ひゅっ、と風を切った平手を、躱す理由もなくて、フランスは苦笑した。頬に出来た一本の線が熱を持つ。
それでもフランスが笑みを崩さないから、殴ったままで静止していたイギリスの目尻から、つぅ、と冷たい雫がこぼれ落ちた。
「な、んで…、」
何で避けないんだよ。
ひくひく鳴る喉で無理矢理紡ぎ出した言葉に、やはりフランスは苦笑するばかり。
それがまるで自分なんて眼中にないと言外に詰られているようで、イギリスは唇を噛んだ。
「避けたって、何かが解決する訳じゃないでしょ」
だったら、少しでもアーティの気が晴れる方が、ずっと良い。
フランスは淡々と言葉を紡ぐ。イギリスの頬に手をやって、涙の線を拭った。
他意のないその優しさにも、イギリスはふるりと心震わせてしまう。そうして待っているのは、自己嫌悪だけだと言うのに。
「…アーティ――いや、イギリス?」
"アーティ"
それは、夜伽の際に、情欲と共に囁かれる名前だ。だからこそ、フランスは言い換えた。自ら、線を引いた。
イギリスはそれが分かったから、先ほど拭われたばかりの頬に、また涙の線を塗り重ねてしまう。自分を苦しめる現実をふるふると首を振ることで拒絶して。
「…そもそも、契約違反なんだよ、こういうの」
フランスの声はどこまでも優しく、それが却って、辛い。
まるで忘れてしまったかのように上手く呼吸が出来ないから、イギリスは喘ぐ。大切なことを、言えないまま。
「だから、ね、イギリス」
もう、終わりにしよう?
言ったフランスはもう笑ってなどいなくて、イギリスは一層慟哭した。
だって、こんなのおかしいでしょ。フランスはイギリスの目を見据えて、呟いた。
「俺達は、恋人でも何でもないんだよ」
聞いた瞬間、イギリスは走り去っていた。これ以上、傷つきたくないと、逃げ出した。
扉が閉まったその後に。
「…あー。もう」
ほんとは、手放したくなんて、ないのに。
そう言ってずるり、崩れ落ちた男がいることを、イギリスは知らない。