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※「Sign」の仁王視点





(涙空)



カッターで手首を傷つけようとしたけど刃先が当たるだけで痛くて嫌だった。電車にはねられようと踏切の前で待っていたけど、耳を劈くような警告音に恐怖を覚えた。首を吊ろうとしてネクタイを繋いでカーテンレールにかけてみたけど、輪に頭を入れた時点でやっぱり怖くなってその場に崩れ落ちた。

その後は毎日のように屋上に来て、安全用の柵の内側から空を眺めている。本当は飛び降りて死んでしまいたかった。体が宙に浮くスリルも、風を受ける感覚も嫌いじゃない。飛び降りて即死なんて、失血死よりも窒息死よりも痛くなくていいんじゃないかと思った。でも、案の定俺にはそんな勇気はなくて、柵の外側に出るとその高さに眩暈がして、いつも地面に這いつくばるハメになってしまう。
なんて情けない。なんてみじめなんだろう。自殺に失敗するたびに心の底から自分を嘲笑った。泣いたこともあった。
もうなにもかも消えてしまえばいいのに。自分も、友達も、家族も、世界のなにもかも。

そうやって俺は季節毎に色を変える空を眺めながら、何度も何度も心の中で唱え続けた。空に近いこの場所で時々煙草を吸って、癌やら心筋梗塞やらのリスクを高めながら、着実に自分が死に近づいていることに僅かながら自己満足する。あと何百本吸えば俺の肺は真っ黒になって機能しなくなるだろうか。ふと浮かび上がった遠い遠い道のりを考えると溜め息が出た。

心はすっかり乾いてしまったはずなのに、いつもどんよりとした雲がかかっている気分だった。光もなければ雨も降らない。重たい空気だけが俺の中に渦巻いていて、それを払拭する術など俺は持ち合わせていなかった。


「私も、怖い。…あなたを失うのが」


だから、あの時の柳生の言葉は驚くほど胸に突き刺さった。俺と同じように恐怖に怯える目がそこにはあって、でも、しかと俺を見据える瞳には強い決心が映し出されていた。


――なして


濃いブラウンを縁取っていた涙が乾いたコンクリートに次々と落ちていく。


――なして、お前さんが泣いとるんじゃ


ひとつ、またひとつ、音もなく降る涙の雨は固くひび割れた俺の隙間を溶かしていく。じんわり染み入る温かさがひどく切なくて、胸を締め付けられるような息苦しさに、握った拳に力が入った。


「死にたいなんて言わないでください」


言うたらいけんって誰が決めたんじゃ。


「あなたなしにして私はこの先どうすれば良いのです」


お前さんは俺がおらんでもやっていける。必要ないぜよ。


「ようやく、あなたのことが分かってきたと思っていたのに」


なんも、なんもわかっとらんよ。のう、柳生。わかっとるなら、いっそのことこの背中を押してほしいんよ。そうしたら俺は、楽になれるのに。


振り続ける雨と絡みつく視線が静かに俺を引き止める。地面に貼り付いた足の裏。正面から顔を撫でる温い風。眼下に広がる校庭は妙に遠い。
ああ、この場所はこんなにも高かっただろうか。


「わかりませんか。私は、仁王くん、あなたのことが」


――好きなのです












雨が、止んだ。


しんと静まり返った一瞬。
動かないと思っていた足にぐっと力を入れると、背中に羽根でもついているのかと思うほど、身体は軽々と柵を飛び越えた。
腕を引いて、抱きしめる。時間にして僅か数秒。だけど、永遠とも感じれる数秒がそこにはあった。震える肩に顔を埋める。温かな体温が冷えた身体に痛いくらいに染みた。


「ごめん、もう……死なんから」









また死ねなかった。

生き延びてしまった。

でも、初めて、生きていたいと思った。













「のう、柳生」
「なんです?」
「今日は夕焼けが綺麗じゃの」
「ええ、そうですね」


―― 雨はすっかりあがったようですので
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