main_向日葵荘物語 | ナノ
「っだーーー!」


机に突っ伏したまま亮が奇声を上げた。そして机を大きく叩いたと思うと、椅子から転がり下りてベッドにダイブした。一体全体何事だ。突然の亮の奇行に、俺は読んでいた漫画から顔をあげて、うつ伏せに寝転がる背中に声をかけた。
普段の亮はとても大人しい男とは言えないけど、こんな風に突然大声を出すようなことはなくて、荒々しい態度は珍しい。俺は漫画を床に置いて、亮が机に座ってずっと眺めていた紙を手に取った。置かれていたA4の白い紙には「教育実習」の文字。ああ、そういえばこいつ教育学部だったっけ。


「なに、お前センセーやってくんの」


茶化すようにその紙をひらひらと掲げてみると、亮はごろりと寝返りを打って不機嫌そうに眉を寄せた。


「まぁな。秋の話だけどな」
「まだ3月だぜ?気が早ぇのな」
「そんなもんだぜ。準備とか色々忙しいんだよ」


はぁ、とらしくない溜息をついた亮は起き上って俺の持っていた書類を奪った。それをクリアファイルに挟んで机の上に戻すと、カバンの中から一冊のパンフレットを取り出して俺の目の前に投げ置く。パンフレットの表紙に写っている写真はとても見覚えがあって、俺は思わずあっと声をあげた。
忘れるはずもない、都会的で大きな校舎と、見慣れた「帝」の字の校章。


「実習先、氷帝なんだ」


氷帝学園。またずいぶんと懐かしい名前が出てきたもんだ。
小、中、高と俺はずっとこの氷帝学園に通っていた。11年間。人生の半分くらいを此処で過ごしてきたわけだ。もちろん幼馴染の亮も同じ学校だし、もっと言うとこのアパートの2階に住んでる奴らはみんなこの氷帝学園の出身だ。そんな思い出深い故郷に亮は実習に行くという。


「よく知ってるとこでよかったじゃん。何をそんなに悩む必要があるんだよ」
「や、別に氷帝に行くのが嫌なわけじゃなくて」
「?」
「俺の担当教員、榊先生なんだよ…」
「マジで!?」


榊先生っていうのは氷帝学園中等部の音楽の先生。加えて亮の中等部3年次の担任だ。大財閥榊グループの偉い人で(詳しいことは俺も亮も知らない)、いつもブランド物のスーツと高級車で通勤してた風変わりな先生。見た目と言動は跡部並みに派手だけど、意外と生徒をよく見てて、実は結構いい人だ。俺もたくさんお世話になった記憶がある。
でも、亮はそんな榊先生のことが少し苦手だ。なんでも学年上がってすぐの頃に揉めることがあったらしく、それから先生のことを苦手になった亮は卒業まで深くかかわることを避け続けていた。あの時は大事にならなかったからよかったものの、意地っ張りで負けず嫌いなこいつは謝るということを知らず、結局しこりが残ったままあの学園を後にした。


「まぁ、いい機会なんじゃねぇの。仲直りしてこいよ」
「仲直りってお前…」
「もう時効だろ。大丈夫だって」


うなだれる亮の背中をバシバシと叩く。ぶつくさ文句を言ってるけど、亮だって別に会いたくないわけじゃないと思う。そこにどんなに嫌な思い出があったとしても、真面目で人情に厚いこいつにとっては、お世話になった相手に何の感謝も伝えずに過ごしてきたことの方がもどかしいはずだ。ちょっと気まずいだけなんだ。あと一歩、踏み出すだけなのに、なかなかそれができないってだけ。


「お前って時々女々しいよなー」
「うるせぇ」


秋になったら嫌でも毎日顔を合わせるんだし、今のうちにそういう心配事は取り除いておいた方がいいに決まってる。…って、こんなこと父親と喧嘩して家出してきた俺が言えた義理でもないけどさ。(それはそれ、これはこれ。俺のことは今は関係ないっての)

――あ、そうだ。

氷帝学園のパンフレットを捲る亮を横目に、俺はあることを思いついた。自分から動けないなら、誰かが後押ししてやればいいんじゃねぇ?
俺はすぐさま自分のスマホを取り出すと、電話帳からある男の名前を呼び出して亮の目を盗んで電話をかけた。数コールの後聞こえた声は、昔と変わらず聞き取りやすく丁寧な口調でお久しぶりです、と言った。こいつとは時々電話するけど、見た目も性格も中学時代から何も変わっていない気がする。


「おー鳳。今亮といるんだけどさ、こいつ榊先生と話したいらしいんだけど、明日空いてる?」
「は!?岳人お前何して…んん!!」


俺の突然の行動に驚いた亮が割り込んできたけど、そこは片手で口を塞いで黙らせる。鳳は「亮」という単語にテンションがあがったらしく、嬉々とした様子で俺の要求を快諾した。

実はこの男――鳳長太郎は中、高校時代に亮が可愛がってた一つ下の後輩だ。長身のくせに子犬みたいに人に懐いて、昔は宍戸さん宍戸さんといつも亮の後ろをくっついて歩いていた。高校卒業後は亮の後は追わず氷帝学園の大学部に残ったみたいだけど、今でも連絡は取り合っているらしい。専攻の関係から榊先生とは今でも少なからず繋がりがあって、亮大好きなこいつなら色々協力してくれるだろうと思ったから電話したんだ。


「…うん、うん。おー、明日はよろしく。じゃあなー」


結局鳳には明日の集合場所と時間だけ言って電話を切った。切ると同時に抑え込まれていた亮が俺の腕を跳ねのけて頭を抱える。


「何やってんだよ馬鹿岳人…」


腕の隙間からこっちを睨みつける目はけっこう本気で困っている。


「明日1時に中等部の正門前な」


がんばれ、と付け加えるとガシガシと頭を掻きながらしぶしぶ亮が返事を返した。納得はしてないんだろうけど、だらだら文句を言わないところを見ると本気で嫌がってるわけではなさそうだ。やっぱ早めに仲直りするにこしたことはないよな、うん。

俺は一人で妙に納得すると、落ち着かない様子で意味もなく氷帝のパンフレットを捲る亮を眺めた。昔よりも広くなった背中が今はほんの少しだけ小さく見えて、ああこいつも変わってないなぁと妙に安心した。



(7年越しのごめんなさい)
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