1-4.翼という名前


 身に纏っていた炎を解いたギャロップの目の前で、もう動けませんと言わんばかりにライチュウが大の字で寝転がっている。デンジは力無く笑うと、ライチュウを抱き起こした。

「ライチュウ。お疲れ。頑張ったな」
「っしゃ! よくやったなギャロップ!」

 ギャロップに走り寄って炎の鬣をわしゃわしゃと撫でた。バトルのときは重要な攻撃元となるこの炎も、トレーナーが触れるとなると熱くないのだから不思議だ。
 ポケモンバトルの勝敗に、ファイトマネーの受け渡しは付き物だが、友人同士で金を渡し合うのも気が乗らないので、俺達の場合は敗者が勝者に飯を奢るという形をとっている。
 今日は俺の勝利だ。ギャロップを戻したモンスターボールを指先でくるくる回してしまうくらいには、テンションが上がった。

「さーて、何をおごってもらうとするかな!」
「今日はレインがいないし、久しぶりにハンバーガーでも食いにいくか? オレ、ポテト食いたい気分」
「それもいいな!……あ」

 ふと、数日前の夜の出来事が浮かんだ。マスターの喫茶店で働く女性スタッフを助けたときのことだ。今度お礼をしてくれると言っていたし、いや、別にお礼が目的と言うわけでもないけど。

「やっぱマスターのとこ行こうぜ!」
「珍しいな。この前行ったばかりだろ?」
「あー……そうそう! 前回飲まなかったジンジャーエールを飲みたいなと思ってな! マスターのとこのジンジャーエールは自家製で美味いからなー!」
「ふーん。ま、別にいいけど、まずはライチュウをポケセンに……なに? 自分も行きたいって?」

 マスターの喫茶店へ行くと聞き付けたライチュウは、デンジの腕から飛び降りて早く行こうと俺達を急かした。本当はまだ戦えるんじゃないかと思うくらい元気だ。今日のバトル、もしかして勝ったのはライチュウが気乗りしなかったせいだろうか。まあ、勝ちは勝ちだからいいか。
 少し歩いてナギサシティの郊外まで足を運ぶ。良いコーヒーの香りが漂ってきたらもうすぐそこだ。ドアを開けると、昔ながらのドアベルがカランと音を立てた。

「いらっしゃいませ」

 席へ案内してくれたスタッフは、あの人ではなかった。キョロキョロしながら席に着く。店内を見渡す限り、その姿はなかった。厨房にでも入っているのだろうか。

「今日は二人か。珍しいな」
「ああ、マスター。レインは今日は仕事なんだ。オレ、コーラ。オーバはジンジャーエールでいいんだよな?」
「ああ! あと、小腹も空いたしピザトースト!」
「おまえ、人の金だと思って……」
「ははっ! なんだ、今日はデンジが負けたのか」
「ああ……あ、マスター。フライドポテトってあったっけ?ライチュウも食べるよな?」
「チュウ!」
「じゃ、それ二つ。以上で」
「おう。ちょっと待ってろ」

 洒落た喫茶店なのに注文するのがファミレスのメニューのようなものばかりという辺り、まだまだ俺とデンジはガキなんだなぁと思う。レインがいたら、ミルクティーやシフォンケーキなんかを頼むんだけどな。

「いやー、しかし今日のバトルも熱かったな! まさか、こんな可愛い顔したライチュウが気合い玉を撃ってくるなんて思わなかったぜ!」
「技マシンが手に入ったから覚えさせてみたんだよ。もう少し命中の精度を上げないとな」
「チュウ〜」
「いいなー! 格闘タイプの技だし、機会があったらゴウカザルにも覚えさせてーなー!」

 デンジと会話しながらも、俺の視線は店内を忙しなく見渡していた。厨房からスタッフが出たり入ったりする度に、目で追ってしまう。テーブルの横をスタッフが通る度にもしかして、と思ってしまう。
 でも、どのスタッフもあの人ではなかった。

「なんだよ。さっきから、キョロキョロと」
「え!? いや、別に」
「ああ。あのメガネのスタッフを探してるのか」
「え!?」
「分かりやすいなー。おまえは」
「いいいいいや別に」
「エイルなら今日は休みだぞ」

