6-6.きみに届くように


 クローズしたマスターのバー。俺達三人以外に客は誰もいない。
 ここに来るのももちろん一年ぶりだが、だいぶ雰囲気が変わった。改装と増築で広くなったし、歌や楽器が演奏出来るステージもある。
 これを見て誰を想像したかなんて、説明するまでもないだろう。

「さぁ。今日は俺の奢りだ。好きなだけ飲んでくれ」
「よっしゃー! サンキュー! マスター!」
「じゃ、飲むか」
「待て待て! まずは乾杯だろ! えー。では、オーバ様が四天王になったことを祝しまして」
「自分で言ってるよこいつ」
「かんぱーい!」
「かんぱい! おめでとう!」
「よくやったな、オーバ!」
「ありがとう! ありがとうなー!」

 なんか途中で聞こえたが知らん。どうせデンジは音頭なんてとらないタイプだから俺が自分で言うしかないのだ。

「本当におめでとう、オーバ君! 試験はもちろんだけど、修行の旅も大変だったでしょう?」
「まあなー! ハードマウンテンに籠ったかと思えば、キッサキの雪山で遭難しかけたり……」
「極端な場所ばかりだな」
「当たり前だろー! 極限まで自分を追い込んでこそ修行だからな!」
「ドMかよ」

 ドッと笑いが起きる。うんうん、やっぱり俺達はこうじゃないとな。
 ポケモン達はみんな長旅で疲れていたので、ポケモンセンターに預けてきたが、ブースターだけは着いていきたいそぶりを見せたので、一緒にこの場にいる。デンジのサンダースやレインのイーブイと再会出来て喜んでいるようだ。ポケモン同士何を話しているか分からないが、ブースターが何やら得意気にジェスチャーしているのはわかる。

「ふふっ」
「どうしたんだ?」
「ブースター、自分が四天王の最後の一匹を倒したんだ! って、嬉しそうに話してるわ」
「そうそう! ブースターも頑張ってくれたんだよ! その事を話していたんだな。やっぱり、ポケモンの言葉がわかるっていいなー!」
「そうね……このことも何かわかればいいのだけど」

 一瞬だけ、レインの瞳に影が落ちた。きっと、数ヵ月前に電話で話していた旅のことが脳裏をよぎったのだろう。レインには今までたくさん励まされてきたし、落ち着いたら俺もしっかり話を聞いてやらないと。

 旅の武勇伝やら試験の内容やらを話していたら、あっという間に日付が変わった。明日は定休日ではないし、デンジもレインも仕事があるので、飲み足りない気もするがここでお開きということになった。
 デンジはレインを送っていくと言って先に帰ったため、俺は残って皿洗いやらゴミ捨てを手伝った。

「今日の主役に片付けさせて悪いな」
「いーって! 俺の方こそ、こんな風に祝ってもらえて嬉しかった! ありがとな、マスター。さて、俺もボチボチ帰るかなー」
「ちょっと待て」

 なんだ? と、振り返ったところに、箱を渡された。ちょっとした辞典なら入りそうなくらいの深さがある段ボール箱だが、片手で持てるくらいには軽い。

「オーバに荷物が届いたんだ」
「俺宛? でも、届いたのはここだろ?」
「ああ。開封はしていないが……なんとなく、誰からの荷物かは想像がつくな」

 マスターには見当がついているらしいが、自分の目で確かめてみろと言って、それ以上は何も言わなかった。家に帰る道中、ずっと差出人を考えていたがどうしても思い浮かばず家にたどり着いてしまった。
 家族はみんな寝静まっているので、起こさないようにそっと裏口から入り、軽くシャワーだけ浴びた。それだけでも肩の力が抜けて、一気にリラックス出来た。
 自室に入ると、部屋はきちんと掃除されていて、ベッドにはふかふかの布団が用意されていた。ダイブすると太陽の匂いがした。きっと母さんが、今日俺が帰るタイミングで干していてくれたんだな。
 このまま夢の世界に誘われたら幸せだが、マスターから渡された箱のことも気になるので、とりあえずこちらを片付けてしまうことにした。

「さーて、寝る前に開けてみるか。そういや差出人は……?」

 送り状には喫茶店の住所とオーバ様と書いてあるが、送り状はもちろん箱のどの面にも差出人の住所は載っていない。何気なく箱の裏を見てみると、手書きでANGEと書かれているのを見つけた。

「ANGE……アンジュ?」

 これが差出人の名前だろうか。知り合いにそんな名前はいないし、検討もつかない。でも、きっと中身を見たら全てがわかることだ。
 カッターを差し込み開封すると、まず緩衝材が現れた。それを退けると、さらに箱の底に固定されたケースを見つけた。大きさや形から、DVDとCDアルバムのようだった。
 まず、CDアルバムのほうを手に取ってみた。天使の羽のようなものが空から落ちているジャケットで、その中に佇む女性の後ろ姿が印象的だった。この歌手がアンジュというのだな、と推測出来る。
 CDをパソコンにセットして、深夜なのでイヤホンをつけた。その瞬間、時間が止まったかのような感覚を覚えた。
 両耳から流れ込んでくる女性の歌声は、一日たりとも忘れたことのなかったものだった。

「この歌声は……エイル……!?」

 間違いない。間違えようがない。何度も聞いた歌声。俺の大好きな歌声だ。
 急いで歌詞カードを確認した。ジャケット写真と同じように、本人の顔が分かる写真は使われていなかったが、間違いない。うとうとしていたブースターだって、イヤホンから漏れた歌声を拾って覚醒したくらいなのだ。
 次の曲は、ほら、チルタリスとのデュエットだ。目を閉じると、楽しそうに顔を寄せて歌っている二人を想像出来るようだ。
 一曲一曲に聞き入っていると、六曲が入った約三十分のミニアルバムは、あっという間に最後の一曲を終えてしまった。
 歌詞カードをそっと閉じる。まだ心臓がドキドキいっている。

「じゃあ、こっちのDVDは……?」

 DVDのタイトルは知っている。確か原作が映画だったはずだが、これは映画のDVDではない。これは。

「ポケモンミュージカル……」

 パソコンのモニター画面に映し出されたのは、人間とポケモンが舞台の上で繰り広げる物語を収録したものだった。何人もの人間とポケモンが、キラキラした世界の中で役を演じ、歌ったり、踊ったりして、輝いている。
 彼女もまた、その中の一人だった。

「エイルだ……!」

 役作りのためだろうか、髪は明るい茶髪だ。もしかしたらデンジやレインが見ても、一目でエイルとはわからないかもしれない。
 でも、俺にはわかる。俺が好きな夕暮れの瞳は、何も変わっていない。エイルだ。エイルが、いるんだ。
 舞台の上のエイルは主人公ではない、小さい役を演じているようだ。でも、台詞があるし歌って踊ってる。隣にはイーブイが一緒だ。
 歌の中には、先ほどのミニアルバムでエイルが歌っていたものの、ミュージカルバージョンがある。
 明け方が近いというのに最後まで見入ってしまった。エンディングにはまたアンジュの文字。その隣にはイーブイの文字も並んでいる。二人の名前はミュージカルで二人が演じたワンシーンと共に、エンディング曲に合わせて画面を下から上へと流れた。
 アンジュ。きっと、それがエイルの芸名なのだろう。

「ポケモンミュージカル女優としてデビュー出来たんだな……ははっ……すげぇや」

 俺も頑張ろう。熱く眩しいほのお使いの四天王として、遠く離れたエイルがいるところまで名前が届くように。



2019.10.23


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