木陰の戦い(前編)
102番道路は、トウカとコトキを結ぶ唯一の街道だ。ホウエン本島西側に広がる、なだらかな山間部を開拓して生まれたこの場所は、基本的には一本道で迷うことはない。
車道と歩道の区別すらつけられておらず、出来るだけ自然の景観を保っているため勘違いもされやすいが、トウカとコトキ、それぞれ自治体の主導でキチンと整備されている。気性の荒い野生ポケモンに襲われる危険も、他の道路に比べて格段に少ない
らしい。
だからこそ、本道から逸れるのはタブーとされている。森の奥は、人気を嫌ったポケモンのねぐらになっているから。
そういうやつに限って、凶暴なポケモンが多い傾向にある……ハルカの元へと向かう俺の足は、それが過ぎって重くなった。
(この匂い……! やっぱりこの辺りは
!)
草木を分け、腐葉土に足を取られつつも進む俺は、濃くなる異臭に顔をしかめた。
獣独特の体臭や糞尿の匂い……これらの“印”は、彼らの縄張りを示すものだ。
多分、ジグザグマをやった犯人の
。
「…………!」
林の中を進んで間も無く、俺はハルカに追いついた。足元にはあのジグザグマもいる。だが……。
グルルルル……!
小型の体躯を低くして唸るのは、かみつきポケモンの“ポチエナ”。黒い体毛が特徴的な四足歩行ポケモンだが、そいつらが群れをなして、ハルカとジグザグマを囲っていた。
(やっぱり……ここはあいつらの縄張り!侵入してきた俺たちに反応して出てきたんだ……!)
事態を把握した俺は、即座に木の影に身を隠す。状況は……考え得る限り、最悪だった。
元々、あのジグザグマを助けることに反対したのは、この可能性を考えたからだ。ポチエナは気性は荒いが小心者でもある。その点は、興味本位で容易く人の前に現れるジグザグマよりもずっと警戒心が強いと言っていい。
警戒心が強いポケモンは、基本的に自分の縄張りを出ない。棲家を変えるようなことでもない限り、易々と外に出かけたりはしないはずなんだ。
おそらくあのジグザグマは、それと知らずにポチエナの縄張りへと足を踏み入れた。それに反応したポチエナたちに、足を噛まれたんだろう。ハルカがあの傷を『噛み傷』と言っていたことからも整合性はとれる。
わかっていたことだけど、やっぱり何も起きないはずがなかった。ワンチャン、ポチエナたちが反応するまでにアイツらを連れ出せたら……なんていう、俺の希望的観測は潰える。
「ちょっと、お邪魔させてもらってま
す……ダメ?」
ガルルルルル!!!
ハルカは引き攣った笑いで問いかけるが、ポチエナたちはさらに唸りを荒げる。アホかあいつは! 下手に刺激すんな
!
とはいえ、どうする……? 幸い俺の存在は気付かれてないっぽい。どさくさに紛れたのが功を奏したようだけど、このままだとアイツらがやられる。ポチエナの注意を他に引かせれば、逃げ道は作れそうだが
。
「私……この友達を助けたいだけなの……縄張りを荒らしたりしないから……ね?」
依然対話を試みるハルカ。確かに知能が高いポケモン相手なら、それもアリだろう。ポケモンを出して応戦しないのも、こちらに敵対の意志がないのを伝えるのには効果的だ。だけど
。
ガァッ!!!
ハルカへの返答は、一匹のポチエナによる飛びかかりからの“かみつく”攻撃だった。こっちはもう縄張りに踏み込んじまってる。当然、そんな言い訳が通用するわけがない。
「ハッ
!」
ハルカはジグザグマを脇に抱えて前転。飛んできたポチエナを潜り抜けるようにして、“かみつく”を回避した。
だがそれを皮切りに、他のポチエナたちも一斉に襲いかかる。四方から一匹ずつ突っ込んでくる野生
一度でも噛み付かれたら、ただじゃ済まない!
「
しかたない、よね!」
ドドドドッ!!!
ハルカに向かって行ったはずのポチエナは、何かに弾かれたように吹き飛んだ。しかも四匹同時に
。
その真ん中で立っていたのは、ハルカともう一人
いや、
もう一匹。
黄と赤の体毛に覆われ、長い腕の先には鋭い爪。見た目は鳥類のそれだが、肥大化した大腿筋が羽毛越しでもわかるほど膨れ上がっていた。
何より立派なトサカが目を引くそいつは、確かアチャモの進化系
ワカシャモだ。
「
ちゃも……あんまり気は進まないけど、一旦追い返すよ!」
シャモッ!!!
臨戦態勢になるハルカとワカシャモ。その気迫は、俺が昨日まで見てきたものとは比べ物にならない。しかし、どういうことだ? 確かあいつの手持ちは
。
(昨日まではアチャモだったはず……この一日で進化した……? そんな事あんのか……!?)
俺が混乱している間に、ワカシャモは襲いかかるポチエナの一匹を蹴り上げる。しかもその足を翻し、追撃の前蹴りを浮かせたポチエナの胴めがけて放った。
今のは、
“にどげり” !? しかも、速いッ!
「いや
まだ後ろから!」
ハルカの後ろから、二匹のポチエナが飛びかかる。やばい! 今のポチエナに気を取られて、背後まで気が回ってな
。
「
“ニトロチャージ” !」
万事休す
そう思われた矢先、ワカシャモはその身に炎を纏って翻り、凄まじい速度でダッシュした。
火炎を宿した突進攻撃はポチエナの虚をつき、二匹まとめて吹き飛ばす。通過したワカシャモは、地面に炎の轍を作りながら停止した。
す、すご……。今まで見てきたアチャモとは、まるで別次元だ……! パワー、スピード、危機感知力、身のこなしのキレ
どれもが、俺の知ってるバトルの質とは異なる。
「
ワカシャモ は強いよ!痛い目みたくなかったら、大人しく帰りなさい!」
ハルカは既に勝ち誇ったように仁王立ち。確かに、力比べじゃあのポチエナたちに勝ち目はない。頭数で優っていたポチエナは、ここから見る限りでは五匹いるが、その内の一匹は“にどげり”で瀕死。“ニトロチャージ”を食らった二匹も手負いとなり、残った二匹も戦意を削がれたのか、距離を取ったまま立ち尽くすばかりだった。
マジか……五匹の群れ相手に、囲まれた状態からでも対応できんのかよ。あいつがカナズミのトーナメントを優勝したってのは、やっぱりまぐれじゃなさそうだな。
しかしまぁ、これでポチエナが下がってくれれば、問題はなさそうだ。ポチエナには悪いけど、今回は相手が悪かったと思って
。
(………いや、待てよ?)
そこで俺は、妙な違和感を覚えた。
俺とハルカが森に入ったのは、せいぜい一分前。それにしては、こっちの存在に気付いて現れるまで……やけに早くないか?
ジグザグマが縄張りを踏み荒らしたから、ポチエナたちの気が立ってたってのはあるかも知れないけど
いや、そもそもなんで……
奴らの縄張りに踏み込んでしまったんだ……?
興味本位で物を探す傾向があるジグザグマとはいえ、身の危険を度外視するほどバカじゃない。ポチエナたちは自分のエリア内を糞尿でマーキングする。鼻のきくポケモンが気付かないはずがないんだ。
生態系での力関係はポチエナたちの方が上。ジグザグマから喧嘩を売ったとは考えにくい。もしかして、侵略してきたのはポチエナたちの方だった……?
ポチエナは小心者……縄張りの外を出歩くことなんて早々あり得ない。だけど
。
ぼちぼちですね。ちょっとポチエナを見かける頻度が上がってきたかもしんないです 。 俺は……昨日のフィールドワークで言った、自分の言葉を思い出す。そして、“ある事”が脳裏を過った瞬間、気付けば俺は、木の影から飛び出していた
。
「気をつけろッ!!! そいつらはまだ
」
叫んだ
だが、俺の声が最後まで発せられることはなかった。
ちゃもの足元が隆起したかと思えば、その場所が突如爆散
腐葉土の中から現れたのは、一際大きい体躯の……黒獣だった。
俺の頭に浮かんだのは、ポチエナたちの個体増加による、『縄張りの拡張と抗争』
森の中での棲家や狩場の確保は
熾烈 だ。個体が増えれば、群れはさらに広大な土地を求める。その結果、他の生物、同種の縄張りを踏み荒らす可能性が増す。バランスを崩した結果、森の中は覇権を争う戦場となる。
そして、そんな戦場で幅を効かせるのは……優秀な“頭”を持つ群れだ……。
グラエナ一際大きな体躯を持つそのポケモンは、ハルカのちゃもを
地面の中から奇襲した。
今のは
“あなをほる”か!
「ハルカ
!!!」
「ユウキくん……大丈夫。おかげでギリギリ反応できたよ……!」
俺の声でハルカは動いていた
危機を未然に察知したことで、クリーンヒットを免れたワカシャモは再び立ち上がり、健全さをアピール。会敵したグラエナを睨み返す。
(ギリ受け身が間に合ったのか……でも、無傷ってわけじゃない……!)
俺は見逃さなかった。さっきの攻撃か着地した時かはわからないが、ちゃもの右脚が痙攣を起こしている。あの様子だと、最低でも捻挫は確定だ……!
(くそ……! ワカシャモのスペックはほとんど『脚』周りに集中してる! あの脚じゃ、もうさっきみたいな立ち回りはできない! いや、それどころか……)
さっき吹き飛ばされたポチエナたちも息を吹き返し始めた。“にどげり”を食らったやつ以外は、俺を含めた標的を囲んでいた。ボスに合わせて動く気満々である。
このままだとやばい……! 頼みの綱だったちゃもはグラエナとの一騎打ちすら危ういし、こっちには死に体のジグザグマもいる。俺が加勢してやりたいけど……。
(キモリ……いや、ダメだ。こいつにそんな無茶はさせられない……!)
俺は頭を振って“その考え”を振り払う。何か策があるならともかく、考え無しに戦わせるのは危険すぎた。俺の未熟な指示では………!
でも……じゃあどうする……? このままだとマジで全員
。
「ありがと……来てくれて。嬉しかったよ」
ハルカはこの状況で、信じられないくらい落ち着いた声色で語りかけてくる。
「危ないことに巻き込んでごめん。でも、絶対みんなを森の外に逃すから
」
「ハルカ……?」
様子がおかしい
そう思った時、既に戦いは再開していた。
グラエナが吠えると、他のポチエナが一斉に四方から飛びかかってきた。
「
“かえんほうしゃ” !!!」
ちゃもは、クチバシから灼熱の炎を吐き出す。文字通りの“かえんほうしゃ”は、向かってくる敵を薙ぎ払うようにして放たれた。
だが、その火炎を突き抜けて現れたグラエナが、“とっしん”でちゃもに肉薄する。
ガガッ!!!
ヂャモ……ッ!
それを両手で押さえるちゃも。がっしりとグラエナの肩を掴んで踏ん張るが、ここで痛めた脚が悲鳴を上げた。
(ちゃもの踏ん張りが効いてない! 俺たちを守りながらじゃ……この状況は
!)
ちゃもはさらに噛みつこうとしてくるグラエナを、まだ無事な左脚で蹴飛ばして距離を取る。だが、軸足にした右側がさらに痛み、片膝をつく羽目に。そして、その隙に他のポチエナが、ちゃもの肩に噛み付いた。
ヂャッ!
「ちゃも! 振り解いて!!!」
ハルカの鬼気迫る命令を受け、ちゃもは地面を転がってポチエナを引き剥がす。肩に取り付いた奴はそれで離れてくれたが、今度はまた別の奴がちゃもの右脚に噛み付いた。
これには流石のちゃもも苦悶の表情を浮かべる。痛めたところに追撃
しかもここで!
グラァッ!!!
グラエナが大口を開けて飛び込んできた! このタイミングでは
躱せない!
シャァァァアアア!!!
だがちゃもも意地を見せる。自分の身体を燃やすのはさっき使った“ニトロチャージ”。右脚に食らいつくポチエナをその炎で炙って除去。さらに傷んだ脚で溜めをつくり、向かってくるグラエナに反撃のショルダータックルをお見舞いした。
グラッ!?
