きっかけ



 翌日


「そろそろ旅に出ようと思います!」


 朝、我が家を訪ねてきたハルカは、開口一番に満面の笑顔でこう言った。朝食に出されたトーストを、俺は危うく落としかけた。


「……それはまた、急だな」


 今のはだいぶ隠せてたと思うが、内心居心地の悪さが半端ない。昨日、妙な一人語りから空気をぶち壊している俺としては、何かこう、『ここに居たくない』的な地雷を踏んでしまったのかと、ヒヤヒヤした。


「ツツジさんを倒してからは、しばらくここに居ついちゃったからねー。根っこが生える前に、そろそろ“次”を目指さなきゃとは思ってたんだよね


 あー……そういう……前からそのつもりだったわけか。脅かすなよな……。

 ちなみに“ツツジさん”とは、ホウエン西側で最大の規模を誇る学園都市、カナズミシティの“ジムリーダー”。俺も名前しか知らないけど、ハルカがその人に勝ってプロになったのがひと月前か。確かに長い居座りではあったかもな。

 それには、ハルカの分の朝食も作っていた母さんも賛成だったようで


「そうねー。あっちこっちでやってる大会とかに出るなら、ハルカちゃんはあんまり足を止められないわよねー……?」


 などと言って、何故か俺の方を見る。なんだ……そのいやらしい目は。


「寂しくなるわよねー。ユウキ?」

「え、は、はぁ!? なんで俺に訊く!?」

「なに慌ててんのよ。ホントのことでしょー?」

「そーなの、ユウキくん?」

「ぜ、全ッ然ッ!!! いやぁこれでバトルしろってしつこく付きまとわれなくなると思うと清々するわ!」


 ……我ながら、また心にもない余計なことを口走ったもんだ冷静な俺が冷ややかな目で見ているのがわかる。

 それに母さんは鼻で笑い、ハルカは少し寂しそうに「ごめんね……」なんて塩らしくいやいやいやいや! 何その顔!? 泣きそうになってませんか!?


「私、空気読めなかったよね……昨日だってユウキくんの気持ちも考えずに


 あかん、昨日のことちゃんと覚えてるこの子。さすがにこれは俺が悪過ぎる。朝からこんなバツの悪い気持ちにさせられては敵わん!


「いや!? いやいやいやいや! ハルカがいなくなるとあのそう! 張り合い? ってのが無いって言うか? そろそろバトルの手応えもあったところでその、ほら! もう少し頑張ったら勝てそうだし!? いやぁ、このタイミングで居なくなられるのマジ困るわぁ!」


 白々しい気の毒な生き物を見るように、もう一人の俺が呟く。母さんに至っては頬がつるんじゃないかと思うくらい口元がひん曲がっている。笑えよちくしょう。

 ちなみにハルカに勝てそうとか、これっぽっちも思ってません。この歳でプロになるバケモンだぞ?逆立ちしても勝てるわけねー。

 そんなバケモンもといハルカは、潤んだ瞳でこちらを見上げてきて……。


「ホント……?」

「ホントホント! 引き止めるとかそんなつもりはないけどさぁ? もう少しゆっくりしててもバチは当たらんのでは……なかろうか?」


 いやそれは行った方がいい。何のためにプロになったのかは知らんが、こんな田舎にいたんじゃ、その資格も宝の持ち腐れ。トーナメントなり次のジムなりに顔出した方が、遥かに懸命である。引き止めるなどナンセンスである。本当に。

 必死に取り繕う姿はあまりにも滑稽だったんだろう。落ち込んでたハルカは、突然吹き出す。


「ぷ……アハハハハハ! 慌てすぎだよユウキくん!」

「お、お前が泣きそうな顔すっから

「優しいんだねユウキくんは?」

っ!」


 いかん。慰めたらまた会話の主導権を持っていかれた。この流れはまずい。どうにか話題を変えねば


「そ、そういえば! 旅するっても、目的地はどこだよ?アテはあんの?」

「へ?あぁ……一応、目星はつけてるかな


 苦し紛れの話題変更だったが、思いのほか、ハルカの注意はそっちに向かってくれた。こらそこの母、「おもんな」って顔しない。


「今のところ考えてるのは“ムロ”か“キンセツ”かな?」

「ええっと……確かどっちもジムがあるとこだよな?」

「ちゃんと知ってるんだね。さすがユウキくん♪」

「…………」


 それはたまたま。最近、ポケモンの生態調査の一環で、ホウエン全域のマップを見る機会が多かったから。その中でも『ムロタウン』と『キンセツシティ』は、両極端な街として有名なんだ。

