main_向日葵荘物語 | ナノ
「千歳ー。ちーとーせー」


ジリリリ、と今時珍しいベル音のチャイムが廊下に響く。105号室の前で待つこと数分。確実に中にいるであろう家主は寝ているのか作品の制作に集中しているのか、なかなか出てこない。


「おー向日、どぎゃんしたとね」


ようやく出てきたその男は絵の具の付いた作業着姿でぼさぼさの頭を眠そうに掻いていた。





千歳の部屋に入るのは初めてだった。中に入るとすぐに大きな3種類のトトロの置物が揃って迎えてくれた。
他人の部屋に入るのはすごく新鮮だといつも思う。同じアパートに住んでいるのだから部屋の構造はどこも同じはずなのに、置いてあるものも、匂いも、部屋から見える景色も、それぞれが全く違う。例えば亮の部屋は物が多いわりに片付いていて、ジローの部屋は床が散らかってる。侑士の部屋は道路沿いだから日中は少しうるさいし、反対側の日吉の部屋からは夕日が綺麗に見える。各々の違いを見ることができるのが俺も嬉しくて、誰かの家に行くときはいつも、あーこいつこんな所もあったんだなぁと小さな驚きと発見を繰り返している。
今回もそんな感じだと思ってなんとなく居間に入った。


「……なんだこりゃ」


一歩踏み込んだところで思わず足を止めた。自室と同じはずの6畳のフローリングの間がまるで見たことのない空間に変貌を遂げている。俺は背後に立つ千歳を振り返って頭上を見上げた。


「なんね?」
「すっげー部屋だな」


きょとんとした表情の千歳を無視してもう一度中を見渡す。入ってすぐに目を惹くのは大きなキャンパスだ。部屋の中央、ベランダに向かって斜めに置かれたそれには半分だけ色が付けられていて、床に転がった様々な色の油絵の具とパレットが先程まで作業中だったことを伺わせる。壁には書きかけの絵やメモが所狭しと貼られていて、その下にはたくさんの盾やトロフィーが無造作に置かれていた。部屋の中に家具らしい家具はなく、隅のほうにブラウンの毛布が申し訳程度に畳まれて寄せられているだけで、電化製品も床に直接置かれたマックのノートパソコンひとつだけだった。
人の居住空間というよりはアトリエみたいな部屋。変わり者の千歳らしいといえば千歳らしいけど、こんなにものがなくて一体どうやって生活してるんだろう。


「で、 用事ってなんね?」
「あ、そうだそうだ。仕事で使う資料なんだけどよ、イラスト書いてほしくて」


千歳は美大生で物凄く絵が上手い。だから時々仕事で使う資料作りに協力してもらうことがあって、実は今日もその依頼のために俺はやってきた。


「このポスターの右下、このへん」
「ああ、じゃ今から書いちゃるけん」
「お、サンキュー!」


千歳は床に俺が持ってきた紙を広げると、鉛筆を取り出してさらさらと何かを書き始めた。黒い線が白いコピー用紙の上を迷いなく進む。描いているのは何かの動物のようだったけれど正体はわからない。千歳のイラストは線をぼかしたり重ねたりしないくせに抽象的で正体不明なものが多い。本人も何を書いているかよくわかっていないらしく、フィーリングとやらに任せて筆を進めているんだとか。
俺よりも30センチ以上大きな体を地べたで小さく丸めてちまちまと絵を描く姿がなんだか可笑しい。大柄な癖に作り出すもの全てが細かく繊細だなんて、色んな意味で反則だと思う。


「でーきた」


そうこうしているうちに千歳が絵を完成させた。差し出されたポスターには猫なんだか熊なんだかわからない不思議な生物が描かれていた。


「これ、なんて動物?」
「なんやろ。向日が名付けなっせ」
「しっかりしろよ生みの親ー」


変な奴だと思う。いや、そんなことを言ったら向日葵荘の人間はみんなそうなんだけど、こいつはなんというか、ズレてる上にその部分がぶっ飛んでる。頭が悪いわけじゃないのに、どこか浮世離れしてるように見える。でも、どういうわけか世間ではそれが「才能」として認められているわけで。人徳っていうのか?うらやましい限りだ。


「じゃあネコクマ」
「おかしなセンスたい」
「オメーに言われたくねぇよ」


まぁでも、こいつのこういうところは嫌いじゃない。仲間内に一人くらいこういうのがいたほうが面白いだろ。

千歳は立ち上がるとキャンパスに向かった。何の絵を描いているのかと聞いたら、自分でもよくわからない、と千歳らしい返事が返ってきた。半分も完成していない絵を後ろから眺めながら、次はどんな色を重ねるのだろうと俺は期待に胸を膨らませた。



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