5-5.恋のピリオド


 別れる意思を確認し合ったあの日から、俺達はエイルがイッシュに帰るその日まで毎日一緒にいた。もちろん、エイルはギリギリまでマスターの喫茶店で働いていたし、俺も旅の準備やバイトがあったが、それ以外の時間は常に一緒だった。俺がエイルのアパートに帰ると、エイルは何も変わらない笑顔で「おかえり」と出迎えてくれていたから、この生活がこれから先も続くのではないかと錯覚してしまったほどだ。
 きっと、お互い別れたくない気持ちは同じだった。でも、今の俺達は夢も恋も両方を掴み取れるほど器用ではないし、半端をしていてはどちらかがダメになる。だから、別れの道を選んだ。それでも、お互い嫌いになったわけではないから、最後まで楽しく過ごしたかった。

 ――そして、いよいよエイルがイッシュへ帰る日になり、俺は空港へ見送りに来ていた。キャリーケースを預けたあと、二人でカフェに入り軽食をとった。そこまでは、いつも通りでいられた。

「いよいよだな」
「うん」

 ターミナルの保安検査場の前まで来ると、いよいよという実感が込み上げてきて、どちらからともなく足を止めた。ここから先に、俺は行けない。エイルの手を強く握ると、同じ強さで握り返してきてくれた。

「あっちに着いたら誰か迎えに来てくれるのか?」
「うん。お父さんに帰ることを電話したときに、来てくれるって言ってた」
「マジか! あの親父さんと話したのか」
「うん。まだざっくりとしか話してないけどね。でも、イッシュに帰るなら、お父さんとは一度きちんと話さなきゃと思ってたから」
「……そっか。強いな、エイルは。俺もしっかりしないと」
「オーバくんはいつから旅に出るの?」
「明日にでも発つつもりだ。シンオウのジムバッジは全部集めてるから、今度はシンオウの秘境の地に行ったり、強い野生のポケモンが生息しているエリアに行って、じっくり手持ちを鍛えたいな」
「そっか。気を付けてね? 遭難とかしないようにね?」
「ははっ! 大丈夫だって! 最悪、フワライドの空を飛ぶで近くの街までは飛んでいけるからな!」
『ピジョット航空イッシュ地方フキヨセシティ行き395便の優先搭乗案内を開始します』

 エイルの肩が震えた。このアナウンスの便に、エイルは乗るのだ。

「そろそろ行かなくて大丈夫か?」
「……うん。わたしが乗る飛行機の搭乗口は、ここを通ったすぐのところにあるから、まだ大丈夫」
「……そっか」

 固く繋がれた手を放せない。放したら、本当に別れが訪れてしまう。

『ピジョット航空イッシュ地方フキヨセシティ行き395便はただいま、18番ゲートよりご搭乗いただいております』

 一般搭乗のアナウンスだ。本来ならばもう行かなければならない時間。でも、あと少し。もう少しだけ。
 これが、最後の悪足掻きだ。
 俺は繋がれていない方の手をポケットにやり、ラッピングされた箱を取り出した。

「これ」
「なに?」
「よかったらもらってくれないか? 本当はクリスマス……」
「え?」
「あ、いや、なんでもない。エイルに似合いそうだと思って、だいぶ前に買ってたんだよ……って、別れる男からプレゼントなんてもらっても迷惑だな。気が回らなくてごめんな」
「そんなことないよ!」

 エイルは思わず目を見開いてしまいそうなほど大きい声で俺の言葉を否定して、ふるふると首を振った。

「大切にする……ありがとう」

 プレゼントを受け取ったエイルのその笑顔が今にも泣き出しそうで、儚くて、でもとても綺麗で。
 繋がっている手を引いて、思わず抱き締めた。空いている手でゆっくりと頭を撫でる。好きだと言っていたこれも、してやれるのはこれで最後だ。

「オーバくん」
「ん?」
「もし、もしも、これから先どこかでまた逢えて、その時二人の気持ちが変わっていなかったら……」
『ピジョット航空イッシュ地方フキヨセシティ行き395便の最終搭乗案内でございます。搭乗券をお持ちのお客様は直ちに……』

 エイルの言葉を掻き消すように、最終搭乗のアナウンスが鳴り響いた。エイルはハッとした顔で俺の胸を押し、体を離した。

「っ、なんでもない!」
「エイル……」
「じゃあ、わたし行くね! 短い間だったけど本当にありがとう」
「ああ。俺も、エイルに出逢えてよかった」

 手を繋ぎ、額を合わせ、最後の言葉を口にする。これから先、二人の道がひとつになる確率はきっと無いに等しい。
 だから、選ぶ別れはこの言葉。

「「さようなら」」

一度も振り返らず、エイルの背中が人混みの中へ消えていく。繋いでいた手から温もりが消えていく気がして、爪の跡が残るほど強く手のひらを握りしめ、踵を返して走った。
 展望デッキへと駆け上がり、エイルが乗っている飛行機を見送った。青空へと飛行機が消えて見えなくなっても、ずっと、ずっと、俺はそこに立ち尽くしていた。

「……もういいよな」

 一筋の涙が頬を濡らした。俺は、うまくやれただろうか?エイルが好きだと言ってくれていた笑顔を、最後まで浮かべていられただろうか?
 腰につけているモンスターボールがカタカタと揺れた。そういえば、エイルと仲の良かった手持ちのポケモン達も、みんな連れてきていたんだっけ。

「おまえ達……」

 ポケモン達の闘志を燃やした瞳を見て、涙を拭った。
 この選択が正解だったのかなんて分からない。でも、後悔だけは絶対にしない。したく、ない。だから。

「ああ! 絶対になってやろうぜ……四天王に!」

 俺のためにもエイルのためにも、俺は俺自身の夢を叶えるんだ。



2019.10.14


- ナノ -