7-3.風の花


 風が花びらとその香りを運んでくる街――フキヨセシティ。イッシュに到着して初めて足をつける街が、まさかエイルの生まれ故郷になるとは思わなかった。
 エイルが話していた通り、シティとはついているがどちらかというと都会から離れた田舎、という印象を受ける。それは、飛行機を飛ばすための広い滑走路と高さのない建物や、野菜を育てるためのビニールハウスや畑が街中にあるからだろう。
 この街でエイルは生まれ、育ってきたんだ。そんな場所に俺が立っているなんて、なんだか不思議な気分だ。
 両手を広げて深呼吸。甘い花の香りがする。

「っ、あー! 着いた着いた! ここがイッシュ地方かー! くーっ! 長かったなぁ!」
「飛行時間が長かったから足元がふわふわして変な感じするね」
「だな! やっと歩けるって感じだな! なぁ? デンジ!」

 わざとらしく肩を抱くと、不機嫌極まりない顔で腕を払い除けられた。怒るな怒るな。イケメンが台無しだぞデンジ君。
 フライト前から、というより俺がこの旅に同行することが決まってから、デンジはこの調子だ。修行の旅とはいえ恋人と、レインと二人きりの旅を邪魔されたのだから、当然と言えば当然だ。
 でも、ブツブツ文句を言いながらも強く拒否しなかったのは、デンジも俺の事情を知っているからだ。俺がエイルに別れを告げて、旅立ちを見送ったその日の夜、二人の前で大泣きしながら飲んだのももう四年前のことだが、デンジもきっとその時のことを覚えているのだろう。
 後にも先にも、デンジとレインの前で大泣きしたのはあの時だけだ。エイルのためにも自分のためにも、もう泣かないと決めたから。

「さぁ! まずはカノコタウンに向かうんだったよな? アララギ博士がレインのポケモン図鑑をバージョンアップしてくれるんだっけ?」
「ええ。ナナカマド博士がお願いしてくださったの。でも、オーバ君」
「ん?」
「もう少しフキヨセシティをじっくり回らなくていいの? 確かフキヨセシティは……」
「あー。いいからいいから! 俺の事情のことは気にしないでくれ! 二人の旅の一番の目的はイッシュ地方のジム巡りとポケモンをゲットすること、だろ? 俺もそのペースに合わせて行動するし、俺もジム戦したりしたいしな!」
「でも……」
「どうせフキヨセにはジム戦にまた来るだろうしさ!」
「……じゃあ、行くか」
「おう! 俺達の手持ちの中に空を飛べるポケモンがいたら楽だったんだけどなー……あ! すみませーん!」

 そういえば、エイルの父親はポケモンの研究員だったっけ。もしかしたらアララギ博士のとこで働いてたりして、な。
 そんなことを思いながら、近くにいた男女の男性の方に声をかけた。こういうとき、人見知りしないタイプの性格で得してると自分でも思う。困ったときはとりあえず誰かに聞く。それが俺のポリシーだ。
 とはいえ、説明事などはレインの方が得意なので、話しかけるだけ話しかけ、あとは任せたと言わんばかりに背中を押す。レインは慌ててペコリとお辞儀をした。

「どうかしましたか?」
「突然すみません。私達、イッシュに着いたばかりで、今からカノコタウンに行きたいんです。どう行くのが最短か教えてもらえませんか?」
「カノコタウンですか。フキヨセとは正反対の場所にある町なんで、まともに行くとかなり時間がかかりますよ」
「そうですか……」
「アネモネ。どうかしたの?」
「母さん」

 俺が声をかけた男性は、アネモネというらしい。そして、一緒にいたのがその母親というから驚きだった。男性はどう見ても俺達と同じくらいだし、女性は三十代、上に見ても四十代いかないくらいに見えたから、てっきり恋人か姉弟か何かだと思っていた。
 俺が余計なことを考えている間に、男性が女性に事の成り行きを説明したようだ。女性は穏やかに笑って、モンスターボールからサーナイトを呼び出した。

「お急ぎなら、わたしのサーナイトにテレポートをお願いしましょうか?」
「いいんですか?」
「よっしゃ! 助かりまーす!」
「親切に、どうも」
「いいえ。わたしのサーナイトはカノコタウンをよく知っているから、飛ぶのも飛ばすのも得意なのよ。ね?」

 こくり、とサーナイトは頷いて目を閉じた。ふわりと、白いスカートのような部分が揺れ、浮き上がる。
 俺達を包み込んだ光彩の向こう側で、親子が会話しているのが見える。
 「父さんの飛行機ももうすぐだね」「ええ。カロスでの学会……」「姉さんがホウエンから帰るのはいつ……」「……が帰るのはまだ……」
 親子の会話が徐々に聞こえなくなっていき、完全に途切れたとき、独特の浮遊感に包まれた俺達はカノコタウンの地に足をつけていた。

 さあ! 俺達の冒険はここからスタートするのだ!
 意気揚々と振り返ると、何故かそこには青ざめて冷や汗をかいているデンジと、その体を心配そうに支えているレインがいた。

「え? 何? どういう状況だこれ」
「えっと、デンジ君なんだけど……さっきのテレポートで酔っちゃったみたいなの」
「……気持ちわる。うぇ」
「わー! ちょっと待て吐くな吐くなー!」

 どうやら、アララギ博士の研究所へと向かう前に、どこかで休むことになりそうだ。
 さい先が不安ではあるが、旅にハプニングはつきものだ。これも醍醐味のひとつと思えば、これから旅して起こるどんな出来事も楽しみに変えていけるに違いない。とは言っても、酔っている本人にこんなことを言ったら張り倒されそうだけどな。

 なにはともあれ、俺達はこうして新しい土地で一歩を踏み出したのだった。



2019.11.1


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