僕と同じ、薄紅が夕焼けと同調してぼんやりした光を放っていた。聞けば年は十九、僕と殆ど変わらない。彼女は明後日、祖父の元へと嫁ぐそうだ。

「ちょうど話し相手が欲しかったの、ゆっくりしていって何もないけれども」

祖母は僕に警戒もせず、華奢な造りの椅子へと座らせた。嫁入り前のお嬢さんが不用心ではありませんか?と問えば、

「だって貴方私の孫なんでしょう?」

と面白そうに笑った。
祖母は快活な少女であったらしい。僕の知る祖母はもっと穏やかで無口だ。窮屈な田舎町にあるあの家が、祖母から何かを奪っていったのだろうか。唇を噛み締めれば祖母に眉間を押された。

「難しい顔をするのね」
「少し、考え事をしていて」
「気晴らしに何か弾きましょうか?」

そう言いながら祖母は部屋の隅に置いてあったピアノの前に座る。

「ピアノ弾けるんですか?」
「ふふ、上手くはないけれどね」

祖母がピアノを弾ける事も僕は知らなかった。此処に来て知らない祖母ばかりが顔を見せる。
戸惑う僕に祖母は簡単な曲を一つ弾いてみせた。

「颯斗、音楽は好き?」

唐突にそう聞かれて僕はすぐに答えを出せなかった。音楽は生まれた時からずっと隣にあって僕の世界の殆どを占めていると言っていい、それなのに僕はそれを愛しているとは言えない。何故なら音楽のせいで僕はこんなにも苦しんでいるからだ。好きなのに、これしかないのに、その音楽で評価されない。愛されない。いつも僕を追い詰める。
この家に音楽さえ無ければ、そう思うのに僕はそれが無くても両親から愛される自信がない。

「……嫌い、です」
「そう」

祖母はただ静かに頷いた。

「ねえ、一曲弾いて」
「貴方は僕の話を聞いていたんですか?」
「聞いてたわ、でも貴方の指が鍵盤に触りたがってる気がするから。ねえ、お願い一曲でいいの」

僕は溜め息を吐いて一曲だけですよ、と一番好きな曲を弾いた。和音の少ない、透明な曲だ。これを僕は家族の前では二度と弾きたくないと思っていた。
ぽろり、ぽろん、
颯斗の高音ってなんだか泣いてるみたいなのね、情けない。どこまでも女々しい子

「……泣いてるみたい」

祖母の言葉に体中の血が沸騰する心地がした、やはりこれは家族の前で弾くべきではなかったのだ。

「颯斗、泣きたいの?」
「泣きたくなんか、」
「音楽は正直よ、嘘はつかないの」

そう言って祖母は僕の頭をゆっくりと撫でた。その手つきは昔泣いていた僕の頭を撫でてくれたものと同じで何だか本当に泣きたくなってくる。大人になれば強くなれるのだと、もう泣かないで済むのだと幼い自分は漠然と考えていた。ところがどうだ、実際はこんなにも痛がりで脆い。

「私の可愛い孫に一つ呪いを教えてあげましょう」
「……呪いですか」
「そんな怖い顔しないで……全ての人間がかかる呪いよ、きっと誰も逃げられない。颯斗、本当に好きなものからは逃げられないの。貴方が幾ら逃げてもどこまでも追いかけてくるわ」

祖母は僕に人差し指を突き付けて笑った。

「私が音楽が好きで、これからそれが溢れたお家に嫁ぎます。でも私が大好きなピアノを弾く事はきっとないでしょう。私は、女は家を守らねばならない
寂しいけれども不幸ではないは、好きな物に囲まれるのはきっとすごく幸せなこと。私はこれから色んなものに縛られる事になるけれども音楽はどこまでも自由なの。
颯斗、好きなら逃げずに弾き続けなさい。泣いてるような音も満たされない孤独も全部愛してくれる人がいるから」
「……、そんなの」
「言ったでしょう、これは呪いよ」

祖母はそのまま僕の頭を撫で続けた。

「寂しい音にもいつか意味を見付けられる日が来るでしょう、これは全部私のかけた呪い」

「私の可愛い可愛い孫がどうか幸せでありますように、」








目を覚ますと僕は自室のピアノの鍵盤に伏せていた。冷えた涙が頬をするりと撫でるように流れる。

「……呪い、」

白い鍵盤を一つ叩く。相変わらず頼りない、泣き出しそうな音だ。いつか来るだろうか。孤独も傲慢さも許してやれるだろうか。

本当に好きな物は逃げてもどこまでも追いかけてくる

それが真実なら昨日から繰り返し携帯を鳴らしてくる人達に僕は伝えなければならない。
何も言わずいきなり飛び出してきて、心配しているだろうか。今は電話越しでも、いつかきちんと面と向かって言えたらいい。ありがとうと、もう逃げないと、伝えなければ。



そして僕は今日も芍薬を飾る。
僕を本当に愛してくれていた貴女へ、



みちる



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