Ancient old luna


 細い、月だ。
 まるで、闇を切り裂いたような、三日月。

 突き刺さるような、月光。



Ancient old luna



 暖房も切れ、灯り一つ点いていないその部屋は、ひどく寒々しい。

 昼間ならば質問の解を求める学生がひっきりなしに訪れ。
 学生の足が途絶えた後も、一番弟子と助手が楽しげに言葉を交わし。
 とにかく、人の声が途絶える事はない。
 陽光、陽だまり。
 そんな言葉が、昼間のこの部屋の形容に相応しいだろう。

 形なりに片付けられた作業机に手を置き、デスコールは空を見上げる。
 白い仮面。
 そのぽっかりと空いた虚ろな黒の部分からデスコールが見ていたのは。

 夜の空に孤高に君臨する、真白く、鋭い月だった。

 手を伸ばし、その形をなぞれば。
 触れるなとばかりに切り裂かれそうな、剣の如き三日月。

「・・・・・・」

 あげかけた手を、デスコールは降ろす。
 主不在の研究室。
 仮面の男一人を包む、静寂。

 何故自分は此処にいるのだろうと、デスコールは自問する。
 三日月が天高く居座る時間帯。
 仕事場であるこの場所に、大学教授が残っている訳がない。

 そんなことは、この部屋の明かりが点いていない光景を見た瞬間に、分かっていた。
 それでも、この場所に足を踏み入れていた。

 机の上に放置された専門書に触れる指は、冷え切っている。

「アンシェント=アルテルナ」

 本の題名をなぞる自分の指が霞んで見え、デスコールは一度眉をひそめた。
 外見から分からないように不快感を表し、なお揺れ続ける視界に額を押さえる。

 世界が揺れている。
 否、揺れているのは自分の意識か。

 何もかも放り出したい気持ちになっているのは、何故だろうか。
 
 倒れこむようにソファに腰かけた時。
 静かに、研究室の扉が開かれた。

「デスコール?」

 こんな時分に誰だろうか。
 棚に上げた自分の、まさにその名前を呼ばれて、デスコールは気だるげに首を動かす。
 その所作一つさえ、ひどく億劫だった。

「ああ、レイトンか」
「ああ、レイトンか。じゃないよ。こんな寒い場所で、何をしてるんだい?」

 科学者の神出鬼没さは理解しているレイトンは、デスコールに此処にいる理由を問わない。
 ただ、何をしているのか。
 そこが純粋に疑問だった。

 大学まで歩いてきたからだろう。
 隣に座ったレイトンは、躊躇いもなくまいていたマフラーを外した。

「君こそ何をしている?まさか、今から仕事でもないだろう」
「最初に聞いたのは私、何だけどね。忘れものだよ。資料を置き忘れてしまってね。それがないと、論文が一文字も進まないんだ。で、君は・・・」
「分からない」

 率直に答え、のそりとデスコールは、ソファに身を任せた。
 ぐったり、という擬音が的確か。
 どこか心許無い雰囲気の科学者の仮面の前で、レイトンはひらひらと手を振った。

「なんだ?」
「疲れているね。今度は何をやらかしたんだい?」
「・・・・」

 ゴスン。

 そんな音が聞こえそうな勢いで、デスコールは自分の頭をレイトンの肩の上に落とす。
 八当たりのような動きにレイトンの方も痛かったが。
 同じかそれ以上に、デスコールのこめかみの方が痛かったかも知れない。

 レイトンの予想を嘲うかのように、デスコールは一度、深く息をついた。

「私は、奪う為には手段を選ばない。利用できると思えば、何であろうと利用する。権力、愛情、盲信。人の命、記憶であっても」
「うん、それは。良く知っている」

 霧の町での邂逅以来、何度も何度も相対し。
 時には気紛れな科学者から助けを借り。
 それほど長くない時間の中で、レイトンは隣に座る科学者と、浅からぬ因縁があることには気付いていた。

 ただ、それが何かと問われても。
 レイトンには答える事が、出来ない。

「私が事を起こすたび、君は私の邪魔をする。いいや。君がいなくとも、私が求めるものは一向に見つからない。手掛りは次々と失われ、この手から崩れ落ちていく」

 かろうじて部屋を照らす月光。
 その青白い光に浮かび上がる科学者の顔に、いつもの余裕も笑みもない。

 ぐったりとレイトンに寄り掛かる姿勢からは、強張った印象が伝わってくる。

 月が雲に覆われ。
 この部屋が闇に包まれた瞬間。
 この科学者は闇に溶けて、二度と姿を現さないのではないのか。

 そう思えるほど、今の彼は虚ろだった。

「私は、奪い続けるだろう。求めるものを手にするまで。・・・違う。求めるものを、手にしても。終着点が見えないのだよ。手にしても手にしても、きっと全ては、私の手から失われていく」

 常の彼ならば、決して口にしないはずの弱音。
 それを、レイトンの目の前ではいている。

「探し物を諦める。そう言う訳には、いかないんだろう?」
「・・・・・」
「デスコール。私はまだ、君の事を知らない。思い出せていない、といった方がいいかも知れないけれど。とにかく私は、君の事について、ほとんど知らない。君の目的も、探し物も。何故君が、私を知っているのか。何一つ。だけどね、言える事もあるよ」

 君が抱えるもの何一つ、知らないけれど。
 こちらだけ知っている事も、ある。


「君がある日突然。消えてしまうのは、寂しいな」


 敵対関係にある人間に、こんな事を言うのは滑稽だろう。
 でもそれは、レイトンの本心の一つだった。

 ロンドン一の頭脳と、人々はもてはやす。
 解けぬ謎があれば、人々は自分を頼って駆け込んでくる。
 嫌いではないが、好きでもない。

 彼らには、レイトンの願望を、叶えられない。

「君と語りあう時間は、好きだからね」

 時には事件を、時には剣を。
 時には言葉を挟み。
 デスコールと相対する時間は、嫌いではない。

 それは、事件は多くの人間に迷惑や被害がかかるし、剣で争うというのは、相手を傷つけることと同義。
 とても認められたことではない。

「私と君は、分かりあえないだろう。でも、君が私を対戦者に選んでくれた事は、嬉しいと思う」
「英国紳士らしからぬ、物言いだな」
「たまにはいいじゃないか。ここには、私たちしかいない」

 質問があると訪れる学生も、相談事を持ち込む学長も。
 謎を運ぶ郵便屋も。
 己を慕う弟子も優秀な助手も。
 今この部屋にいない。

 皆順当なリズムに従い、深い眠りに落ちているだろう。

 ここに在るのは、シルクハットの大学教授と、仮面をつけた科学者と。
 古を綴り伝える文献や化石。
 そして、鋭い剣を携えて、孤高に光を振り下ろす、冷たく澄んだ三日月だけ。

「何を言っても咎められない。だから、全部言葉にしてしまえばいい。弱音も愚痴も不安も。君だって人間だ。抱え込んでいたら、潰れてしまう」
「止めろレイトン。私と君は、敵だ」
「そんな敵を頼ってしまうほど。疲れているんだろう。現に君は、此処にいる」

 デスコールは、反論できず黙り込んだ。
 そうだ。自分がここに来た理由。
 それに今、気付いた。

 この英国紳士の姿を、求めたのだ。
 敵対しているはずの、彼の姿を見たかった。

 笑い声の陽の光がよく似合う。
 温かな、優しい笑みに。


 ただ、会いたかった。



夜の闇、古びた文献
二人を繋ぐ、断てずの運命


(照らし出すのは、月一条)


月の光は魔性の光
惑わされたと、思えばいい


110203

loto様
『教授とデスコール 月夜』

月て何故あんなにも魅力的なんでしょうね。
昔から、太陽より月が好きだったりします。
気まぐれに姿を変え、人を惑わして世界を冷たく照らす。

・・・何か、デスコールみたいですねと。
言ってみます。

弱音を吐くデスコールと。
それを月の光のせいにしてくれるレイトン。
英国紳士はどこまでも優しいと思います。

拙宅の小説やオリキャラが好きだと言って下さって、とても嬉しいです。
そう言った言葉を頂けると、単純な管理人転がりながら喜びますよ。

リクエストありがとうございました!
loto様のみ、持ち帰り可です。

螺涼さんから頂きました!
40000HIT記念でリクエスト企画してたので図々しくも頂いてきました!

弱っているデスコールも可愛いし、それを甘やかすレイトン教授が素敵!
月夜とお願いしただけなのに、これほど素晴らしい小説を書かれるなんて本当に凄いと思います。

ありがとうございました

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