4-3.鳥のヒストリア


「わたしね、出身はイッシュ地方なんだ。フキヨセシティっていう田舎の小さな街で生まれ育ったの」

 あたたかい飲み物を買って、ベンチに腰かけてそれを飲んでいると、エイルがポツリポツリと話し出した。

「両親は二人ともポケモンの研究職。お母さんはわたしを産んだとき退職したけど、優秀な研究者だったみたい。もちろん、お父さんもね」

 初めて聞く、エイル自身のこと。家族のこと。生まれ育った場所のこと。本当に、こんな形で聞くことになるなんて思ってなかった。

「幼い頃からずっと言われていたんだ。真面目に生きなさい。常に努力しなさい。しっかり勉強しなさい。そうすれば、お父さんやお母さんみたいに、ポケモンと一緒に働ける安定した収入と、幸せな家庭を手に入れられるから、成功出来るからって……わたしもそれを信じてたから、その言葉通り頑張って勉強したんだ。どちらかというと、研究で忙しかったお父さんに認められたいって気持ちが大きかったかもしれないけど」

 エイルを動かしていたものは、約束された将来のためでもなんでもない。ただ、父親に自分を見てほしかった。仕事に忙しい父親の目に、映りたかった。それだけだった。

「初めてのポケモンをもらってからは、バトルだって頑張ったよ。ポケモンのことをよく知るには一にも二にもポケモンバトルだって、ずっと言われてたからね。その頃から一緒にバトルしてるから、お陰でリザードンはこんなに強くなれたんだ」

 だからだろうか。父親と母親、それぞれから譲り受けたポケモンでも、リザードンのほうをよく鍛えていたのは。リザードンを立派に鍛え上げることで、父親を喜ばせたかったのかもしれない。

「でもたまに、疲れちゃうとこもあって……そんな時、お母さんが息抜きにって、幼いわたしをポケモンミュージカルに連れていってくれたんだ。そこで、楽しそうに舞台で歌って踊るポケモンと人を見て……なんて言ったらいいのかな。こんな世界もあるんだ。こんなに楽しそうで、キラキラしていて、人から認めてもらえる場所もあるんだって、思ったの」

 頑張り続けていたエイルに訪れた休息。そこで目にしたのは輝く世界。机上の文字と、バトルに追われていたエイルにとって、それはとても眩しかったに違いない。
 目が眩むのと同時に、きっと初めての気持ちが沸き上がってきたんだ。おさまらない高揚感と途方もない憧れ。自分もこんな風に輝きたい、と。

「ミュージカルだけじゃない。ポケウッドやポケドル……ポケモンと一緒に輝ける場所はたくさんあるって知ったとき、わたしはそこを目指してみたいって思ったんだ。だから、音楽に力を入れているスクールを選んだり、アルバイト出来るようになったらそのお金でレッスンに通ったり、ポケモンコンテストについて学んだり、オーディションを受けたり、思い付くことは何でもやったの。でも、覚悟はしてたけど簡単にはうまくいかなくて……オーディションで厳しいこともたくさん言われたよ。きみ達くらい歌って踊れる人やポケモンはたくさんいる、って。それでも……諦められなかったんだ。幼かったわたしが、初めて見つけた自分のやりたいことだから」

 父親から言われるがままに進んできた道を外れ、初めて選んだ道だった。だから、諦められなかったし、諦めたくなかった。自分の選択を、後悔なんてしたくなかった。

「スクールを卒業する少し前だったかな。お父さんに、オーディションの不合格通知が見つかっちゃったの。だから、勇気を出して自分の気持ちをぶつけたんだ。ミュージカルみたいに、ポケモンと一緒に舞台に立てる仕事がしたい。そのために頑張りたい、って……そうしたら、オーバくんが聞いた留守電に入ってたようなことを言われたんだけど、諦めきれなくて説得を続けてたら、大学に進学する予定だった四年間だけ待ってくれることになったんだ」

 留守電に残っていたメッセージを思い出した。約束していた期間まであと一年ほど、と。エイルはすでに、三年間一人で頑張り続けていたのだ。

「それからはイッシュで頑張ってたけれど、近くで夢を叶えていく友達を見ることや、両親のプレッシャーを受けながら頑張ることに疲れちゃって、遠くに行こうって思って、ポケモンコンテストをやってるシンオウに来て独り暮らしを始めたの。ポケモンコンテストからスカウトされる事例も多いからね。……そこからは、オーバくんも知っての通りかな。マスターのお店で働きながら夜に練習も兼ねて歌わせてもらったり、ポケモンコンテストに出てみたり……レッスンやオーディションも受けてみてるけれど、届くのは相変わらず不合格通知ばかりだけどね」

 ああ。そういえば、何度か郵便物をゴミ箱に捨てていた姿を見かけていたな。あのときは、どうしてDMだなんて簡単に信じてしまったんだろうな。
 もう少し早く気付けていたら、エイルは一人で戦い続けなくてもよかったのかもしれないのに。

「幼い頃からずっと、わたしなりに頑張ってたけど、久しぶりにお父さんの言葉を聞いて、少し心が折れちゃった。勝手にいなくなってごめんね。探してくれてありがと」
「……エイルは、これからどうしたいんだ?」
「……お父さんの言うとおりにしていたら、全部うまくいってこんなに悩むこともなかったかもしれない。安定した仕事に就いて、忙しいかもしれないけど穏やかな日々を送れて……」
「後悔してるのか?」
「……ううん。それは、違うかな。どんなに苦しくても、辛くても、夢を目指してシンオウに来たから、わたしはオーバくんに会えた……だから、後悔はない。きみの存在だけは消したくない。でも」

 手元に視線を落とす。缶の中の飲み物は半分以上残っているが、それはとっくに冷えてしまっていた。

「これからどうしたらいいのか、どう頑張ったらいいか、わからないよ」

 夜の底に飲まれそうになっているエイルを、もう一度、青空の下に連れ出したいと思った。俺の太陽のような笑顔が好きだとエイルは言うけれど、それは俺にとっても同じだから。



2019.10.1


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