 ムロはホウエン最西の島村で、海と砂浜、海岸線にあるという『石の洞窟』と呼ばれるダンジョンが有名らしい。過酷な自然を多く残してるから、ポケモンとトレーナー両方の鍛錬にもってこいとか。

 キンセツは逆にホウエン屈指の大都市。巨大な発電用プラントで、ホウエンの夜を照らしている。現ジムリーダーが少々変わった人らしく、街そのものを改造して、広大な商業施設に変えてしまったのは、今でも語り草だった。


「ミシロからはどっちも遠いけど、今のところ挑戦できる一番近いジムは、この二つなんだよねー」

「ちょっと待てよ。近さで言ったら


 近さで言えば……トウカジムがある。あそこはコトキタウンから西にまっすぐ行くとある地方都市で、ノーマルタイプ専門のポケモンジムがあった。

 うちの親父が……担当しているジムだ。


「それなんだけど、おじさんセンリさんとはまだ戦えないんだよ。あそこはちょっと特別なジムだから」

「特別……?」

「バッジの数が四つを超えないと戦ってくれないのよ……お父さんは」


 答えたのは母さん。え、親父のいるトウカジムって、そんな条件付けんの?


「まぁトウカに限ったことじゃないけど、ジム戦を受けるかどうかは、基本的にジムリーダーに権限があるからね。お父さんの意志なのか、ジム経営側の意図なのかはわからないけど……そういうことみたいよ」

「そういうことって……」


 淡々と説明する母さんだが、俺はイマイチ納得いかなかった。ハルカもそんなに思うところはなさそうでポカンとしてるけど、すぐそこにジムあるんだぞ? それを他所で駆けずり回ってバッジ集めて、またこんな辺境まで帰ってこなきゃいけないんだ。その手間やら交通費やらを考えると、なんか釈然としない。


「おじさんは、そのくらい強い子供と戦いたいって考えてるんじゃない?バッジ四つ以上欲しがる人って、それだけ向上心も高いからさ」

「お前はそれでいいのかよ? 面倒くさくないか?」

「そんなことないよ! 旅してあちこち回って、またトウカやミシロに帰ってくる……なんだか楽しそうじゃない?」


 ハルカにとってはそういうものなのか……楽観的というか、こういうの、たくましいって言うのかね?俺とは違う人種すぎてわからんけど。

 まぁ本人がいいならそれでいいか。こいつがどこまでバッジ集められるのか知らんけど、せめて応援くらいはしとくか。


「まぁ親父と戦えるようになったら、よろしく伝えてくれよ。あんま大人気ないことすんなよーってさ」

「本気でやってくれる方が嬉しいけどなー」

「戦闘狂め……いや、それはあの親父もおんなじか。家に帰りもせずにずっとジム業ばっかだし」

「え………?」


 俺がそう何気なく言うと、ハルカの顔色が変わった。なんだ、俺、変なこと言ったか?


「帰ったことないの……この家に、一度も?」

「お、おう……少なくとも俺の知る限りでは……」


 正確には、この家の内覧くらいは来てるはずだけど、住み始めてからは一度も顔を見せてないな。というか、ホウエンに来て以来、親父に会ったのは数えるくらいだ。


「なんで!?」

「なんでって……忙しいんだろ?」

「忙しくても“家族”だよね?おじさん、ジムリーダーになったから、二人をホウエン(こっち) に呼んだんでしょ?それなのに……」

「は、ハルカ……?」


 なんだ……?こいつが変な態度取るのは珍しくもないけど、いつもとちょっと様子が違くないか?

 そんなにムキになって……どうした一体……。


「んー。まぁそれがウチだからね


 少し雲ったハルカを諌めたのは、母さんの言葉だった。


「元々長い間、家を空けるような人だからね。もういない方が慣れちゃってるというか……」

「でも……それって、寂しくない……?」

「そうね。もう忘れちゃったかな。寂しいとか、そういうの……」


 俺も初めて聞く、母さんの親父に対する気持ち。

 忘れた……か。確かにそれは俺もなのかも。『父親がいなくて寂しい』って、考える余裕がなかった。ハルカは多分、家族みんなで一緒にいるのが当たり前で……だからウチみたいな家庭環境に面食らったんだろう。

