正しさ
コトキタウン
何かが始まりそうな……そんな予感をさせる町だ。
ミシロタウンから北へ伸びる街道をしばらく進むとある、もう一つの田舎町ではあるが、ポケモンセンターやフレンドリーショップなど、最低限の施設は備えられている(ミシロはそれすらない有様だが)。
商店も少なからず点在し、この町のみならず、ミシロや周辺道路の生命線として、彼らの日常を支えている。ここがなかったらと思うと、今更ながらゾッとする。
博士のフィールドワークや入用の買い物など、世話になりっぱなしのこの場所は、いつも俺の生活の変わり目に立ち会っている。確か……
こいつに会ったのも、この町の中だった。
そして今日もまた、俺の生活は変わろうとしている。
俺の意思に関わらず……強引に……。
「はい、あーん♪」
「……なにしてんの?」
ここはコトキの道脇に立つ喫茶店。時刻は昼前、既にメニューはモーニングからランチタイムのものへと様変わりしている。小腹を満たそうと立ち寄った俺たちは、母さんからの命を受けて、トウカにいる親父へ配達中である。不本意ながら……。
ハルカの進言に悪ノリした母を恨みながら、「まぁ一人で行くわけでもないし、いいか」ーーと納得。決して旅立つハルカと、もうしばらく一緒にいられるとか、そんな事で喜んだりはしていない。断じて。
え?じゃあさっきの「あ
ん?」は何かって……?
俺が知るわけないだろ。
「いや、だから。私のエビフライと、ユウキくんのハンバーグ。味比べしよ?」
「説明になってない。なんでお前は自分のフライに、フォーク突き立てて俺に向けてる?」
「………? お箸の方がよかった?」
「…………」
話が全く噛み合わん。
たまたま立ち寄った喫茶店で、「ちょっと飯食うか」
となった俺たちは、向かい合う形で二人がけのテーブルに座った。うん。ここまではわかる。「あ、これ女子とデートしてるみたいだ」
とか思ったけど、それはとりあえず置いとくとして。
そしたら今度は出てきた飯を交換……? 既に互いは皿の上にあるものを食べたあと。あなたがこっちにフライ刺して向けてるフォークも、何度かあなたの口内を経由している代物ですよ? わかってんのかこの赤色。
「自分で食う」
「もしかして、恥ずかしいの?」
恥ずかしがらん十代がどこにいると? 相変わらず距離感バグってる。
わかってる。こいつにそんな“当たり前”が通用しないことくらい。だからこの行為も、『友達とするスキンシップ』
くらいにしか思われてないんだろう。
だけど……だからってなぁ……。
「こういうこと……他の誰かにやってねーだろうな?」
「誰かって……?」
「そりゃ……他の……男子とか……」
「男子なんて、ユウキくん以外いないでしょ?」
「いやいるわ。どんな世紀末だ」
「そういう意味じゃ……」
いかん。焦り過ぎて、言葉尻を深く捉え過ぎた。こいつの言ってるのは「ミシロにそんな奴はいない」
ってことだ。いや、それも本当にいないわけじゃないけども。
聞いた話じゃ、ホウエンの子供はみんなポケモントレーナーになりたがるもんらしい。別にそれ自体はジョウト地方でも珍しくなかったけど、こっちはより『バトル』で活躍したい子が多いんだとか。
その中でも、試合をして賞金を稼ぐ職業として目指す場合、専門の知識を学びに出かける必要がある。年頃の子供は、教育機関にお世話になるために、都心にあるジムとか学校なんかに通う
もしくは寄宿する形を取るようだ。
だがハルカは、そのどこのお世話にもなってこなかった。年頃になっても勉学の類いはオダマキ博士に教わり、俺がやってくる少し前までは、ハルカがフィールドワークの助手をやっていた。そういう経緯で、こいつは同年代との交流が極端に少ない。結果
他人のパーソナルスペースを容易く侵略する、バケモノとなってしまったのである……。
「博士……もっと娘の教育、ちゃんとやってくれよ……」
「なんでお父さんが出てくるの?」
「いや……もういい。ほれ、お前のハンバーグ」
俺はやりとりが面倒くさくなって、自分の切り分けた主食をハルカの皿の上に移す。手早く済ませたから、恥ずかしさはある程度軽減できた。
「ユウキくんも『あーん』しないの?」
「するわけねぇだろ……というか、さっさと食ってトウカ行くぞ。早めに済まさないと、今日中に帰れなくなるからな……」
何しれっと言ってくれてんだ
と突っ込む気力はないので、食事を急かしてスルー。実際、ここからトウカまではそれなりに遠い。車なら心配はないが、歩きとなると時間や体力に不安がある。
行きはまだいいが、帰りはしんどい。母さんめ。余計な仕事を押し付けてくれたもんだ。
「ご飯はゆっくり食べて味わいたいんだけどなー」
「悪かったな。情緒のない奴で」
「ううん、確かに……早くお父さんに会いたいもんね!」
「お前は何を聞いてたんだ……?」
親父
現在、トウカジムのジムリーダーをやってるセンリは、十年前に家族を置いて、単身でホウエンに旅立った人だ。
それ以来、一度だってジョウトに帰ってきた形跡はないし、ミシロに越してきてからも顔を合わせたのは数度。とてもじゃないけど会いたいと思える関係じゃない。
でもそこを突くと、こいつはまた「家族なのに?」
