「テツヤ、人間は汚い生き物だ」


口元を吊り上げてそう笑うと、目の前のテツヤは驚いたようにその場に立ち尽くしていた。わかっている、僕の言葉ではなく、僕のしている行為にテツヤは驚いているんだろう。僕の愛しく愚かなテツヤ、たかが手にハサミを食い込ませただけでそんな顔をするなんて、予想外だったよ。テツヤのことだから、お得意のポーカーフェイスで済ました顔をしていると思ったんだけど、やっぱりテツヤも人間なんだね。なんて、僕が言えたことではないのだけど。


「赤司君っ、血、血が……っ!」
「人は自分の欲に嘘は吐けないんだよ」


目の前で慌てるテツヤを余所に、僕はそう続ける。
どうしてこんなことになったかといえば、簡単な話だ。部活が終わり、テツヤに最後まで残っているように指示をしておいた。不思議そうな顔をしたテツヤは、そんな思いを口にすることなくわかりましたと返事をした。もちろん僕は単に一緒に帰りたかっただけなのだけど、空気を読んだのか神様の悪戯か、帰り間際に雨が降り始めた。空が薄暗くなっているとは思っていたけれど、雨が降るというのは予想外だった。そのおかげでテツヤは、雨を振ることを僕があらかじめ知っていた上で帰りを遅らせたと思い込んでいるようだった。結果はどうあれ、テツヤに好いてもらえたことに違いはないだろう。
だけど普通に帰るだけではつまらない、と、僕は着替えをしながら思った。既に着替え終わっているテツヤは文庫本に目を落としており、特に何かを思うような様子はなかった。初めに言っておくと、僕はテツヤに興味があった。それが愛情か、それとももっと稚拙な感情なのかはわからない。けれど間違いなくバスケ部の、特に涼太辺りはテツヤに好意を持っていることは間違いなくて、そんなあいつらに一線置きたかった。幸いテツヤはほらの奴らも、もちろん僕にも特別な感情は抱いていないことだろう。
なら今がチャンスであることに違いはない、僕はそう確信し、着替えを早々に終わらせ、カバンに入っているハサミを取り出した。テツヤ、と名前を呼べば、どこまでも忠実な彼は顔を上げる。何ですか、と、短い言葉を発し、文庫本を閉じる姿を見た後、そのハサミを開き、自分の手に深く食い込ませた。と、これが今までに至る経緯だろう。

テツヤは未だにどうしていいかわからないと言った顔をしている。ただ目の前で血が流れる手を見つめ、震え、視線だけを動かして薄暗い部室の中で救急箱を探しているようだった。もっと、僕のことだけを考えればいい。それが例えどんなものであっても、テツヤが僕だけを思うなら。そう思い、テツヤの手を握り、血が流れる自分の手へ押し付ける。


「っ……!!」
「ねえ、テツヤ、どんな手段であれ、やっぱり叶えたい願いって言うのはあるだろう?」


僕はどんな手段であれ、テツヤに僕だけを見てほしい。だからこうして目の前でこんなことをして見せたんだ。結構痛いけれど、でも、感覚が麻痺しているのか、血の微妙な温度だけが僕に確かな感覚を与えていた。触れる血が気持ち悪いのか、テツヤは顔をしかめて必死に声を出さぬように耐えている。かわいい、なんて思うのはやっぱり不謹慎だろうか。ぬるりとした感触と、テツヤの手の感触がなんとなく心地よくて、そしてテツヤが自ら振り放そうとしないであろうこともわかっていたから、僕はそのまま続けた。


「僕はテツヤに興味がある」
「ぼ、ボクに………?」
「だからね、テツヤにも僕に興味を持ってもらわないとと思ったんだ」


僕の言っている意味がわからないのか、テツヤは目を白黒させていた。やっぱりテツヤは無知で愚かだ、そう確信すると、ぐっと手を握る力を込める。増す感覚にテツヤが再び顔を歪ませる。


「今テツヤの手にある温度は、僕の血の温度だ。テツヤしか知らない、ね」
「そっ………そんなの、別に、血じゃなくてもいいじゃないですか……!」
「こっちの方が印象的だろう?」


バカですかと言いたさげな、普段よく大輝に見せている表情をテツヤはしていた。そうだね、もっと身近なところで僕のことを話せばテツヤも僕に興味を持ったかもしれない。でも、やっぱり最初の一発目って言うのは、強烈なものじゃないとつまらないだろう?
だくだくと垂れ流れていた血が漸く止まり、少し垂れてしまった血は赤黒くなっていた。


「言っただろ?人間は汚い生き物だって」
「…………」
「手段を選ばなければ、その気にさせる方法なんて山ほどある」


今はこれだけで勘弁してあげるよ。僕はそう言って、テツヤの手をゆっくり離した。案の定テツヤの手にもついてしまった僕の血は、やはり乾いて赤黒くなっていた。それ、どうするんですか。テツヤが少し不機嫌そうな声でそう告げる。やっぱり少しばかり強烈すぎたかな、なんて思うものの、結果的には平気だろうと思った。平気だ、そう短く言って僕はロッカーから包帯を取り出した。とりあえず適当に血を拭いて包帯でも巻いておけば、今のところは平気な傷だろう。そこまで深く刺していないのに、血があそこまで出たのは自分でも予想外だった。


「じゃあテツヤ、帰ろうか」
「…………はい」


忘れずカバンから折り畳み傘を出すと、テツヤは大人しく僕の隣に付いた。帰り道、会話という会話なんてものは存在していなかったけれど、しきりにテツヤは僕が握った手を気にしていた。気持ち悪いと言わんばかりの顔をしていたのに、本当にうまくいってしまったんだと笑いが起こりそうになる。これが所謂つり橋効果、というものだろうか。ともあれテツヤは僕を意識し始めたようだし、もう僕が直接手を下すことも必要ないだろう。これから如何にテツヤが僕に接してくるか、楽しみにしておくことにしよう。




「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -