私が事故に遭ったのは、もう三年は前のことだったか。脚の自由を奪われ、車椅子の生活を余儀なくされた私はもう昔の暮らしの面影も記憶も薄くなってしまった。かなり高い方であった背丈はそれと同じくして見る影もなくなり、背丈の低いなまえの代わりに何かと世話を焼いてやることも出来なくなった。私は私のことを全て一人でやれるし、経済的になまえに縋るわけでもなく、なまえの態度も昔と何ら変わりない。それでも私はなまえの手を引いて歩いてやることも、抱き寄せてやることも、満足に出来ないことに変わりはなかった。なまえがあの頃と同じ笑顔を浮かべる分、余計にそれがもどかしかった。力仕事が得意でない癖に、飽きずなまえは私の車椅子を押す。重いだろうに、辛いだろうに。なまえは、私とゆっくり歩いてゆっくり話せることがそれはそれで幸せだと言う。その言葉が嘘だとは思わない。私の愛したなまえの言葉だ、疑おうとは思わない。それでもなまえは本当に幸せなのだろうか、私を重荷に思わないだろうか、少しだけ、不安になる。私はなまえだけを愛すると誓った。誓わずとも彼女以外を愛そうとは思わなかっただろう。私は彼女の側にいたい。だがそれが彼女の負担になるなら意味がない。不自由を感じなくなるほどにはこの身体に慣れた。不満もない。それでもやはり、なまえに車椅子を押される度に、以前のような足が欲しいという思いが湧き上がってやまないのだ。