とか言い出すんだろな。さっきの様子からしても、「家族は仲良くあるべき」って姿勢がありありと見えるし……そこにケチつける気はないけど……。
「どうしたの……?食べないの?」
「ん。食べるよ」
俺の様子が大人しくなったのを気にしたハルカに、「なんでもない」
と言って肉を頬張る。あんまり外食ってしてこなかったけど、金払うだけあって美味いね。
「美味しいよねーここの料理。昔から家族でよくきてたんだー」
「その辺、博士は抜かりなさそうだよな。研究所の仕事はよくほったらかす癖に」
「アハハハ。それはお母さんも言ってた。弟なんて、あんまりここに通うもんだから『高いんだし、ダイエットした方がいいんだからほどほどにね』
って」
「え……お前、弟いんの?」
ハルカの言葉に、俺は箸を止めた。
こいつの家には結構行ってるけど、それらしい人間にはまだ会ったことがなかった俺は、意外そうな声を上げてしまった。
すると、ハルカはハッとしたような顔をして
。
「……うん! 今は旅に出てるの。そろそろ帰ってくるんじゃないかな
」
「旅ねー。そいつもプロだったりすんの?」
「アハハハ、どうだろね。随分前から音沙汰ないし……」
「そ、そうなのか……?」
それはなんというか、心配ではある
か。
いらん地雷を踏んだ気がする。こいつの家族愛は結構重めだ。父親である博士相手には少し手厳しい気もするけど、博士の仕事であるフィールドワークをずっと手伝ってたのは他でもないこいつだ。俺なんかとは年季が違う。
プロになったあと、すぐに帰ってきたのもおそらく、家族に報告するため。電話一本でも充分だろうに、こいつはわざわざカナズミからここまで帰ってきた。そんだけ家族やミシロが好きなんだろう。
そんなハルカが、『音信不通の弟』に何も思わないわけがない。話題に上らなかったのは、多分、その辺の心配が勝つから
かな。
「……ま、頼りがないのは元気な証拠
って言いますから♪」
「そういうもん……なのか……?」
「そういうもん。あ、そろそろ店、出ちゃおっか。遅くなりたくないもんね?」
「お、おう……?」
気まずくなったからか、ハルカは話題を逸らすように店を出ることを勧める。俺も思うところはあったが、こいつがこれ以上の追求を嫌がるなら、よしておこうと思う。
誰だって、突かれたくない過去や事情は……あるもんな。
………。
ところで
。
「ハルカ、付かぬことを聞くんだけど」
「ん、なに?」
「いや、今な?」
俺は今しがた、会計のためにレジへ向かった。すると店員さんから「お代はお連れの方からいただいております」
と、意味不明な言葉を聞いた気がした。
そのことについて問いただすと、ハルカはにっこり笑ってこう言ってのけた。
「フフフ、これでも、プロですから!」
ドヤ顔。歳にしてはやや発育の良さげな胸を張って、目の前の赤色は財力の差を見せつけてくるのであった……。
「じゃあお前……ジムリーダー倒したその足で、カナズミの大会で優勝しちまったの……?」
さっきの話の続き。俺はトウカへ向かう“102番道路”を歩きながら、ハルカの資金源について聞かされていた。
なんでもこいつ、プロになったその日のうちに、街中でやってた『プロが出場するトーナメント』に参加したんだとか。しかも結果は優勝。無茶苦茶である。
「まぁ“モンボ級”のトーナメントだけどね。ビギナーズラックってやつかな
」
「もしかしてお前、割とすごい奴なの?」
「まさか! 私なんて、プロになってまだ数ヶ月の駆け出しだよ。トーナメントで勝てたのは、たまたま運が良かっただけ……」
そういうもん
では流石にないと思うな俺は。
確かにバトルに運の要素はあると思う。その日の体調とか、ポケモン同士の相性とか。だけど、それを加味しても、ある程度の実力がないと、一回負けたら終わりのトーナメントで優勝なんかできないと思う。
こいつの調子がすこぶる良かったのかもしれないけど、だからって、自分よりも
経験 が上のトレーナーに勝つのは……すごいことだろ。
「でもトーナメントの賞金ってすごいんだね!最初、びっくりし過ぎて『桁間違えてません?』って訊いちゃった!」
「そりゃ、一応公式戦だし。そんぐらいの賞金がないと、プロも出場しないだろ?」
褒美が豪華じゃないとやる気が出ない
ちょっと現金な話ではあるけど、それも人間の心理だ。どんだけ取り繕おうとも、最終的な見入りの大小を前に、人は正直である。
ちなみにオダマキ博士はバイト代を結構弾んでくれた。あのフィールドワークやデータ整理に、俺が精を出した理由もわかってもらえるだろう。
「別にお金のために参加したわけじゃなかったんだけどね
。悪いことしちゃった気がして……」
「じゃあ、何のためにトーナメント出たんだよ?」
「………楽しむため……かな?」
楽しむため……まあそりゃそうか。俺みたいな素人相手でも、四六時中追い回してバトルさせるような戦闘狂だもんな。
しかし悪いってことはないにしても、トーナメントの参加者は気の毒だったな。まさかこんな理由のやつが、賞金を掻っ攫っていったとは思わないだろうけど……。
なんて話していると、不意にハルカは立ち止まった。
「ねぇ、ユウキくん……
アレ」
呟くそいつが指差す方は、道路の道端。木々が茂る林と街道の境目辺り……あいつは……?
