7-1.風のたより


 空港の外に出た瞬間に、吹き込んできた風が髪をさらった。三年前までは滅多に乗ることがなかった飛行機も、今では毎月のように乗っている。
 ホウエン地方でのポケモンミュージカル公演を終えてイッシュ地方に戻ってきたわたしは、故郷の空気を一杯に吸い込んだ。風が集めた花の香りがするこの街に帰ると、やっぱり安心する。

「みんなも、長旅で疲れたでしょう? 出ておいで」

 モンスターボールを宙へと放って、仕事の相方とも言えるポケモン達を呼び出した。
 イーブイ、リザードン、チルタリス、フワライド。そして、新しい仲間のビビヨン。
 このビビヨンは、わたしの瞳と同じ夕暮れの空のような紫色の羽で、ヒラヒラと舞い踊っている姿とキラキラした目に一目惚れして、ホウエン地方で仲間にした子だ。ビビヨンは住んでいる地域、生まれた場所によって羽の模様が違うらしく、わたしの仲間になってくれたビビヨンの羽は“雅な模様”というらしい。

「ビビヨン、わたしの故郷はどう? なかなか素敵なところでしょ?」

 ビビヨンは、そのキラキラした目で周囲を見渡すと、くるりと宙で一回転した。見た目通り、むしポケモンらしく甘い香りのするこの街を気に入ってくれたのかもしれない。よかった。
 そういえば、無事に着いたことを事務所に連絡しないと。
 スマートフォンの機内モードを解除した直後、それは内蔵されたデフォルトの着信音を奏でた。画面には『カミツレ』と表示されている。受話器マークをスライドさせると、眩しい金髪のショートヘアをしたカミツレが映し出された。

「カミツレちゃん!」
『エイルちゃん、おかえりなさい。お疲れ様』
「ありがと。カミツレちゃん、髪型変えたんだね。ショートヘアも似合ってる」
『ふふ。ありがとう。よかった。ちょうどホウエンから飛行機が着いたかなと思って電話したの』
「そうなんだ。わたしに急ぎでなにか用事?」
『ええ。実はね、私の元カレ達がジム戦をしにきたの』
「……元カレ?」

 今やカミツレはイッシュ地方が誇るトップモデルだ。女の子達の憧れの的であり、当然異性にだってモテる。どちらかというと、恋多き女の子、だと思う。だから、今まで元カレの話もたくさん聞いてきたけれど『達』ってどういうことだろう。
 カミツレの言葉に、正直なんて返事したらいいのかわからず、大きな間を作ってしまった。

「……ごめん。元カレって、どの元カレ?」
『あ。元カレといっても、ジムリーダーの研修で一度一緒になったときにそんな流れになっただけで、長続きしてないの。別れたことは気にしてないし、だから、エイルちゃんにもわざわざ話してなかったのよ。シンオウ地方のでんき使いのジムリーダーよ。エイルちゃんもシンオウに住んでたことがあるなら知ってるてでしょう?』
「うん。とってもよく知ってる、と思う」

 シンオウ地方のでんき使い、という表現から名前が出てくるような有名人と言えば、知っている顔は一人しか浮かんでこなかった。彼が、デンジくんがカミツレの元カレなんて、世間は狭いなとしみじみ思う。
 カミツレとデンジくん。二人が並んでいるところを想像すると、絵になるというか、近寄りがたいくらい完成された二人だと思った。でも、わたしの目が見てきたデンジくんの隣にいる女の子はレインちゃんだけだ。デンジくんの尖った少し近寄りがたい感じが中和されるというか、和らぐというか、なんというか。
 そんなことを考えていると、カミツレは時差ボケがするわたしの頭に次なる情報を入れ込んでいく。

『彼、今イッシュ地方を旅してるんですって。幼馴染みで恋人の、アイスブルーの長い髪の子と一緒で』
「え! ほんと!?」

 なんだ、よかった。レインちゃんといよいよ恋人同士になって、旅行がてらイッシュ地方のジムを回っている、というところかな。

『そして、私がエイルちゃんに電話をした理由! エイルちゃんがよく持ち歩いてる雑誌に載ってる、赤髪の男の人も一緒だったの!』

 カミツレの話を懐かしさ半分で聞いていたわたしの脳は、一気に現実に引き戻された。デンジくんとレインちゃんと一緒にいる赤髪の男の人、なんて、一人以外に思い浮かばない。
 別れてから、何度も諦めようとした。でも、わたしは結局いつも、お守りがわりに持ち歩いている雑誌の中の、太陽のような笑顔に励まされ続けてここまで来た。
 彼が、オーバくんが、イッシュ地方にいるんだ。

「カミツレちゃん! 彼らとジム戦したのはいつ?」
『ついさっきよ』
「わかった! ごめん! またあとでかけるね!」
『ふふっ。いいのよ。すぐには次の街に行かないと思うし、エイルちゃんのリザードンなら夜にはライモンシティに着くんじゃない?』
「うん! ……ありがとう」

 ひとつ笑みを残して、カミツレは画面から消えた。
 わたしもカミツレに、シンオウでの出来事を全て話しているわけではない。でも、カミツレはきっと何かを察して連絡してきてくれたんだ。
 話を聞いていたリザードン以外のポケモン達が、自主的にボールへ戻っていった。リザードンは体を屈めて、背中へ乗るように促してくれた。
 その背に飛び乗って、叫ぶ。

「リザードン! お願い! ライモンシティに急いで!」

 わたし達の関係はすでに終わっている。オーバくんには別の恋人がいるかもしれないし、もしかしたら結婚していても不思議じゃない。
 それでもいい。ただ、本物の彼の笑顔を、もう一度見たい。
 どうか、どうか、間に合って。



2019.10.29


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