胸にカウンターを食らったグラエナは、目を白黒させながら後退。途轍もない気迫で立ち向かうワカシャモに、他のポチエナも二の足を踏んでいる。
(やっぱりこのワカシャモはすごい……! 手負でこの戦闘力……だけど、グラエナを仕留め切るところまで行けない……! 理由はおそらく
)
脚を負傷したことで、追い足が間に合わないのがひとつ。そしてもうひとつは、多分
俺たちの存在だ
。
(ワカシャモが抜け出すと、他の四匹の対応が遅れる。その隙に俺たちが襲われたらひとたまりもない……ハルカだけなら何とか凌げるかもしれないけど……!)
ハルカは他のポケモンを繰り出す気はないらしい。俺に助力を願い出ないのは、メリットよりもデメリットを警戒してのことだろう。不用意にキモリを出して戦局が変われば、最悪ハルカたちの邪魔をしかねない。
せめて俺たちがこの場を離れられれば……多分、ハルカもそのことを考えて、突破口を探している
。
(いや、馬鹿か俺はッ! それってつまり、ハルカたちを置いて、自分だけ逃げようってことだろ!!! いくらコイツらが強いって言っても、万全からは程遠いワカシャモ一匹じゃ、リスクの方が勝る! 何より、女の子一人置いて逃げるほど
)
ガァッ!!!
「
ッ!!!」
考え込む俺に、一匹のポチエナがこっちに向いて走ってきた。アレに噛みつかれたら大怪我。恐怖で身が固まるのを感じた
。
「ていやぁ
!!!」
その瞬間、俺を押し退けたハルカが、上段回し蹴りを繰り出す。突っ込んできたポチエナは、その蹴りに弾かれて再び距離を置いた
っていや、回し蹴りってアンタ……。
「ごめん! でもボーッとしないでね! いつでも助けてあげられるわけじゃないから
」
見事なキックを見せたハルカにそう言われて、俺は一層自分が惨めになる。
何を必死に考えてんだ俺は……! どの道、俺にできることなんて何もないだろ!? 精々できるのは、ハルカがこの状況を打開するのを祈るくらいなもんだ! コイツらの動きに合わせて俺が何か動けるわけがない! 足手まといが粋がったって、意味なんかないんだよ……!
そうだ。意味なんか……!!!
シャマッ……!?
その時、俺はちゃもの悲鳴を聴いた。孤軍奮闘するワカシャモは、確かに善戦していた。
だけど、足の負傷に数の暴力。俺たちという足手まといを守りながらの戦いは、遂に限界を迎えようとしていた。
「ちゃも! かえんほ
」
グラァッ!!!
ハルカが技の指示をする直前、グラエナは強く地面を蹴って、砂埃をちゃもの顔面に叩きつけた。
“すなかけ”……! 目潰しをされた……!!!
ガウッ!!!
バウバウッ!!!
次いで二匹のポチエナが、ちゃもの両足に噛み付いた。その痛みで顔が歪み
。
ガァッ!!!
すかさずグラエナが迫り、その喉元に牙を突き立てた
あれは、
“かみくだく”……!?
悪タイプの大技……格闘タイプのワカシャモには効果今ひとつだが、それでも顎の力で気道が潰されている! あれじゃ酸素不足で失神待ったなしだ……!!!
ガウアッ!!!
俺がちゃもに気を取られていると、俺たちの方にも二匹、ポチエナが突っ込んできた。完全にワカシャモと分断されてしまった俺たちを狙ってきた
!
ハルカは毅然として俺たちの前に一歩出て身構える。応戦する気か
!?
ダメだ! ハルカの蹴りは一回見られてる! 例え弾けても一匹が限度、二匹同時には
!!!
ガァッ!!!
俺は
もう腹を括るしかなかった。
パパァンッ!!!
一瞬
光の筋となった
そいつは、ハルカに襲いかかる黒獣を弾き飛ばした。
森に降り立ったのは、緑色の体躯を持つ一匹のポケモン。短い前足と太い後ろ足で地面を捉え、身の丈と同じほどの尻尾が、大剣のように構えられている。
黄色い瞳は閃光を放って標的を見据える。俺が投入した、唯一の相棒
。
ギ………ッ!
もりトカゲポケモンのキモリは、鋭く唸ってみせた……!
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