3-2.見えてきた現実


 自分が起きていることに気付くまで、少しだけ時間がかかった。朝は苦手なのだ。でも、カーテンから差し込む陽射しの強さから、それほど早い時間でもないだろうなとぼんやり思う。
 俺が起きていることに気付いた夕暮れの瞳が、嬉しそうに細まる。

「おはよう」
「おー。おはよ」

 じゃれつくように俺の首へと伸ばされたエイルの腕。俺はエイルの腰に腕を回し、ぎゅーっと抱き締める。そのままゴロゴロとベッドを転がったり、くすぐりあったり、頬を寄せたりと、寝起きにくっついてスキンシップをとる時間が好きだし癒される。

「朝ごはんにね、美味しいパンを買っておいたの。準備するね」

 俺の頬にキスをひとつ残して、エイルは上半身を起こした。淡いパープルのキャミソールとショートパンツから伸びている真っ白な手足が眩しいし、どうしたって胸元に目線が行ってしまう。
 まだ頭が少しだけぼんやりしている俺は、エイルがカーディガンを羽織る姿を見ながら、欠伸を噛み殺した。

「そろそろ、その格好で寝るの寒くねぇの?」
「全然。わたし、薄着で寝るのが好きだもん。それに、オーバくんは体温が高いから、くっついて寝たらちょうどいいしね」

 目の前が真っ暗になり、息がつまった。エイルが俺の頭をぎゅーっと抱き締めたと気付いたとき、一気に目が覚めた。だから、そういうところ、そういうところだぞ……!
 朝から煩悩にまみれた頭を冷やそうと、洗面所へ向かった。ふと玄関の方を見てみると、郵便受けから白い封筒のようなものが見えた。

「エイルー。郵便受けに何か入ってるぞー」
「あ。昨日は確認するの忘れてたんだ。ありがと」
「ん」

 顔を洗って頭をスッキリさせ、リビングへと戻った。エイルは手紙に視線を落としていたが、その顔に表情はなかった。

「何か大切なものだったのか?」
「……ううん。ただのDMだよ」

 エイルは本当になんでもないというように笑い、躊躇いもなく手紙を破り、ゴミ箱に捨てた。
 二人掛けのダイニングテーブルに向かい合って座り、パンをかじる。パンに挟まれたウインナーがカリッと音を立てて、中から肉汁が溢れた。

「今日は仕事だったよな?」
「うん。朝から夕方まで。そういえば、来週は久しぶりにお店で歌うんだ」
「おっ! じゃあ聴きに行かないとな! デンジももう誕生日を迎えたからあいつらも誘って……」

 そのとき、テーブルの脇に置いていた俺のスマホが鳴った。着信を示す音だ。ディスプレイを除き込んでみると、噂をすればなんとやら。『デンジ』と表示されていた。

「デンジだ。こんな朝から珍しいな」
「出ていいよ?」
「ん」

 エイルの了承を得たので、受話器のアイコンをスライドさせた。

「おはー」
『よお』
「珍しいな。こんな時間にどうしたんだよ」
『ジムリーダーから良い情報を聞いたから教えてやろうと思ってな』
「良い情報?」
『四天王の一人が来年度末に引退するから、それまでに新しい四天王の募集をかけるそうだ』
「マジで!? 四天王の!?」

 思わず大声を出して立ち上がってしまった。視界の隅で、エイルがキョトンとしている姿が見えるが、状況を説明している場合じゃない。

『詳しい時期はいつか知らないぞ。ただ、いつでも飛び付けるように準備はしとけよ。長くてもあと一年後だ』
「ああ! もちろん! こうしちゃいられねぇな! ポケモン達をますます鍛えておかないと!」
『ポケモン達よりもおまえは筆記の心配をしろよ』
「うっ。も、もちろんそれも徹底的にやるさ!」
『ま、バトルならいつでも相手になってやるよ』
「おー! 頼む! また何か情報入ったら教えてくれよな!」
『ああ。じゃあな』

 通話を切ってもまだ興奮がおさまらない。武者震いだろうか。微かに手が震える。

「マジか……いよいよか……」
「四天王の試験があるの?」
「あ。聞こえてたか?」
「バッチリ」
「一年後くらいにあるかもしれない、らしい」
「あと一年……」

 エイルが繰り返し呟いたことで、ますます現実味が帯びてきた気がする。
 あと一年。まだ時間はあるようで、きっとあっという間に過ぎてしまう。この一年をどう過ごすかで、俺の今後は大きく変わるのだろう。

「そっか。オーバくんの夢、もうすぐ叶うかもしれないんだね」
「叶うかも、じゃなくて、叶えるんだよ! よーし! 燃えてきた! 今日はバイトが終わったらがっつり勉強するぞー!」

 俺は自分のことで頭が一杯だった。追いかけていた夢に期限が付き、最後までがむしゃらにやってやろうと、目の前のことしか見えていなかった。
 だからこのとき、エイルがどういう表情をしているかなんて、気にする余裕すらなかったんだ。



2019.9.8


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