main_向日葵荘物語 | ナノ
「うっわ、ボロッ!」


新居を前にした俺の第一声がこれだった。
築30年という建物の見た目は、俺が考えていたものよりも遥かに古くて、一瞬侑士が持ってきた不動産案内が間違ってたんじゃないかと思うほどだった。向日葵荘という物件名と、住人全員が知り合いという奇跡的な条件に惹かれて即決してしまった己の単純さを呪った。

向日葵荘は2階建て全10室の小さなアパートだ。道路側から1号室、2号室と続いていて、5号室の向こう側は見晴らしのいい高台になっている。駐車場がない代わりに庭があって、端の方には古い栗の木がどっしりとその身を構えていた。

俺は錆びて音の鳴る階段を上り、202号室の前で足を止めた。ここが今日から俺の寝床となる場所だ。事前に侑士から預かっておいた鍵でドアを開けて中に入る。クリーニングしたての家の匂いが充満していた。すぐさま突き当たりのベランダの窓を開けると、冷たく新鮮な空気が吹き込んできた。季節は2月。真冬の風はまだまだ冷たい。

俺はキャリーケースを適当に転がして、腰に手を当てて何もない部屋の中を見渡してみた。室内は外観ほど古いというわけではなくて(そういえば一回だけリフォームしたっていってた)、狭いながらも床はフローリングだし、きちんと収納もあった。玄関を入ってすぐのところにあるキッチンもまぁまぁ使えそうだし、家具とか電化製品が揃えばそれなりな生活が出来るんじゃないかと思う。問題点と言えば今時珍しい屋外洗濯機と、古い物件故地デジとかネットの設備がないことくらいだろうか。いや、設備と言えばエアコンもないんだっけか。あとインターホンは壊れてるって言ってたな。それに窓の建てつけが悪いとかなんとか。


「……ま、まぁいいか」


悪いところを数え出したら次から次へと浮かんできて、なんだか悲しくなって考えるのをやめた。いいさいいさ、金が貯まるまでの辛抱だ。





元々実家暮らしだった俺が社会人1年目の冬という超絶中途半端なこの時期に一人暮らしを決意したのにはそれなりの理由がある。…というか、ぶっちゃけてしまえば今回の引っ越しはただの家出だ。元々仲のよくなかった父親とこの冬大喧嘩して、「出て行ってやる!」と啖呵を切って飛び出してきてしまった、ただそれだけだ。

家を出てからしばらくは漫喫や職場仲間の家を転々としていたけど、さすがにそれじゃ生活しきれなくて物件を探すことになった。時々こっそり自宅に帰っては必要な荷物を集めて、母さんや姉弟と時々連絡を取りながら、職場近くの駅周辺を散々歩き回った。それでもなかなか条件に合うアパートが見つからなくて、駄目もとで侑士に手伝いを頼んだら、意外とあっさりこの物件を紹介してくれた。ちなみにその侑士は隣の201号室に住んでいる。

最初に言った通り、このアパートに住んでるやつらを俺は知っている。中学の同級生、幼馴染、部活のライバル、他諸々。誰がどの部屋かはまだ把握してないけど、今晩早速、同じく住人の亮がいろいろ教えてくれるって言ってたから心配はないと思う。しかもラッキーなことに夕飯もご馳走してくれるって言ってた。何食わせてくれるんだろ。てか料理できたっけ、あいつ。
今夜のことを考えていたらなんだか楽しくなってきた。久しぶりに会う友人の久しぶりの手料理に期待大だ。

俺は床に置いていたキャリーバッグを開いて中身を片付け始めた。大量の洋服と、趣味のグッズ。愛用していた毛布に、仕事用具などの必需品。次々に取り出していると洗面用具を手にしたときにふと気がついたことがあった。そういえば風呂場とトイレを見ていなかった。
まぁ、どうせこの古い家に見合った狭いユニットバスなんだろう。そう思ってキッチン脇に設置されたドアを開けて、しばらくして、閉めた。


「え?マジ?」


目を疑った。白い床は厚い大理石、緩やかな曲線を描いた浴槽に、ゴールドの装飾のついたシャワー。磨り硝子で仕切られたトイレは日本製の最新式ウォシュレット。


「っいやいやいや!意味わかんねぇ!!なんでここだけホテル使用なんだよ!!」


リフォームしたの絶対最近だろ!てかリフォームするなら部屋全部しろよここだけとかアンバランスすぎて逆に変だろ!

あまりのギャップにプチパニック状態だ。声に出して、心の中で、一通り突っ込んでみたけど、風呂場には俺のアホみたいな声が響くだけで余計にバカっぽかった。
でもこれは俺にとっては思ってもみないオプションで、目新しい設備に内心ワクワクが止まらい。俺はいつしか片付けも忘れて、傷一つない浴槽やシャワーの試用に夢中になっていた。

亮の手料理が楽しみだっていったけど、前言撤回。今夜は風呂に入るのが一大イベントになりそうだ。



(庶民ですから)
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