1-6.無名のディーバ


 緩く結い上げられた髪。体のラインがはっきりとわかるワンピース。赤い口紅。コンテストで見た姿とはまた違う出で立ちに唖然としていると、エイルはネイルに彩られた指先をスタンドマイクに添えた。
 スピーカーから流れるピアノの音に、エイルは自分の声を乗せる。元々少し低めの声だとは思っていたが、歌声でも低音が綺麗で、艶やかだ。低音のビブラートが聴き心地いい。

「すげ……うま……」

 聴き入る。見惚れる。陶酔する。一曲が終わるまでの時間があっという間に感じた。
 続けて流れたのは、先程のムーディーな曲とは違い、明るくアップテンポな曲だった。
 曲が始まると同時に、エイルの肩にイーブイが飛び乗った。確かあれは、喫茶店の看板ポケモンの一匹だ。昼間喫茶店に行くと、店内をうろうろして客をもてなしたり、席へ案内してくれたりする。あれはエイルのポケモンだったのか。
 エイルはイーブイと共に、その曲を歌い始めた。いわゆる、デュエットだ。俺は人間とポケモンのデュエットなんて初めて聴いたが、エイルとイーブイは何度も経験したことがあるのだろう。息がぴったりだし、何より、心の底から楽しそうだ。バーの中にいる客は決して多くはないが、みんなその歌に聴き入り、微かに体を揺らしている人もいた。
 曲が終わってエイルとイーブイがお辞儀をすると、俺は自然と拍手をしていた。つられて回りの客も拍手をすると、エイルは驚いたような表情をしたあと、嬉しそうに笑った。

「オーバくん?」

 視線がかち合う。モンスターボールへイーブイを戻したエイルが俺の方へと歩いてくる。はぁ。本当に、綺麗だなぁ。

「こんばんは。夜に来るなんて珍しいね」
「だろ? 二十歳になったからバーデビューしに来たらしい」
「そうだったんだ。あ! そうだ。この前のお礼をしなきゃ」
「この前のお礼?」
「そう。コンビニで不良二人組に絡まれていたら助けてくれて……オーバくん?」
「うわっ!?」

 いきなり顔を覗き込まれ、思わず体を仰け反らせた。

「あ、ごめんね。マスターとの話、聞いてた?」
「え? あ、いや。半分右から左だった」
「ふふっ。あのね、この前のお礼がしたいから、好きなものを頼んで?」
「え? いいのか?」
「もちろん。わたしも少しだけ飲んじゃおうかな。マスター、カルーアミルク」
「あ。じゃあ、俺も」
「おう。二人で仲良く話でもして待ってな」

 なんだそれ。二人で仲良く話でもって、なんだそれ。ニヤニヤしやがって。デンジといいマスターといい、そんなんじゃない。俺は断じて、そんなんじゃない。
 だけど、俺は人見知りなんてしないし、黙っているのが苦手なタイプではあるので、口は自然と開いてしまう。

「昼間だけじゃなくて夜も働いてたんだな」
「ううん」
「え? でも、さっき」
「あれは、わたしが好きでやらせてもらっているんだ。だから、お給料とかはいただいてないの」
「そうなのか!?」
「そんなに驚くこと?」
「や、だってあんなに上手い歌をタダで提供してる、ってことだろ? しかもポケモンとのデュエットなんてそう聴けないぞ! そりゃあ驚くさ! 俺なら金払ってCD買うレベルだ!」

 ここまで捲し立てたところで我に返った。いくらなんでも熱くなりすぎだし、前のめりになって近付きすぎた。ほら、エイルも驚いて目を丸くしているではないか。

「……褒めすぎだよ、オーバくん。でも嬉しい。ありがとう」

 微かに頬を赤らめ、照れたように笑う。こんなにあどけないエイルの表情は、初めて見たかもしれない。
 心臓がドクドク言ってるのは酒のせいじゃない。これは、まずい。デンジやマスターの思う壺になってしまう。
 よし。次の話題だ、次の話題。

「そういえば! この前のコンテスト! かっこよかったぜ!」
「コンテスト? え、見てくれてたの?」
「あ、ああ。たまたまテレビをつけたら放送されてたから、知ってる顔が出てビックリしたぜ!」

 たまたま、を強調しておいた。いつの間にか置かれていたカルーアミルクをグッと飲んで、口の中の渇きを潤して次の言葉を繋ぐ。

「コンテストとか歌とか、人前で何かすることが好きなのか?」
「……うん。そうだね。好き、なのかも。ライトを浴びて拍手をもらえると、自分を認めてもらえたような気になるから」

 伏し目がちにそう呟き、エイルもグラスに口をつけ、中身を一気に飲み干した。グラスを置いたエイルの表情は元に戻っていたが、なんだろう。少し寂しそうに見えたのは、気のせいか?

「コンテストを見たなら、わたしの名前は知ってるよね? エイルです。改めてよろしくね」
「おう! よろしく!」
「ふふっ。今日はもう少し飲んじゃおっかなー?」
「え?」
「ほらほら! オーバくんもお酒が少ないよ? 次は何を頼む? おつまみもどんどん頼んでね。マスター!」
「お? おー? 飲むぞー?」

 エイルのペースに巻き込まれ、俺のバーでの飲みデビューは、日付が変わるまで続いたのだった。



2019.7.30


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