アパートの敷地内にはそこそこの広さの庭がある。本当は改装時に駐車場になる予定だったらしいんだけど、住人が誰も車を持っておらず、加えて景観も綺麗だったことから、工事は計画の段階で打ち切りになったらしい。確かにここの庭は集合住宅のそれにしては手入れが行き届いているし、青空や夕日をバックに季節の花々が花壇で咲き乱れている様子は、そういう美的感覚に疎い俺でもわかるくらい綺麗だ。
最初はこのガーデニングも全てオーナーの跡部がやっているものと思い込んでいた。でも、その後数日経ってからそれが勘違いだったことに気が付いた。出勤前、自転車を取りに行った時、住人のある男が花の苗を植えているのを見たからだ。その日は急いでいたせいもあって土いじりに夢中になっているそいつに声をかけることなく通り過ぎてしまったんだけど。
あれからまた数日経った。午前5時という普段じゃ考えられないような時間に目の覚めた俺は、たまには朝の空気でも吸おうと庭に出た。季節は3月。日は昇り切っていないうえコートなしではすぐに体が冷たくなってしまうような気温だった。そんな寒空の下、例の花壇の前で以前と同じ男がせっせと花の苗を植えていた。ジャージに身を包んだそいつはミルクティー色の髪を後ろで束ね、頬を土で汚しながら、相も変わらずその作業に没頭していた。
「しーらいしっ」
「おわっ、なんや!…って、向日やないか」
余程熱中していたのか、急に話しかけられた白石は驚きのあまり持っていた苗を落としそうになった。
俺は白石の隣にしゃがんで制作中の花壇を眺めた。制作中とは言っても既に大部分が花の苗で埋め尽くされていて、もうほぼ完成に近いという感じだ。
「お前ガーデニングとか趣味だったの」
「ガーデニングっちゅーか、植物が好きなんや」
「植物?」
「そうや。特に毒草が好きなんやけどな。庭やと育てられへんから、代わりに花植えてんねん」
毒草はええでぇ。にやりというよりもうっとりという表現が似合う表情で白石が笑みを浮かべる。本人は楽しんでるみたいだけど、いつもの透き通った瞳がぎらりと濁った色に変わる様は正直すごく怖い。
白石とはあんまり面識がなかったけど、変わってる奴だって噂で聞いたことがあった。それがこの植物、いや、毒草マニアの一面なんだろう。イケメンだし優しいし頭も良いしスポーツも万能なさわやか好青年なだけに、この怪しすぎる趣味を初めて聞いた時の衝撃は強烈だった。
「なんや、毒草の話聞いてくか?」
「遠慮シマス」
にっこりとしたそのキレイな笑顔も、どことなく黒く怪しく見えてしまう。俺は引きつる顔をなんとか誤魔化して、気付かれないように少しだけ白石から遠ざかった。
花壇の花は赤から黄色、紫まで色とりどりだ。ポリエチレンのカップから苗を取り出して土に植えていく白石の手付きはそれはもう鮮やかで、手慣れていることが伺えた。
「向日、これやるわ」
俯いた姿勢のまま手元をごそごそといじっていた白石が、思い付いたようにこちらに手を伸ばしてきた。そして髪にすっと何かを通される感覚がして、すぐに離れていった。
「いろたらあかんで」
「なんだよ?」
「後で鏡見てみ」
髪が僅かに何かに引っ張られている。何かをくっつけられたのだけは確かだろう。今すぐはずしてやりたいけど、こっそり頭に手を伸ばす度に寄越される白石の視線がなんだか怖くて、俺はやきもきしながら残りの作業を眺めていた。
その後十数分で出来上がった花壇は白石の納得のいくものだったらしく、ええ汗かいたわぁと爽やかに笑っていた。
部屋に戻って鏡を見ると、案の定耳の上あたりに花が付いていた。花の名前はよく知らないけれど、白い花びらが赤い髪によく映えていて鮮やかだ。
「ははっ似合ってんじゃん」
記念に鏡に映った自分を写メって、花はグラスにさしておいた。
(キレイな花には毒がある)
※デージー:無邪気、純潔