7-5.もう一度デュエットを


 俺とエイルを乗せたゴンドラがゆっくりと上昇していく。小さく遠くなっていく地上の光を眺めるエイルの横顔は、四年前と何も変わっていなかった。
 ただ、見ていた看板と同じように、役作りなのかエイルは黒髪で、黒い薄手のニットと長い白パンツをはいて、首元にはスカーフを巻いている。全体的な雰囲気はだいぶ変わったというか、四年前よりもっときれいで大人っぽくなったな、と思う。
 ああ。これは、まともに見てたらダメなやつ。エイルに対して未練が残っているという事実を、嫌でも実感させられてしまう。

「わたしね」

 視線を窓の外から戻しながら、エイルが静かに話し出した。

「ポケモンミュージカルの公演で、今日ホウエンから帰ってきたばかりなんだ。帰ってきたらカミツレから連絡があって、元カレが……デンジくんがジム戦しに来たんだって言われて……その時に、オーバくんらしい人も一緒にいるって話してたから、文字通りフキヨセから飛んできちゃった。本当に逢えるなんて思わなかったよ」
「そうだったのか。や、それでも俺のことよく見つけられたよな。ライモンは人が多いし、イルミネーションの中とはいえ薄暗くてわかりにくかったろ」
「そうでもないよ? わたしのポケモン達はイーブイ以外みんな飛べるから、空から探してもらったんだ。オーバくんが髪型を変えてなくてよかった」
「あー。なるほどなー。赤いアフロは空からでも目立つかー。って、おい!」
「あははっ」
「まったく! でも、そっか。ポケモン達もみんな元気なんだな。イーブイはまだ進化させてないのか?」
「うん。きみはいろんな進化の可能性があるんだよ? って、話したことがあるんだけど、どうやら進化するならひこうタイプがいいみたいで、変わらずの石を持って放さないんだ」
「なるほどな。イーブイの進化系でひこうタイプって見つかってないもんな。いつか、イーブイが望む進化が出来たら良いよな」
「うん」

 ああ。エイルの笑い顔も、笑い声も、話し方も、仕草も、ちっとも変わってない。

「オーバくんも元気そうでよかった。それから、シンオウリーグの四天王になれたんだよね? おめでとう」
「エイルの方こそ、ポケモンミュージカル女優デビューおめでとう! CDやDVDも送ってくれてありがとうな!」
「ありがとう、はこっちの台詞だよ? きみが四天王になれたことを私が知ったのは、たまたまポケモン雑誌でシンオウ地方の特集が組まれていたのを見かけたからなんだ。下積み時代はもちろん大変だったけど、デビューして以降の辛かった時期も、その雑誌に載ってたきみのインタビュー記事や、きみの笑顔を思い出して頑張れた……だから、ありがとう」

 そう言って穏やかに笑う姿を見て、ああやっぱり好きだな、と思った。抱き締めたくなる体を自制することに必死になる。
 エイルと再会出来たことは心の底から嬉しい。でも、これ以上一緒にいてしまったら、俺は言わなくて良いことまで口にしてしまうだろう。エイルを迷わせるようなことはしたくない。観覧車を降りたら、すぐにポケモンセンターへ帰ろう。

「あの時のこと、ごめんね?」
「ん? なにが?」

 俺の葛藤とは裏腹に、話を切り出してきたのはエイルのほうからだった。とぼけて見せたが、エイルがいうあの時なんて、謝られる理由なんて、ひとつしか思い浮かばない。

「ポケモンミュージカル女優になるためにイッシュに帰ることを決めたあの時、本当はわたしから別れを切り出さなきゃいけなかったのに……わたしにその勇気がなかったから、結果的にオーバくんに言わせる形になってしまった……唯一、それだけはずっと後悔していたの。だから、ごめんなさい」
「いやいや! あの時は俺も旅をするって決めてたし、俺達が夢を叶えるにはそうするのが良いと思ったから言っただけであって、単に俺の我が儘だったんだ! エイルが気にすることは何もないんだって!」

 どうやら、エイルには俺の心中はお見通しだったらしい。それでも、俺は否定を続けた。でも、動揺して声も挙動も大きくなってしまったから、きっとエイルにはわかってるんだろうな。
エイルは微かに笑ったあと、言葉に詰まったように視線を落とした。指先をじっと見て、何か考え込んでいるようだ。
 もうすぐゴンドラが最高点に辿り着く。地上から離れたここでは遊園地内のBGMすら聞こえない。沈黙が降り注ぐ中、いつもの俺だったら次々に話題を出していたと思う。
 でも、エイルが何かを言いたそうに、でもそれを躊躇っているような、そんな葛藤が伝わってきたから、俺はその沈黙を受け入れていた。

「……こんなことを、わたしが言う権利はないのかもしれない。また、オーバくんを傷つけることになるかもしれない。でも、もうわたしは後悔したくないって思ったから……」

 エイルのネイルに彩られた震える指先が、首元のスカーフの端を掴み、それをするりと解いた。その下から出てきたものを見て、ああ、俺はやっぱり夢を見ているんじゃないかと思ってしまった。
 スカーフの下にエイルが身に付けていたのは、四年前にエイルと別れたとき、俺がプレゼントしていたチョーカーだった。二人が迎える初めてのクリスマスプレゼントに、と買っておいたそれも、出番がなくなりそうだったから、あのとき何でもないように渡したんだったっけ。
 元カレからのアクセサリーのプレゼントなんて、受け取ってもらってもつけてもらえなくて当然だし、捨てられていても仕方ないなと思っていた。でも、今もこうして持っていて、しかも身に付けてもらっているなんて、それが意味することは、すなわち。
 期待から体が勝手に震えてしまう。喉がカラカラで言いたい言葉が出てこない。代わりに、エイルが言葉を、勇気を、絞り出すように、口を開いた。

「プレゼントしてくれたチョーカーも……スマホの暗証番号や待受画面も……わたしのきみへの気持ちも……あのときから……四年前から何一つ……変わってないよ……?」

 こんなことが、こんなに幸せなことがあっても、いいのだろうか?エイルの中で変わっていないものがまだ、他にもあったなんて。
 言葉よりも先に体が動く。身を乗り出したせいでゴンドラがガタリと揺れた。視覚だけじゃなく、体全てで実感した。ああ。抱き締めたこの温もりも、香りも、感触も、やっぱり何も変わっていないな、と。
 エイルの体が震えている。舞台に立つ仕事をしていて度胸はあるはずなのに、こんなに震えるまで緊張して、勇気を出して、必死に想いを伝えてくれたんだ。そう思うといとおしくて仕方がない。

「俺も同じだ。エイルのこと、この四年間忘れた日なんてなかった」
「オーバ、くん」
「だから、もう一回やり直そう。俺達。離れていても大丈夫だって証明できたんだ。今度は何があっても大丈夫だろ?」

 別れたあとの四年間。お互い夢を叶えて、忙しい毎日も送りながらも、二人の気持ちは変わっていなかった。だったら、きっと大丈夫。遠距離恋愛になるとしても、きっともう、俺達はもう迷ったりしない。
 エイルは目にたっぷりの涙を浮かべながら、とびきりの笑顔で大きく頷いてくれた。頬を流れた一筋の涙と、唇に口付けを落とす。四年ぶりに交わしたキスは、エイルの涙で少ししょっぱかった。
 どうやら、俺も今日はポケモンセンターに帰れそうにない。



2019.11.3


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