「ジロー、起きてるー?」
203号室のドアを何度かノックしてみても返事がなかったから、遠慮なく中に踏み込んだ。ジローん家に入る時はいつもこうだ。あいつはいつでも鍵かけないし、日中は大体家にいて寝てやがる。前に不用心だって説教したこともあったけど、その癖は全く治らないみたいだったから口うるさくするのは諦めた。
で、なんで俺が今こんな駄目人間の家に来ているかというと。
「ジロー?お前今からバイトだろ。起きろよ」
目覚まし時計代わり、だ。いや、目覚まし時計というよりは母親といったほうがいいかもしれない。普段はこういうのは亮の役目なんだけど、今日はあいつもバイトで遅くなるらしくて、仕方なしに代わりを俺がやってる。部屋に入ったら居間の電気を付けて、カーテンレールに干してあったバイトの制服を引っ掴み、一昨日見たときと同じ形で残されていたカバンの上に放り投げた。
「お前昨日1日中寝てたのかよ?飯食った?」
敷きっぱなしなんだろう布団を引っ張ってジローを無理矢理転がり出せば、パンイチの身体が寒そうにその身を震わせた。ほらほら、起きろ、遅刻すんぞ。背中を軽くたたくとジローは瞼を薄く開けてぼーっと空中に視線を彷徨わせた。ようやくお目覚めのようだ。
「うー…がっくん…?」
「そーそー。ほらさっさと顔洗ってこいって」
急かすように羊の抱き枕を取り上げると、ジローはよろよろと立ちあがり、覚束ない足取りで風呂の方へ歩いて行った。数秒後にシャワーの音が聞こえてきて、床に響く不規則な水音にほっと息をついた。
俺が亮の代わりにジローを起こしに来るのはこれが初めてじゃない。というかあいつのバイトの関係で最近は週に2回くらい俺が担当してる。当たり前のようにこいつの部屋によって、叩き起こしてからバイトに送り出している。日課といっても過言じゃない。こないだこのことを財前に話したら、ありえないだの甘やかしすぎだの散々なことを言われた。謙也には驚かれたし、白石には苦笑された。誰だったかは忘れたけどおせっかいだって言われたこともあった。
だってしょーがねーじゃんよ、相手はあのジローなんだぜ?
ジローの仕事は深夜のコンビニでのアルバイト。高校卒業後特に進路希望もなかったあいつは時代に流されるままにフリーターになった。昔は俺も亮も自宅暮らしだったし、今ほど世話を焼いてなかったせいもあって、ジローのフリーター生活は遅刻や無断欠勤三昧、3日でクビなんてのも普通だったみたいだ。それに比べて今のコンビニ店員のバイトは始めてもう半年になる。この長続きも俺と亮の苦労の賜物だ。
「がっくーんタオルとってー」
ジローが風呂場から顔を出した。うん、完全に目が覚めたようだ。
「バスタオルくらい持っていけっての」
ハンガーにかけてあったそれを取って投げてやった。受け取ったジローがドアの内側に戻ってサンキューって言った。礼はちゃんとこっち向いて言えよ、お前。
ドアの向こう側でガサガサ音がしてる。時間はまだあるし、もう放っておいても大丈夫だろう。後は自己責任でバイト行ってくれ。俺もテレビとか見たいし、さっさと帰ろう。
「じゃ、俺帰るからな。遅刻すんなよ」
靴を履いて適当に声をかけてから外に出た。内側からまたサンキューって聞こえてきた。
「向日ー!」
自分の部屋のドアを開けようとした時遠くから誰かに呼ばれた。廊下の錆びた手すりの向こう側、下の方に目をやると、俺と同じ赤い髪の男が立っていた。ああ、こいつも最近ジローの周りでよく見かけるようになった顔だ。
「おーブン太じゃん。どうしたんだよー?」
「ジロ君迎えに来たー」
…そういえばこいつも大概世話焼きだったな。ジローのやつ何人に甘やかされて生きてんだ一体。ブン太はたぶん仕事帰りなんだろう、片手に大きなカバンを持っていた。あまり待たせるのも可哀相だ。
「たぶんもう出てくるからちょっと待ってて!」
「りょーかい」
言うや否や、すぐに部屋の中からドタドタと物音が聞こえてきた。大きな音を立てて今し方閉めたばかりの扉が開く。
「今丸井くんの声がしたっ!!」
目をキラキラさせて中から飛び出してきたジローの様子に、俺もブン太も噴き出すしかなかった。憧れの同級生の登場でこうもテンションが変わるもんなのか。ていうかお前、なんだその格好。
「ジロー、ズボン履き忘れてるぞ」
指さして笑ってやった。真っ赤になって慌てたジローの顔がこの上なくおかしくて、明日もまた母親代わりをやってやろうと思った。
(お前も俺もかまいたがり)