暑い暑い夏の日。幼なじみの精市の手術の日。これまでいろいろあった、と思う。

 まず精市は私に長らく病気のことを隠してた。私マジギレ。精市のほっぺを思いっきりビンタした。ついでに病院なのに大声も出してあとで大目玉食らった。

 それから病気のせいで多少ネガティブになってた精市と大喧嘩。最初のは私が一方的にキレて精市は申し訳なさそうな感じで聞いてたからまだマシだった。今度は私も精市もマジギレ。私も精市をまたビンタしたし精市も二発くらい殴ってきた。理由はなんだったっけ。たぶんお互いがお互いの癇に障ること言ったとかそんなん。私たちがそんな喧嘩をするのはしょっちゅうだったから精市をぶつのも精市にぶたれるのも今更どうってことないけど、あのときの精市はいつもより弱々しいぶち方だった。それなのにいつもより痛くて、無性に悲しくなって、私がべそをかいて終わり。そのあと二人そろって再び大目玉。師長さんメチャメチャ怖かった。

 極めつけは、精市が泣いたこと。大喧嘩のあと呼び出されてお見舞いに言ったらもうテニスができない、俺はもうダメだって精市がめそめそ泣いてた。びっくりした。精市があんな風に泣いてるところなんて、見たことなかったから。そのときばかりは精市があまりにちっぽけで脆い存在に思えて、私は抱きしめてあげることしかできなかった。精市の中では精市イコールテニスで、周りもそう思っているものとすっかり思いこんでいるらしかった。でも私の中の精市は意地悪を言ったりしてることの方がよっぽど多くて、精市イコールテニスなんかじゃなかった。精市は精市なんだから、というのが私の言い分だった。彼はこれで肩の荷が下りたのか泣き止んでくれて、君の服で鼻水啜ってもいいよね、なんて言えるくらいには元の精市に戻っていた。でもこうなるまでだいぶかかったみたいで(大喧嘩からしばらくはお見舞いに行ってなかった)、面会謝絶なんかもして荒れに荒れてたらしい。そうしたらだんだん寂しくなったとかで。面会謝絶の間チームメイト、特に真田にはひどく八つ当たりしちゃったらしく会うのが嫌だったみたいでお呼びがかかったのが私というわけ。ちなみにこの話は全部精市本人の口から聞いた。今でもちょっと信じられない。あのときの精市はびっくりするほど素直で、弱ってたんだと思う。

 こう考えると今日の精市は随分落ち着いている。私を彼のお母さんより早くに来いと急かした暴君っぷりは落ち着いてないけど。手術の前に、君と話がしたくて。まだ朝の日差しをたっぷりたたえている病室で、精市はまるで王子様みたいに微笑む。ふつうの女の子ならこれでイチコロだろうけど、生憎私はコレになんども騙されてきた。軽く流して精市の隣に座った。

「ねえ、お願いがあるんだ」
「なに?」

 今日くらい、聞いてやろうじゃんと思った私が馬鹿だったのかもしれない。精市の口からは、キスしてよ、なんて言葉が飛び出てきたのだ。恋人でもないのに、なんで。

「お願い。安心できる気がするんだ、ね」
「…精市がするんなら、いいよ。ファーストキスが自分からは絶対に嫌」

 断ったら精市とはもう会えない気がした。ほんとはすぐにでも頷きたかった。でも頷いたら精市はどこかに行ってしまう気がした。精市はケチ、だなんて私の気も知らないで吐き捨てた。
 精市はゆっくり唇を重ねてきた。綺麗な、顔だった。こんなんでテニスしてるなんて嘘みたい。キスはほんの触れるだけの短いものだった。なんだか、不安になる。

「…私じゃなくてもよかったじゃん。おばさんとすれば」
「おまえじゃないといやだ」
「なんで」
「おまえが好きだからに決まってるだろ」

 あーあ、言っちゃった。今から死ぬかもしんないんだし言うならあとでって思ってたのに。やっぱり未練があるんだ。あーあ。
 精市はわざとらしくそう言った。なんだよ、もう。

「もうこの際だからキスして。じゃないと手術失敗しそう。おまえがケチだから。ぶっちゃけ今俺すんごい怖いの。ちょっとくらいワガママ聞いてよ、ねえ」
「精市、」

 精市が怖くて不安な気持ちを虚勢を張ることで抑えようとしてるのはよくわかる。ほんとは今すぐにでも泣いてしまいたいんだ。きっと。

「なんだよ」
「さっきの答え、聞きたい?」
「うん」
「帰ってきたら言ったげる。キスだってしたる。だから行ってこい、精市なら大丈夫」

 無事に帰ってきてくれたら、私はそれでいいのだ。それからまたテニスができるよう
になれば一番いいんだろうけど、私はまず精市に手術を頑張って、無事帰ってきてほしいのだ。そのためだったら私はなんだってしたい。今答えてあげるより、後の方がきっといい。

「ほんとに?約束だよ、破ったら殺す」
「はいはい」

 精市はむっとしたみたいだけど、私はほっと胸をなで下ろしたい気分だった。
 そろそろおばさん来るだろうし、と私は病室をあとにすることにした。あとで来るね。精市はまた来なかったら殺すなんて物騒なことを言ってたけど。精市はバイバイ、と手も振らずに言った。同じ言葉を返すものか。また後でね。私は精市にそう言うと、最初から決めていた。
 麻酔から醒めた精市に、まず好きと言ってやらなければならない。それから約束通りキスをする。気恥ずかしいけど喜ばしいそれが出来る近い未来を思って、私は夏の世界に降り立った。病院は冷たい。外はこんなにも熱を持って生き生きしているというのに。
 精市なら大丈夫。無事手術を終えた精市の為に、私は彼の好きな花を買いに出かけた。