 聞き慣れない単語に、一瞬思考が停止する。注文したメニューをテーブルの上に並べていくマスターを見上げながら、確認するように呟く。

「エイル……?」
「なんだ? 違うのか? メガネをかけたスタッフっていったら、エイルだけだからな」
「あ、いや、名前を初めて知ったから驚いたっつーか」
「「ふーん」」
「な、なんだよ二人してニヤニヤと!」
「いーや、別に? そうだ、いいこと教えてやるよ。確か今日はポケモンコンテストに出るからって休みをとってたな」
「え? ポケモンコンテスト?」
「ああ。今日のコンテストはテレビ中継される、とか言ってた気がするぞ。もう始まってると思うけどな」

 最後にニヤリと笑って、マスターは仕事へと戻っていった。
知ってる顔がコンテストに出るんだ。それは、見てみたい。きっと、理由はそれだけだ。自分にそう言い聞かせて納得させた。
 家にいるであろうバクに連絡して録画しておいてもらおう。そう思って、テーブルの隅に置いておいたスマホに手を伸ばしたが、その手は見事に空ぶった。

「あれ? 俺の……って、デンジ! 俺のスマホ勝手にいじんな!」
「ロックくらいかけとけよ。不用心だな」
「勝手に触ってるお前が言うな!」
「ほら」
「ん?」
「コンテスト。このチャンネルでやってるぞ」
「え? マジ?」

 スマホを横にして壁に立て掛けながら、デンジはズズッとコーラを啜った。その隣では、ライチュウがポテトを貪りながらも視線はしっかり画面へと向けている。

『続いてはナギサシティのエイル! 炎の竜、リザードンと共に会場を熱くできるかー!?』
「リザードン!?」

 他の客もいるからテレビの音量は小さいが、確かにリザードンと聞こえた。思わず身を乗り出す。

「相変わらず炎バカだな」
「それを言うならお前は電気バカだろ!」
「……ふーん。メガネを外すとだいぶ雰囲気が変わるんだな」

 リザードンに意識をとられてしまったが、デンジの言葉で我に返った。
 いつもまとめられている髪は解かれ、メガネは外されていた。衣装は黒と赤を主調としたパンツドレスだ。化粧だって、華やかな衣装やステージに負けないくらいしっかりしてある。
 これが本当に、あの人なのだろうか? メガネをかけて地味な格好をしてコンビニに来ていたあの人と、同一人物なのだろうか?
 そう疑ってしまうくらい、綺麗だった。

『リザードン! 炎の渦の中を飛んで!』

 リザードンの口から赤とオレンジの炎が吐き出され、高く渦を巻いて上っていく。その中をリザードンが飛び、風を起こすと、炎が弾け火の粉がひらひらと舞った。

『さあ最後よ! きみの声をみんなに聴かせて!』

 トレーナーの、エイルの声に応え、リザードンが高らかと吠えた。画面越しにもしっかり届くほどの声量なのに、決して煩いとは感じられず、むしろ聴き心地がよく、いつまでも聴いていたいと思うくらいだった。
 ポケモンの声なんてあまり意識して聴いたことがなかったけど、鍛えられたものはこうも違うものなんだな。

「はー……かっこいいし綺麗だなー……」
「どっちが?」
「だーかーらー! お前はさっきからなんなんだよニヤニヤと!」
「別に?」

 炎の渦。空を飛ぶ。吠える。三つの技で構成された演技に審査員達は高点数をつけた。これは、このまま優勝するのでは? と、思ったのだが。
 全てのトレーナーとポケモンの演技が終わり、表彰へと移った。エイルは、二番目に高い表彰台へと登っていた。優勝したのは、エイルの次に演技をしたトレーナーとポケモン……メリッサとムウマージだった。

「準優勝か」
「惜しかったなー!」
「トップコーディネーターでもあるヨスガジムリーダーのメリッサが相手だと、分が悪いよな」
「そうかもしれないけどよー……」

 メリッサと握手を交わすエイルは、力を出しきった!と言うように笑っていたが、どこか悔しそうにも見えた。いくら相手がトップコーディネーターでも、自分より遥かに格上の相手と分かっていても、負けて悔しくないはずがないんだ。

「何も知らないんだよなぁ……」

 俺は彼女のことを、何も知らない。コンテストに出る理由も、手持ちのポケモン達のことも、この喫茶店で働き出した切欠も。ただの喫茶店のスタッフとその客という関係なんだから、それが当然であるはずなのに、何故かそれが少し寂しかった。



2019.7.22


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