「ジグザグマ……だよな?」
「待ってユウキくん。あの子、怪我してる!」
つい昨日、フィールドワークで見つけたポケモンに、ハルカは慌てて近づいた。俺も遅れて駆けつけると、確かに言った通り、ジグザグマの左後ろ足が、赤黒く染まっているのが確認できた。
「足を怪我……しかもこれ、噛み傷だよ!」
「……ってことは、野生同士の小競り合いか? それにしたって酷いやられ方してんな」
「もしかしたら、これをやったポケモンがまだ近くにいるかも。気をつけてね
あっ!」
ハルカが腰のポーチから“きずぐすり”を取り出した時、倒れていたジグザグマは意識を取り戻したようで、俺たちの存在にビビったのか、怪我した足も気にせずに林へと飛び込んで行った。
「ジグザグマ
」
「待てよ! 追いかけてどーすんだ!?」
「手当しなきゃ! あのままじゃあの子、この辺の凶暴なポケモンに襲われたら、ひとたまりもない!」
「いやだから落ち着けって! そんなこと、俺らがホイホイやっていいことじゃないだろ!?」
野生のポケモンは、棲家にしている環境によって警戒心が異なる。人の出入りが激しい街や街道の周りにいるポケモンは、人里にも姿を見せ、機嫌がいいと触らせてくれたりもするが、自然の割合が多い田舎道だとそういうわけにもいかない。
普通の野生動物よりは知能もあったりするポケモンだけど、だからってコミュニケーションがうまくいくわけじゃないんだ。下手に自然に手を付けたら、割りを食うのは施しを受けたポケモン。つまり、あのジグザグマってことになる。
「お前だって……いや、俺よりお前の方がわかってるだろ!? 一度人の手がついたポケモンは、そいつの群れが受け付けなくなるかもしれないって!」
「じゃあ、このまま見殺しにするの!?」
「見殺しって……少なくともあいつは今、俺たちからも逃げたんだぞ!? 助けは求められてない! それに、この林で動き回るジグザグマを捕捉するのは
」
カッとなった友達を止めるために言葉を発したが、その時、ハルカの顔を見た俺は言葉を詰まらせた。
その顔は、何度も見た。人が人に……“失望”する時の顔だ
。
「………そだね。ユウキくんの言ってることは、
正しいよ」
ハルカの呟きは、冷たかった。今まで聞いたことがないくらい……。
「でも、私には窮屈かな。『怪我してる子が可哀想だからほっておけない』
この気持ちは本物だから……だって、あの子の顔は怯えてたんだもん」
窮屈
そう言われて、俺は何も言い返せなかった。そして……。
「私は、正しさの奴隷には……なれない……!」
一際痛烈なメッセージを残して、ハルカは遂に林へと飛び込んで行ってしまった。
まるで、物語に出てくるヒーローみたいに。ただ助けたいって気持ちをだけを抱えて……。
ユウキくんは、正しいよ…… 取り残された俺の頭には、あいつの言葉が反響するばかりで、俺自身はそこから身動き一つとれないでいた。
「なんだよ……それ………!」
ポケモンの生態系を踏み荒らしてはいけない
フィールドワークの鉄則だ。例えそれが、ポケモン同士の諍いであったとしても、自然の成り行きに任せるのが、俺たちの取るべきスタンスだったはずだ。
確かに可哀想だとは思うよ。その結果、死ぬかもしれないって考えると、俺だって助けてやりたいさ……でも、だからって何ができる? 治療して、保護して、その先は……?
助けた後のことなんて、考えてないくせに
!
……………ッ!
「ふざけんな……!」
俺は、気付けば走り出していた
。
「言いたいことばっか言いやがってッ!」
ジグザグマとハルカが飛び込んだ林の中へと
なんでかはわからない。ただ無性に、腹が立って仕方がなかった。
言われたこと、向けられた顔が、どうにも俺の神経を逆撫でする。一方的にそんな感情をぶつけられた俺は、きっと怒っていた。
草木が行く道を阻み、顔や体に引っかかる。その痛み、煩わしさ、嫌悪感に苛まれながら、それでも俺は走り込んだ。
正しさの奴隷にはなれない……? そんなの俺だって
!
早く元気になんないとねー。お母さんが心配するだろ? 突如、フラッシュバックする光景に俺は歯を食い縛る。
うるさい
そう言って、俺は怒りのままに木々の合間を駆け抜ける。
目指すはハルカのいる場所。あいつには……言いたいことが山ほどあるから
。
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