短い話 | ナノ
目の前で、壁に叩きつけられた彼を見て、咄嗟に体が動いた。彼の前に背を向けて立ち、宙に浮く黒い彼にやっとの思いで出せた声でやめてくださいと大声を上げた。途端に、目の前の彼は眉間に皺を寄せて今までに聞いたことのないような低い声で、邪魔だと言う。どんなに凄まれたって、此処から退くことなんて出来ない。私の大切な人をこれ以上傷つけるわけにはいかないから。

「もう、やめてください」
「名前は黙ってろ」
「黙りません!ジュダル、貴方は間違っています!」

バチバチと嫌な音を鳴らす小さな杖は、静かになった。ゆっくりと降りてくる彼は、近づいて来て私の手を引き行くぞと言い足を進める。それを反対の方向に引っ張りジュダルを止めると、滅多に他の人の前では見せない驚いた顔で振り向いて、まだ何かあるのかと言う。彼の私を掴む手をそっと解けば、悲しそうな目を見せた。胸が苦しくなったけれど、これ以上彼を甘やかすわけにはいかない。

「…貴方とは行けません」
「な、に言ってんだよ」
「私は貴方には相応しく、ありません、…神官殿」
「そんな呼び方するな!」

彼は、自分の拳を強く握りしめて、それを見れば苦しくなっていく。私には、ついて行きたいと思う人がいます。彼から、彼の目から逃げずにそう答えた。わかってほしい、という思いを込めて。私の後ろで今も苦しそうにして立ち上がろうとする彼、アリババさんがいる。やめて…、もう、無理しないで…。どんなに私が思ったって、彼は何度も立ち上がるだろう。そんな彼を見ることしか出来ない私は、なんて無力なんだ。だから、今、こうして彼が怪我をこれ以上しないように守っているのだ。

「そんな、弱い奴がいいのかよ…」
「アリババさんは、強い方です」
「偉大なマギよりも、ちっぽけな人間を、」
「ちっぽけなんかじゃない…!」

今日は、お引き取りください。深々と頭を下げた。お、おい、名前、と私を心配するアリババさんの声が後ろで聞こえる。ちっ、と小さな舌打ちをして、俺じゃダメなのかよ、とか細い、彼からは想像の出来ないような弱い声が私の耳に届いた。けれど、聞いていないふりをした。

「また、迎えにくる…」

たった一言だけ残して、彼は去っていった。ぽろぽろと私の目から落ちてくるこの水は、きっと彼への想い。彼が…、ジュダルが好きでした。今は、アリババさんが好きだけれども、私の初恋というものは、確実に彼だったと思う。
涙が止まらない私を、心配そうに見て励ましてくれる優しいアリババさんに、アラジン、モルジアナ。ごめん、ごめんね。何度も何度も呟いて、それはジュダルへの言葉か、それとも心配してくれる皆への言葉か。今の私にはわかりかねた。

明日には消えて無くなる涙

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続きます。タイトルお借りしました。