main_向日葵荘物語 | ナノ
「なにやってんですかアンタ!」


顔を真っ青にさせた日吉が慌てて俺の腕を引っ張った。手にしていたそれがカシャンと音を立ててベランダの床に落ちる。普段喜怒哀楽の少ないこいつの表情がこんな風に変わるのが面白かったけど、わざと無表情で俺は落ちたそれを拾い直した。床に転がったのは黒の持ち手の付いたごくごく普通のハサミ。動物除け用のネットをここに取り付けたあの日からの計画をまさに今実行しようとしていたところだった。


「切る。俺が付けたんだから取るのも俺の自由だろ」
「ここは俺の家ですよ」
「知らねー」
「向日さん!」


未だに俺を抑えようとする日吉の胸を力いっぱい押し返す。相手がよろけた隙をついて、手にしたハサミで一気にネットを切りつけた。


「あ、ちょっと!」


真ん中から無遠慮に引き裂かれたそれの下半分がバラバラと床に落ちる。支えをなくした上の方も、まばらな切り口をだらんと下げて、まるでカーテンのように力なくぶら下がってしまった。あっけにとられて何も言わない日吉をよそに4ヶ所の結び目の付近も切って、完全にネットを取り外す。俺は隔てるものがすっかりなくなったベランダに満足して、やりきった達成感ににやけながら振り返ると、日吉はぽかんとしていた先程とは一転、眉間に皺を寄せて怒りに口元をヒクヒクと震わせていた。でも、残念。日吉のその顔は見慣れていて正直怖くもなんともない。


「…なんてことしてくれたんですか」
「だってジャマだろ、これ」


手に持っていた緑色の断片をひらりと見せてみる。日吉の眉間のしわがまた1本増えた。


「それはアンタだけですよ」
「んなことねぇって。他にもお前に会いたいやつが来れなくなんだよ」


ベランダの下を覗いて、見えた黒い動物に向かっておいで、と声をかけた。にゃあと一鳴きしたそいつは身軽な身体をぴょんぴょんと跳ねさせてあっという間にこちらへ登って来た。手の届くところまでやってきたところでそいつを抱き上げて日吉に差し出す。日吉はげっと声を漏らして一歩後ずさった。


「…なんで懐いてるんですか」
「なんかあのあと仲良くなっちまってよ」


腕の中にいるのはあの日このベランダから見た黒猫だ。実はつい昨日、庭でこいつを見つけて小一時間ちょっかいをかけているうちに懐かれてしまった。もっとも、俺も猫の気持ちがわかるわけじゃないから、こいつが本当に日吉に会いたがってるかなんてわかりっこないんだけど。

日吉は俺に抱きあげられた猫をまじまじと見つめる。始めは嫌そうな顔しながら冷たい視線を送っていたけど、大人しく俺の腕の中にいる猫の様子に少しずつ関心を持ち始めたらしく、近づいてきて、ちょん、と指先だけで小さな頭を撫でた。


「かわいいだろ?」
「…別に」


日吉は一見無愛想だし神経質だけど、別に動物が嫌いなわけじゃないってことを俺は知ってる。ほら、その証拠にそっぽを向いた横顔からいつの間にか険しさが消えて、この小さな動物に対する興味すらわいているように見える。


「な、だからいーじゃん。仲良くやろうぜ」


にゃあ、と腕の中の猫が鳴き声を上げた。揺らぐ男に追い打ちをかけるような甘えた声は、いとも簡単にそいつを手中に収めてしまったらしい。何かを言いかけた日吉がぐっと押し黙り、俺の方を一睨みすると背中を向けて部屋のドアを開けた。


「…好きにしてください」


俺の腕から飛び降りた猫が日吉の足に擦り寄ってまたにゃあと鳴いた。



(一人と二匹)

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