオウ支社が出来る予定だから、拠点をシンオウに移して、ポケモン達と一緒に細々と歌ったり踊ったり演じたりしていきたいなって……だから……」
「ちょっと待った!」

 エイルの言わんとしていることをようやく理解して、慌てて制した。
 だって、格好悪いだろう? 最初に付き合うときの告白も、再会してからよりを戻すきっかけの言葉もエイルからくれたのに、プロポーズになる得る言葉まで言わせるなんて、男として情けないだろ?
 エイルの肩がビクリと揺れて、不安そうに俺を見上げてくる。違う、エイルの言葉を拒絶しようとしている訳じゃないんだ。

「オーバくん」
「ああ、違う違う。そんな不安そうな顔をしないでくれ。違うから」
「?」
「その先は俺が言いたい。だから、その言葉の続きは今は言わないでくれ」
「……うん!」

 エイルの仕事が落ち着いて、俺も四天王として胸を張ってエイルを迎えに行けるようになったら、その続きは必ず俺が言おう。それまでどのくらいかかるかはわからないけれど、俺達の繋がりが必然であれば、遅かれ早かれ、きっと一緒になる未来が待っているはずだ。

「シンオウに着いたらまた連絡するね」
「ああ。待ってる」
「番号は変わってない?」
「もちろん」

 最後にもう一度だけキスを交わして、エイルはリザードンを呼び出し、その背に飛び乗った。
 今度はさようならではなくて、別の言葉で別れられる。

「またな!」
「またね!」

 蒼穹の中へ飛んでいくエイルの姿が見えなくなるまで手を振った。彼女自身が飛んでいるわけではないのに、その背にはどこまでも自由に飛んでいける白い翼が見えた気がした。



2019.11.5


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