育める愛はひとつだ


「なにこれ…」
「蟹」
「蟹?」
「鍋しようぜ」

あとで家行っていいか?と幼馴染の竜胆から連絡があったのは金曜の夕方、ちょうど仕事が終わる頃のことだった。『いいよ、お土産期待してる』確かにそう返信はしたけれど、竜胆から手渡されたそこそこの大きさの箱には困惑せざるを得ない。

「え、これ買ってきたの?」
「そー、あと鍋の具材一式な」

そう言ってビニール袋も一緒に渡された。うちに着くなり上着とスーツのジャケットとベストを脱いで、慣れた様子で勝手にクローゼットから取り出したハンガーにかける竜胆は「あーーー、マジ疲れた…」とソファに腰掛けた。2人分にしては量の多い食材に小さく溜息を吐いてから、わたしはキッチンで鍋の準備に取り掛かった。これ余った食材、冷蔵庫に入り切るかな。

一人暮らしには必要ない大きさの土鍋は以前蘭によって勝手に持ち込まれたものだ。蘭がこの家に上がることはあまりないが、竜胆はこうして時々ふらっとやってくる。ご飯を食べてお酒を飲んで、そのまま泊まることもしばしば。成人済みのいい歳した男女が家に2人でいて、更にアルコールも入っているのにも関わらず、わたしたちに何かが起きたことは一度もない。男女の友情なんて成立するとは思っていないし、わたしは竜胆のことをただの友達だなんて思ったことはない。こっちはいつだって手を出される準備は万端だというのに。毎回竜胆がうちに来ると言う度に念の為に準備している勝負下着が泣いている。酔った勢いでいっそこちらから食ってやろうかとも何度も思った。しかしその度になけなしのプライドがわたしを引き留めるのだ。

反社の男に全てを捨てて身を捧げる覚悟なんてとうの昔からできているのに、竜胆にはどうやらその気がないらしい。蟹を持っていけば美味しい鍋を作ってくれるような可愛い女の子もきっと他にもいるんだろう。竜胆がうちに来る度に期待して、絶望して。その気がないならもう他の女の子のところ行ってくれないかな、なんて。それはそれで耐えられる気もしないから想像しようとしてすぐにやめた。


「手伝う」
「…っ、いいよ、キッチン狭いし」

さっきまでソファに座っていたはずなのに、突然真後ろに立った竜胆がわたしの肩からキッチンを覗き耳のすぐ近くで話すから、たまらず肩をビクッと揺らしてしまった。心臓がドキンドキンと大きな音を立てはじめる。手は出してこないくせにこういう時の距離はやたらと近くていつもいつもわたしはドキドキさせられっぱなしだ。

「テレビでも観て待ってて」
「いいって」

そう言って高そうなシャツを雑に腕捲りした竜胆が、野菜を切っていく。その隣でわたしはひたすら蟹の下準備を進めた。狭いキッチンでたまに腕や肘が触れて、その度に指先が少し震えた。







「ん!?美味しいねこの蟹」
「だろ?」

暖かいこたつと冷えたビールと美味しい蟹。金曜の仕事終わりにこれ以上ないご褒美だ。結局用意した分はすぐに食べ切ってしまった。

「シメはうどん?雑炊?」
「んー、雑炊」
「オッケー」

あらかた食べ終えた土鍋を再びキッチンに持っていき雑炊の準備をする。コンロの上でぐつぐつと煮える土鍋を見つめながら何でもないように「今日は泊まるの?」と聞けば「あー、どうしよっかな」という返事が返ってきた。

「明日も仕事?」
「いや、休み」
「ふーん…」

少しでも長く一緒にいたいから泊まっていってほしいけど、どうせまたなにも起きないのなら帰ってくれとも思ってしまう。でも泊まっていってくれたら明日の朝だけはきっと少しだけ、少しだけは幸せな気持ちに浸れるかな、なんてことを考えてしまうぐらいには拗らせている。


卵を取り出そうと冷蔵庫を開けると、「ビールちょうだい」とまたわたしの真後ろに竜胆が立って冷蔵庫の中の缶ビールに手を伸ばした。背中に竜胆の体温を感じるぐらいの距離に、わたしはまたビクッと肩を揺らしてしまう。少しだけ顔を横に向けるとすぐ隣に竜胆の顔があった。こちらを向いている竜胆と目が合って、次の瞬間には唇が触れていた。目を瞑る時間もなかった突然の口付けにわたしはただ驚くことしかできず、目の前にある竜胆の長い睫毛を眺めていた。

ほんの数秒触れ合っていた唇が離れて、竜胆の手がわたしの頬に優しく触れた。なにこれ…なにが起きてるの?

「竜胆酔ってる…?」
「別に、酔ってねぇけど」

再び竜胆の顔が近付いてきて、わたしは今度こそ目を閉じた。しかし竜胆の唇が触れる直前、火にかけていた土鍋の蓋がガタガタと音を鳴らして今にも吹きこぼれそうになっていた。

「やばっ、お鍋…!」

竜胆の手から逃れるように離れて慌ててコンロの火を止めた。ふぅ、と息を吐いたわたしの肩を竜胆が後ろから抱きしめた。

「…あの、本当にどうしたの?」
「お前さ、俺以外の男も平気で泊めたりしてんの?」

そんなことするわけない。竜胆だから家にも上げるしご飯も作る。もっと一緒にいたいと思うのも、泊まってほしいと思うのも、できればその先もと望んでいるのも竜胆だけだ。ねぇ、なんでそんなこと聞くの?

「竜胆だけ、だけど…」
「本当に?」

わたしが頷くと竜胆は抱きしめていた腕を解いて「はぁ…」と溜息を吐きながらその場にしゃがみ込んだから、竜胆と目線を合わせるようにわたしもその場にしゃがんだ。

「竜胆だって、他の女の子の家にご飯作ってって上がり込んでんじゃないの?」
「はぁ?」
「だって、竜胆なら選び放題でしょ」
「そんなことしねぇよ」
「本当に?」
「嘘吐いてどうすんだよ」
「えー…どうすんだろう…キープ、とか?」
「バーカ」

「キープの女にわざわざ馬鹿高い蟹なんて買ってこねぇよ」

そう言ってからもう一度、唇に触れるだけのキスをした竜胆が「…今日やっぱ泊まってもいい?」と聞いてきたのでわたしは小さく頷いた。今夜はついに勝負下着の出番なのかもしれない。



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