3-6.痛みのサイン


 綺麗に空になった皿を前に、エイルは両手を合わせた。盛り付ける前よりも真っ白になったんじゃないか、と思うほど綺麗に残さず食べてくれると、嬉しいし気持ちがいいものだ。

「ごちそうさま」
「ん」
「オーバくん、料理上手なんだね。作ってくれた冷製パスタ、すごく美味しかった」
「ふっふっふ。たまに家でも作るから、料理には少し自信があるんだ」
「男の子なのに家で料理を作るって珍しいね」
「俺とバク、結構年が離れてるだろ? 母さんがバクを産んだとき、俺も家事を手伝える年齢だったから、そのとき掃除洗濯料理は一通りマスターしたんだ! といっても、料理は簡単なのしか作れないけどな。これも麺を湯がいて具材とあえるだけだし」
「十分だよ。わたしも負けないようにもっと料理頑張ろう。あ、洗い物はわたしがやるね」
「おー。サンキュ」

 空になった皿を重ねて、二人でそれをキッチンに運んだところでエイルにバトンタッチ。エイルが飯を作ってくれたときは俺が片付けて、俺が作ったときはエイルが片付けて、という流れが出来上がってしばらく経つ。それだけ、俺がここに泊まりに来たことも多いんだなと、エイルに気付かれないように頬を緩めた。
 髪をまとめあげ、部屋着にエプロンをつけ、皿を洗うエイルをぼんやり見ながら、気になっていた歌のことを、何気なく聞いてみた。

「そういえばさ」
「なーに?」
「この前はどうしたんだ?」
「どうしたって、何が?」
「歌。なんだか、いつもより声に元気がなかった気がした」

 ピタリ。と、皿を洗うエイルの手の動きが一瞬だけ止まった気がしたが、エイルは何事もなかったかのように視線を落としたまま、皿洗いを再開した。

「言いたくないならいいんだけどさ、エイルが無理してたり辛いことを我慢してたら嫌だからな?」
「……うん。ありがとう。そだね。最近、少し疲れてるのかも。人間もポケモンみたいに、ポケモンセンターに一晩預けたら全快できたら良いのにね」
「あー、わかるわかる。疲れがとれないときってあるよな。筋肉痛が二日後に来たり」
「ふふっ。二十歳なのにそれはまだ早いんじゃないの?」
「二十歳だろうが若かろうが疲れるときは疲れるんですー。そういえば、エイルはいくつなんだ?」
「わたし? オーバくんのひとつ上」
「なんだあんまり変わらないじゃん! もう少し年上だと思ってたぜ!」
「えー! それはわたしが老けてるってこと?」
「いやいや。付き合う前は綺麗で大人で高嶺の花と思ってたから、もう少し上と思ってたんだよ。こんなに意外と親しみやすい性格って知ってたら、もっと早く声かけてたかもな」
「わたし、そんなに完璧な人間じゃないよ? 確かに、自立しなきゃって一人で頑張っちゃうときが多いけど、オーバくんには頼ったりしたいなって思ってるよ?」
「わかってるわかってる。エイルは意外と甘えんぼだよな」

 エイルは整った顔立ちをしているが割と甘い部類の顔立ちと思うし、性格だって掴みどころがない風のようだと思っていたが、案外茶目っ気があり幼いところだってある。どのエイルだってエイルであることに違いはなくて俺は好きだし、そのギャップにさらに惚れてしまったというわけだ。
 皿洗いを終えたエイルが、エプロンを外しながらこちらに来た。あ、少し寂しそうな目をしてる。こりゃ、甘えたスイッチが入ったな。

「オーバくん」
「ん?」
「だっこ」
「おー。どーぞ」

 両手と足を広げると、エイルはその間におさまってぎゅっと抱きついてきた。あー、年上の彼女に甘えられるっていいよな。グッと来るよな。
 エイルの後頭部に手を伸ばし、髪を撫でる。エイルの髪はゆるくウェーブがかかってふわふわしているけど、痛みがなく艶やかで撫で心地がいい。

「いいこいいこ」
「ふふっ。それはわたしの真似?」
「そうそう。あれ、俺は結構元気が出たんだぞ? 頭を撫でられるなんて、大人になってからは滅多にないからな」
「そうだね。お父さんやお母さんからこうして撫でられたのも、いつが最後だったかな」

 エイルがそう呟いたことに、俺は何の違和感も感じなかった。親に頭を撫でられるのなんて、確かに幼少期以来ないな、と心の中で同調したからだ。

「エイル。顔上げて」

 素直に顔を上げたエイルの唇にキスをする。すると、エイルは膝立ちになって、もっと、というように俺の首へ腕を回してキスしてきた。
 互いが吐く息さえ求めるようなキスの合間に、夕暮れ色の瞳と視線が合った。俺から誘うときと、エイルから求めるときと、割と半々ではあるけれど、今日は後者だな。

「ね、オーバくん」
「ん?」
「……しよ?」

 薄く濡れた瞳と、熱を帯びた囁き声に、体の奥が熱くなる。返事の代わりに、エイルが結っていた髪をゆっくり解いた。

「オーバくん、すき。だいすき」
「ああ。俺も。エイルが好きだよ」

 名前と、好きと、愛してると。何度もその言葉達を繰り返しながら、俺達は繋がった。その最中、肩に走った鈍い痛みすらも、とても愛おしかった。






「あー……跡、残ってるな」

 エイルに促され、先にシャワーを浴びたあと、洗面所の鏡に映る自分を見て苦笑した。左肩にくっきりと、赤い歯形が残っていたからだ。
 体を重ねるとき、エイルが俺の肩や腕を甘噛みしてくることは少なくない。というか、割と毎回だ。最初こそビックリしたし、エイルも自分自身どうしてそんなことをしたのかわからず戸惑っているようだった。
 でも、これも愛情表現のひとつだと思えば愛しいものだ。俺はこれをキスマークのようなものだと思ってるし、終わったあと鏡で確認するのが楽しみだったりする。と、いうことをいつかデンジに話したらMかよとからかわれたことはあるが……うん、否定はできない。
 脱衣所から出てリビングに向かう。明かりはついついたし、いつもと何ら変わらない雰囲気だったので、俺は扉を開くまで気が付かなかった。

「エイルー。シャワー終わったから次……エイル?」

 部屋の主であるエイルが、いなくなっていたことに。



2019.9.23


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