勝家様のお部屋の襖が開け放たれていました。すうと初夏の風が吹き抜けていきます。ちらとのぞくと萌黄のお着物をお召しになられた勝家様がごろんと寝転がっておられました。わたしは少しぎょっとしてしまいました。

「勝家様?」

もしかしたら具合がよろしくないのかもしれません。勝家様はあまりそういったことを口になさる方ではありませんので、わたしたち侍女が気づかなかったのかもしれません。わたしはとても心配になり声をおかけしました。
勝家様は光のない虚ろな目をこちらに向けただけでした。そばにはわたしが生けたはずの白百合が一輪ころがっておりました。わたしはますます心配になりました。

「勝家様」

もう一度声をおかけいたしましたが今度は視線すらいただけませんでした。わたしは少し近くまで寄り正座しました。

「どうかなさいましたか」
「…なまえか」

勝家様はようやく返事をしてくださり、ゆっくり体を起こされました。重たそうに目を伏せられたその表情はひどく憂いを帯びています。勝家様は少し疲れただけだと言いました。

「お休みになられるのなら、蒲団を用意いたしますが」
「必要ない」

勝家様はそう言うとふっと顔をそらしてしまいました。勝家様の御髪がかすかに揺れました。そのお顔は確かにお疲れになっているようでした。

「膝をお貸しいたしましょうか」

そのまま勝家様を置いておくのもいかがなものかと思いまして、わたしはそう申し出ました。勝家様は再びこちらを向かれ、ゆっくり一度まばたきをされました。勝家様の吸い込まれそうな瞳に捕らえられ体を固くしているあいだに、勝家様は目を伏せられました。すると勝家様はずるずると姿勢を崩され、何を仰るでもなくわたしの膝にこてんと頭を乗せられました。なんだかすこしむず痒い心持ちになりました。

「難しいことでも考えておられたのですか」

わたしは手のやり場に困っていました。畳の上に置いたり、ましてや勝家様に触れるなどとても忍びない気がしたのです。しかしわたしはそっと勝家様の萌黄のお着物に触れてみました。わたしは勝家様に触れる方を選んだのでした。なぜなら勝家様の後ろ頭がどうにも寂しそうに見えたからです。そうして先の言葉を発しました。

「昔のことを思い出していた」
「昔のこと、というと」

勝家様はお答えになりませんでした。わたしは少し出過ぎた真似をしたと後悔しました。

「花を…」

勝家様が小さく手を伸ばして言いました。その先には白百合が転がっていました。わたしはそれを勝家様に手渡しました。まだすこし水に濡れていました。
勝家様は白い花びらを撫でたりつまんだりしてしばらく白百合を愛でておられました。その様子はすこしばかり意外ではありましたがわたしはあまりの美しさに見とれてしまいました。

「叶わぬ思いは抱くべきではないとそう思わないか」
「わ、わたしは…」

勝家様はそう呟かれました。その気持ちは痛いほど分かります。ですが一度抱いてしまった思いはなかなか消えるものではありません、わたしはなんと答えていいのかはなはだ見当もつきませんでした。

「忘れた方が、いいのだろうが」

勝家様はお持ちになっていた白百合をすこし乱暴に投げました。わたしはその花を見て、寂しいような晴れ晴れしたような、とても複雑な気持ちになりました。

「お市様…」

かすれるような声でした。ですが勝家様は確かにそう言ったのです。膝に乗った勝家様の重みがずっしり心に響きました。