main_向日葵荘物語 | ナノ
朝からなんかおかしいとは思っていた。火照ったように熱い顔に、朦朧とする意識。ああ、風邪ひいたんじゃねーのコレ。そう気付いたのは夕日も沈むような時間で、宅飲みに誘った亮を迎え入れる時だった。まぁ、2時間くらいだったら大丈夫だろ、今までもこんなことは何回かあったし。と、楽観的な俺の思考回路に、酒を控えるとか今日はやめておくとかいう選択肢はまるでなかった。


「おー待ってたぜ、いらっしゃーい」


俺は妙に霞む目を擦りながら冷蔵庫から缶チューハイ2本を取りだし、亮が持ってきたつまみの盛り合わせの隣に並べた。

酒の回りはいつもより早かった。自業自得といえばそうだけれど予想外だった。もともと酒に強くない俺でも缶チューハイ1本でここまで酔いが回ることはまずない。2本目の半分を飲みほしたあたりで頭がふわふわして指先の感覚がなくなった。


「おい、大丈夫かよ?」


俺の異変に気がついた亮が机の向こう側から覗き込んでくる。


「んー…酔ったかも」


机につかれた亮の腕に縋って頭を伏せた。ひんやりとした亮の腕は気持ちよくて放したくない。でも頭上から「おいおいマジでやべーな」とか聞こえてきて、自然な動作で手を解かれてしまった。なんだよ、少しくらい甘えさせてくれてもいいのに、冷たい奴。その後缶を没収されて、代わりにコップに入った水を渡された。


「まだ飲めるっつーの…」
「顔真っ赤にした奴が言う台詞じゃねえぞ」


その時、亮の携帯が鳴った。最新のロックのなんだかジャカジャカした音だ。よく知らない曲だけど、いつも聞いてる筈のその音楽が今日はうるさくて仕方ない。亮は携帯を取るとサブ画面に映った相手の名前を見て軽くため息をついた。


「ジローだ。ちょっと出てくる」


心底嫌そうな顔をして頭を掻きながら亮はキッチンのほうに姿を消した。まぁ消したと言っても狭い1Kの室内じゃ亮の声は筒抜けなんだけど。俺は散らかったポテチの欠片をなんとなく指で机の端に寄せながらドアの向こうの会話に耳を傾けた。


「あ?まじかよ、平気か?熱は?…うん、うん。あー…わかった行くわ」


聞いてしまった後に小さく後悔した。聞くんじゃなかった。亮のやつ、またジローに呼び出されてやがる。しかもあの返事だと亮はジローのところに行くに違いない。人知れずため息をつくと、キッチンから顔を覗かせた亮が申し訳なさそうに頬を掻いていた。


「悪ぃ、岳人。ジローのやつ風邪ひいて熱あんだとよ。様子見に行かなきゃいけねーし、今日はこの辺にしとこうぜ」


ほらきた。亮が甘えんぼのジローの我儘には逆らえないのはいつものことだ。


「…帰んのかよ」


亮のアホ。なんで俺よりアイツのこと優先するんだよ、俺のが先にお前のこと誘ったのに。


「悪ぃって…。ほら、お前も酔ってんだからさっさと寝ろよ」
「大きなお世話だ、バーカ」


亮が手際よく机の上を片付けていく。手伝いはしなかった。その場に座ったまま手に持ったコップを断固として放さなかった。それでもあっという間にゴミたちは袋の中に消えていく。俺がさっき丁寧に寄せたつまみの残骸も大雑把にゴミ箱に落とされてしまった。


「じゃ、またな」


困った顔をした亮が玄関を出て行くのを部屋の奥から睨みつけてやった。亮のバカ!ジローのバーカ!





誰もいなくなった部屋には時計の秒針の音だけが響いていた。コップは机の上に置いたまま、ベッドにどさりと身を沈める。頭が痛い。背中が痛い。関節も痛い気がする。酒酔いのせいだけじゃない。むしろ酔っているというよりは熱が出てるって言った方がいいかもしれない。亮は気付かなかったけど、顔が赤いのもきっとそのせいだ。
軋む身体を捩り布団に潜り込んで顔の半分まで埋まった。掛け布団に跳ね返った息が熱くなっていることに今さら気がついて嫌気がさす。熱、一体何度あるんだよ。

そういえばジローのやつも熱を出したって言ってた。あいつのことだから俺と違って飯も飲み物もない状態なんだろう。看病してくれるような彼女も兄弟もいないんだろう。だから亮に連絡したんだ。ジローとは俺も昔からの仲だけど、あいつの常識力と生活力のなさといったらピカイチだ。それこそ放っておいたら大事になってしまいそうなほどのダメ人間で、俺だって心配することはしょっちゅうあるんだ。だから、今回もいつも通り亮はジローのところへ行った。ただ酔っぱらってるだけの俺よりも、風邪で弱ってるジローを優先するのが当然なんだ、きっとそうだ。俺は頑丈だから、これくらい放っておいても大丈夫。寝てれば治るんだからさ。

目を閉じた真っ暗な中で巡る思考は妙に冷静だった。冷静だけど、ずるずると闇に足元を飲み込まれていくような感覚だった。足首には錘が付いていて、それは胸の奥底のほうからずっとつながってるみたいで、深い深い沼の底に沈んでいく。窓の外の騒音がやけに遠くに聞こえた。世界でたった一人、取り残されていくような気がして、寂しいと、助けてと、呟くこともできないまま、俺の意識は本当の闇に溶けていった。



(掬いあげて、)

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