main_向日葵荘物語 | ナノ
ベランダに動物除けのネットを張るから手伝ってほしいと日吉に頼まれたのは今朝のことだった。

日吉の部屋は俺と同じ2階の205号室。アパートの一番奥のこの部屋は道路や電柱の近い反対側の角部屋に比べてカラスやハトの被害も少ないはずだ。だから、なんでそんなことをする必要があるんだって聞いたんだけど、日吉の奴はもう疲れたとでもいうように溜息をついて、まぁ行けばわかりますと言った。
ホームセンターで買った緑色のネットを抱えてベランダに出る。このネットが意外と重くて、小柄な俺にとっては運ぶだけで一苦労だった。日吉が意地悪して手伝ってくれなかったんだけど、まぁそこは俺の男の意地でなんとか運んで、屋外洗濯機の脇に乱暴に投げた。こいつとは中学から仲良くやってるけど、こういうところは昔から全然変わってなくて、相変わらずムカつく野郎だと思った。日吉は俺の苦労なんて素知らぬ顔をして、至極不機嫌そうにベランダの下を指さした。


「105号室のベランダ、見てください」


105号室、つまりここの下の階の部屋。このアパートに越してきた時、建物の外からベランダを見たことがあったけど、そういえば1階の奥の部屋には何も物が置かれていなかったことを思い出した。空き部屋は103号室だって聞いてたから、105号室に人が住んでるのは確かなはずだ。
日吉に言われるがままに手摺から身を乗り出してみる。案の定そこには手入れのされていないガランとしたベランダがあった。だけどその端に一つ、不自然にそこに置かれている丸くなった黒い影を見つけた。


「…猫?」


大きさからして成猫だ。日当たりのよいベランダで気持ちよくお昼寝中といった感じだろうか。かわいいなぁと思わず呟くと、とんでもないと日吉が睨んできた。日吉の話によると、なんでもこの野良猫の近所へのいたずらが絶えないそうで、日吉自身もまたその被害者なんだという。ああ、なるほど。綺麗好きのこいつのことだから、掃除したてのベランダをそいつらに荒らされて怒ってるんだろう。


「ここからは見えませんけど天井にはツバメの巣も出来てます」
「鳥かー。まぁフンとかウゼーもんな」


まぁ気持ちはわからなくもない。でも、いちいちそんなに毛嫌いしなくても、とも思ってしまう。だって猫も鳥も生きてるんだぜ?巣くらい作るだろうし、住まわせてやりゃあいいじゃんよ。


「そんなに嫌なら下の奴に直接駆除を頼めばいいんじゃねぇ?」
「105号室は千歳さんなんですよ」
「あー…あいつか…」


俺に面倒事を押し付けるなと言いたかったけど、原因人物に言わずと知れた放浪癖の男の名が出てきて、思わず言葉に詰まってしまった。困ったままでいると、日吉がまたひとつ疲労の混ざった溜息を吐いた。





ネットを張り終えるころには日も傾くような時間になっていた。アパート自体は南向きだけど、角部屋のこの場所では夕日がよく見える。空を眺めるのが好きな俺は手で目の上に日よけを作りながら沈んでいく太陽を眺めていた。


「しっかしもったいねーよな、こんな見晴らしいいのにネット張っちまうなんてよ」


空を眺めながらぽろりと出てしまった言葉は確かに俺の本音だった。緑色に区切られたオレンジ色の空はどこか人工的で冷たい感じがする。それに、一辺2センチの正方形の並びは動物園や飼育小屋の檻を思わせて、ここから出られないかもしれないという錯覚に陥ってしまいそうだった。大空を飛んでる鳥とか、木の上で昼寝する猫とか、そういうのが全部“外の世界”に見えて、なんというか、遮断された空間がとても窮屈に感じた。


「いいんですよ、これで」


俺の言ったことが気に入らなかったのか、日吉の声のトーンが少し落ちた。あれ、怒らせたか?いや、お前の家なんだからお前の好きにすりゃあいいと思うんだけどよ。フォローしようとしたけど、日吉は踵を返して部屋に入ってしまった。短気というか神経質というか、あいつと付き合うのは昔から難しいところがある。

オレンジ色だった空は上の方からしだいに藍色に染まり始めた。俺もそろそろ帰らないと。ぐっと背伸びをして肩を回す。なんだか慣れないことして疲れた気がする。
ふと、視界の端を何かが横切ってすぐ傍に止まった。目をやると手摺の所に日吉が迷惑がっていた小さな来客が訪れていた。畳んだ翼を広げてもう一度畳み直したそいつは、ネット越しに俺の方を見てかわいらしく首を傾げている。


「ああ、ごめんな。あいつこんなモン付けちまったからもうここには入れねーんだ」


一瞬、この鳥が内側に入りたいのかもしれないと思ってしまったのは、俺が本当はこの隔たりを取り去ってしまいたいと思ったからなのかもしれない。
好奇心から近寄って指を差し出してみたけど、そいつは逃げるかのようにそこから飛び降りて両の羽をはばたかせていった。小さな後ろ姿はあっという間に見えなくなった。


「…やっぱコレ、ないほうがいいんじゃねーの」


ピンと張ったネットに指をかける。自分で丁寧に取り付けたそれは少し力を入れたくらいでは絶対に解けない。滅多にない後輩の頼みごとに調子に乗って頑張ってしまった自分に少しだけ後悔した。



(切り抜きの紺色の空)

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