とろんと深い暗闇でもがくというのはいつも見る夢の話で、錫という金属を名前に持った俺はどこまでも沈んで想いの嵩を上げてゆく。月子、そう呼べば淡く光る彼女はなあにと答えて俺の手を掴む距離にいつも居た。
繰り返し、三年間見続けた夢の話だ。
月子との距離が段々遠くなる。淡く光る体は沈む俺とは反対に水面へと浮上していく。明るい方へ明るい方へと浮かびついにはその身体へ誰かが手を伸ばし、地上へと引き上げた。


そんな夢を見たのは卒業式の当日であった。
赤い薔薇を左胸に飾り、下級生からみずみずしい一輪のチューリップを受け取る。ガチガチに固くなっていた下級生にありがとうと微笑んで月子は相変わらず誰にだって優しい。
式が終わってもあいつの周りは賑やかで、俺はそれを遠くからぼんやり眺めていた。活動的だった月子は色んな所で引っ張り凧にされているらしい。俺はいつも寂しいふりでいて嫉妬している。それは周りにではなく月子に、だ。あいつの立つ場所はいつだって明るいから、皆引き寄せられてしまう。いつだってあいつは俺が与えた物とは違う物を持ち出してはそれを高く評価されていた。
俺は月子がとても羨ましかった。

「錫也、」

挨拶も一通り済んだらしい、ソプラノの音色で俺を呼ぶ。どうした、と努めて優しい声を出した。
校門まで続く並木道の桜はまだ咲いておらず、淡く色付いた蕾が枝をしならせていた。風が月子の前髪を攫っていく。

「早いね、もう卒業だよ」
「三年なんてあっという間だったな」

月子が蜂蜜色の瞳で俺を見上げた。太陽が雲に隠れて顔に影が注す。

「……私、これで本当に良かったのかな」

何を言うんだ、俺からしたら充実した三年間を送っていたように見えたよ。
その言葉が出て来ないのは俺が月子の全てを見てきたとは言えないからだ。入学して少しずつ変わっていった表情、見える角度。俺はきっと光の当たった月子しか見ていない。幼なじみである月子しか知らない。
お前は何を感じ何を考えこの三年を過ごしたの。月子、呼ぼうとした名前は静かに響く声に掻き消された。

「夜久月子」

春一番の突風が吹いて、長い髪を、視線を攫っていく。揺れる蕾と枝がざわめいていた。色素の薄い金色の下、俺と反対の赤い瞳は揺らがずただ真っ直ぐ月子を映している。雲の隙間から差す光がスポットライトみたいに二人だけを照らしていた。

「あんたを迎えに来た」

風と共に突然現れた彼はそのまま月子に手を差し出した。月子は黙ってそれを見つめている。
この人は誰なんだとか、月子と面識はあるのか、なんで今更だとか疑問は山ほどあるのに俺の視線は二人に縫い留められたまま動かない。息が上手く出来ない。どうかその手を取らないでくれと俺はただそればかり祈っていた。

「……錫也」

名前を呼ばれた。救われた心地で月子を見ると、その視線は彼に注がれたまま動かない。薄い唇がゆっくりと動く。どぷん、俺はまた深く沈むのだろうか。

「錫也、わたし、この人と一緒に行く」

伸ばした手は届く事なく髪を掠めて空を掴んだ。
遠くと思った月子の存在はすぐ隣で、なのに指先すら届かない。その背中は眩しくて眩しくて、俺は目を開けられないでいる。

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