真波が死んだというのに私は、泣くことは愚か悲しむことすら出来なかったのだ。真波が死んだ。第一報を聞いたときの私の反応は、あ、そう、である。不思議なことに私は、実感が湧かないとか、信じられないとか以前に、真波が近いうちに死んでもおかしくないと思っていた。彼の葬儀ではたくさんの人が泣いていたが、私は彼の遺影をぼうっと見つめていただけである。真波の恋人という立場にあった私に、人々はたくさんの慰めの言葉をかけてくれたが、私は特に何の感情も抱くこともなく、真波は死んだんだなあと他人事のように考えていた。さらに不思議なことに私は、真波の幻影を見るよようになった。
「おはよう」
朝起きると真波が浮いているのである。いつもと何ら変わりのない笑顔で、浮いているのである。
「おはよう」
真波は浮いているのである。確かにそこに。私以外には見えないらしかった。
「毎朝毎朝、懲りないね」
「君が泣いてくれないからね」
彼はどうも私が彼の死に際して一縷の涙も流さなかったことを恨んでいるらしい。お言葉だがそんなふうに出てこられては余計泣けないのではないだろうか。
「なんでそんなに泣いて欲しいの?」
「そういえば君の泣き顔って見たことないなあと思って」
「恨まれてるのかと思った」
「べつにそういうんじゃないよ。まあちょっとはショックだったけどさ」
浮いている以外は何の変哲もない真波であったが、真波は無重力を楽しむかのようにくるくるくるくる回転してみせるので、これは夢か幻の類か何かのように思えてくる。実際夢か幻の類であるだろうが。
「そうだ、久しぶりにさ、キスしていい?」
真波がキスをねだるときはいつもへらへら笑っていたので、私は断れた試しがなかった。私はいつだっていいよと言ってしまうのだ。
「いいよ」
浮いた真波がすうっと近づいてくる。質量を感じさせない真波。嫌な予感は、した。真波との距離が数センチまで縮まると私は目を閉じた。
「あれ」
真波の間抜けな声に私は目を開けた。目の前に真波はいない。正確には、私の腹から真波の下半身が生えていた。やっぱりね、と私はため息をついた。漫画やドラマならこうなるのがお約束だろう。幽霊と接触可能だなんて話ついぞ聞いたことがない。それが私たちにも適応されたまでだ。真波の乾いた笑いがおかしかった。
私の腹から真波の下半身がすうっと抜けていき、真波はまた私の前に浮遊した。
「おかしいな」
真波は笑ったままぼろぼろ泣き出した。お前が泣いてどうする。私の泣き顔が見たくてこんな姿になってまで現れたんじゃないのか。そもそも幽霊が泣けるのか。私はこんな状況でも無感動だった。
やっぱり死にたくなかったなあ。泣き笑いの真波が言った。君としたいことたくさんあったんだよ。真波は私の頬に手を伸ばした。真波の質量のない手は頬をすり抜けていった。真波の澄んだ目が目の前にあった。泣きはらした瞳に現実味なら多分にあった。だが。
「君に会いに来るんじゃなかった」
それは私の台詞だった。懲りない真波がまたキスを試みた。無駄なことを。結果は同じだろうに。私の読み通りまた腹から真波を生やすだけに終わった。ふーん、やっぱりね。終いには笑え飛ばせるようになったとき、私の頬がようやく濡れた。