“藍ちゃんに、もうひとつお話したい事があります。病院の屋上まで来て下さい”


たったそれだけの短い文面は今朝、結佳から送られてきたメールだった。携帯画面に表示されている文章を目にしたボクは、頭上に疑問符を浮上させる他ない。言葉通り屋上へ向かうべきか、まずは結佳の病室を伺い彼女の存在を確認すべきか。答えなど始めから分かっている筈なのに、なぜかその選択肢を素直に受け入れる事を躊躇った。迷いが生じたこの状態で、結佳の元へと向かっていいとは思えなくて。



「…………はぁ…」



自身の気の迷いに、嘆息をひとつ。このまま向かわないにしても彼女の事だ、ボクが姿を見せるまで屋上に1人居続けるに違いない。決心を固めたボクは緩慢な足取りで屋上への道筋を歩んでいく。不思議と、内心は穏やかだった。


屋上へと続く階段を登る度、鼓動は加速する。唯一響く足音だけが脳裏に響いた。およそ7段、屋上までの歩数を胸中でカウントを刻みながら段を上がれば、必然的に扉前へと辿り着く訳で。思わず、息を呑んだ。扉の取っ手を捻り押せば、ぎいっと軋み開く音が耳に届く。視界を捕えたアスファルトは着色こそされていたけれど、どこか殺風景だった。



「………結佳、」


「…あ、藍ちゃん…わざわざ来てくれてありがとう」



屋上に1人、扉に背を向け佇んでいた彼女の背後から結佳、と小さく声を掛ける。微かな微風に髪をなびかせ振り向く彼女の姿に、ボクはただ、儚いと思った。ボクたちの間を駆け抜ける風は普段より冷気を纏っているような気がしてならない。



「……あのね、一昨日話した事、藍ちゃんは覚えてる?」



唐突に、脈絡のない会話を切り出されボクの思考は停止した。一昨日話した事、それはきっと彼女自身が抱えている病気についてに違いない。ボクは、当然でしょ、と愛想のない一言しか返答出来なくて。そんなボクに結佳は呆れる事もなく屈託のない笑みを見せた。ボクの言葉を耳にした結佳は数秒の沈黙の末、薄く開かせた唇から小さく言葉を洩らす。



「……私が両親と一緒に暮らしてた時、記憶がなくなったのは1回だけじゃなかったんだって。今だから言える、って訳でもないんだけど、私、藍ちゃんの事はデビュー時から知ってたんだ。……多分、それからかなぁ。私の記憶が留まったままでいるのは」


「…………どういう事?」


「私ね、藍ちゃんの存在を知ってから今までの5年間、記憶が失われてないの」



急にこんな事言われても困るよね、そう呟いた結佳は眉尻を下げボクを見据えた。彼女の言葉の深意を解する為、早急に深意を考案すれば、つまり、結佳の記憶にボクが刻まれてからその後の記憶はリセットされていない、という事になる。それはかなりの確率の上に成り立っているのではないのだろうか。ボクに手紙を送り続けてくれていた彼女自身と対面を果たさなければ知り得なかった事実に、結佳にとって“美風藍”というアイドルはどのような存在だったのか、興味を抱くボクがいた。この感情はただの好奇心から芽生えたものなのか、それとも、アイドルのボク自身に嫉妬し芽生えたものなのか。その答えをボクは知っている。知っているからこそ、今は言うべきではないのだろう。



「………ありがとう、」



今にも消え入りそうなか細い声は、結佳に届いていたのだろうか。ざあっと音を立て、ボクたちの間を吹き抜けた風の向こうには、儚げに微笑む結佳の姿があった。



呼び出された土曜日
(君がボクを支える存在であるように、ボクも君を支える存在でありたい)



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