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親父の用事を済ませて部屋に帰る途中、甲板の手摺りにもたれ掛かる影を見つけた。近寄ると俺の存在に気づいたそいつはちらりとこちらを振り返り、そしてまた視線を暗い海に戻した。
「…行ってくる」
いつもへらへらしてるガキが、今夜に限って真面目な顔をしている。柄にもなく眉間に皺を寄せ、見えない水平線を睨みつけていた。
エースの意思は固い。
この船に乗り込んで来た時からこいつがとんだ頑固者だということは気づいていたけれど、今回の――ティーチの事件でその芯の強さを再確認した。
――サッチが殺されたのは、俺にも責任があるから。
責任?お前に?
いくらティーチが2番隊の隊員だったとはいえ、その全ての責任を隊長に取らせようだなんて、親父も他のクルーも思ってはいなかった。けれど、一人海へ出ると言いはるエースを誰も止めることなどできなかった。
エースとサッチは仲がよかった。エースが半ば無理矢理この船に乗せられた時、最初に話し掛けていたのはサッチだった。俺や他のクルーがエースとここまでの信頼関係を築き上げることができたのも、サッチの気さくで兄貴分な性格があったからだ。歳は離れていたが、二人が他愛もない話で盛り上がっている様子は、兄弟というよりは親友に近かった。そういった事情があるから、エースは余計にティーチに腹がたったのだろう。
「出発は明日だろい。今日は早いとこ寝な」
未だ遠くを見つめたままのエースの肩をひとつ叩いて、自室に戻ろうとその後ろを抜けようとする。長時間此処でこうしていたのか、触れた素肌は驚く程冷え切っていた。
「……風邪ひくぞい」
「ん、大丈夫」
俺の言葉に今度はきちんと体を向けて振り返り、いつものへらりとした笑顔を見せた。
ったく、それで俺が納得するとでも思ってんのかい。
「アイツが、許せねぇんだ」
一瞬の沈黙のあと、俯いたエースが口を開いた。
吐き出された台詞は、いつもより低い音として空気を震わせる。緊迫感、なんて言葉はこいつには似合わないけれど、隣にいる俺が真剣なその声に若干身構えてしまったのだから仕方がない。
「お前の怒る気持ちはわかるよい。アイツを探しに出るのも許可が出ただろ。だからもう止めやしねぇよい」
「……うん」
「だがな、エース。油断はするな」
声色は厳しくしたまま、くしゃりと柔らかい黒髪を撫でる。1番隊の隊長として、こいつの兄貴分として、厳しくしなければいけないことはわかっている。けれど、掴んだ髪の毛を引いて顔を上げさせれば、隠していた不安がその瞳に一瞬映し出されるから、次に続ける筈だった言葉が上手く出てこなかった。
「大丈夫。強いから、俺」
俺に言っているのか、自分に言い聞かせているのか。たぶん両者だろうが、眉を下げた笑みはどこか情けなかった。しかし、エースのことだ、これ以上何かを言ってもどうやら進展はないだろう。
「…ったく」
俺は壁に背を預け、その場に座り込んだ。不思議そうにこちらを見るエースに、目で隣に座れと言うと、おとなしく言われた通り腰を下ろした。
「仕方ねぇから今日くらい付き合ってやるよい」
風邪引いたら責任とれよい、と付け足すと、うるせーよいと真似して呟く声が聞こえた。せっかくかいた胡座を立て、両膝の間に顔を埋めるガキを横目に、俺は闇に浮かぶ半端な月を眺める。強い光を放つそれに、薄い雲がゆっくりとかかっていく様はなんとも不吉な光景だった。