 なるほど、確かにそれが“ウチ”だ。


「まぁお前が俺らのこと心配してもしょうがねーだろ?別にウチはケンカしてるわけでもないし。仲良くはないかもしんないけど、不仲ってほどでも……」

「……ごめんなさい。また、空気読めてなかった?」

「どっちかって言うと、暗い顔される方が嫌かな。お前は呑気にヘラヘラしてる方が性に合ってる」


 俺がそう茶化すと、さすがにイジってるのがバレたのか、ハルカも「それって私がのーてんきってこと!?」なんて叫んでた。その通りだよ。

 ワーワーと弁解するハルカを見ると、やっぱこんな感じの方が、こいつらしいと思ってしまう。忙しそうに感情をコロコロ変えてる時とか特にって。


「なんだよ母さん……」

「んー、いや、アンタやっぱりお父さんの子だなって」

「は………? いや、どの辺が似てた?」


 またニヤつきながらこっちを見る母は、意味深なことを言って俺を困惑させる。なんだ、藪から棒に。


「天然……タライだったかしら?」

「雑にボケんな。ただ木製なだけだろそれ」

「そのレスポンスの速さは、私譲りね。絶対」

「ええおかげさまで……ってやかましいわ」


 やかまし過ぎる。ナチュラルに漫才に引き込むな。こういう感じだから本心が読めないっていうか……別にいいんだけど。


「でも、寂しい云々はともかくとして、一回くらい帰ってきてほしいとは思ってたのよね」

「親父なんか用あんの?」

「ユウキくん、何気にひどいよ?」


 しまった。『に』の付け所を間違えた。


「ジョウトの家で預かってた、あの人の貴重品がね。『どこかで取りに行く』とか言ってたくせに、いまだに帰ってこなくって……」

「送ればよくない?」

「それが構造が複雑なのか、データストレージ預かりできないのよ。実物郵送も壊れちゃうかもでしょ?大事なものらしいから、扱いも面倒くさくて……」

「直接届けてあげるっていうのは?」

「それは癪だから嫌ね。なんで私がトウカまで行ってあげなきゃいけないのよ」


 俺とハルカの案はどちらも却下。最後のは私怨っぽいけど、俺が同じ立場なら全く同じこと言っただろうな。

 しかしまたダルい話だ。親父も言ったんだからそこはちゃんとしろっての。何を預かってんのか知らないけど、不用心だな。

 まぁ取りに来ないってことは急ぎじゃないんだろ。別に俺は困ってないし、取りに来るのを気長に待てば


「だったら私が届けてくるッ!!!」


 明るく、元気よく。ハルカの声はリビングに響き渡った。


「お前、何言ってんだ?」

「だから、私が届けてきてあげるよ! ここからムロに行くなら、道すがらにトウカあるし!」

「いつからムロに行く話になった!?」

「今決めた! ついでだし! 私、おつかい行くよ!」


 いやおつかいってお前……別に急ぎじゃないんだっての。お前なりに気を遣ってくれてんのかもしんないけど……。


「聞いた感じ、割れ物注意っぽい品だぞ?そんなもん抱えて歩くなんて、面倒だろ?」

「そんなことないよー! それに、おじさんには久しぶりに会いたかったし」

「いやでも急ぎじゃないし

「今すぐいらなくても、必要になったら結局取りに来るんでしょ?だったら持って行くのも一緒だって!」

「いや、ウチの面倒ごとを押し付けるわけには……」


 うーん、どうもこいつは行きたがってるみたいだし、正直、助かるっちゃ助かる。でもなんか、好意に甘えるのもどうなのかと、謎の理性がブレーキを掛けるんだよな。

 母さんも同じ意見なのか、神妙な面持ちでハルカを見てるし……ん? なんでその視線がこっちに向くんですか?

 俺が不思議に思ったその瞬間母さんの顔が、「閃いた!」って顔をした。


「そうだわ! アンタも付いていってあげなさいよ! 荷物運び」

「………はぁ?」


 え、なんて?いきなりどーしたお母さん?


「考えてみれば、私が行かなきゃ別に届けたっていいものね。手間がかかるから億劫になってたけど、もうアンタも十五歳だもの。ハルカちゃんもいるし、おつかいくらいできるわよね?」

「待て待て待て! なんでそうなる!?」

「それいいね! ユウキくん! 一緒に冒険しよっ!」

「ちょっと今静かにしててもらえるかなハルカさん!」


 くそっ! なんでそんなお鉢が回ってくるんだ!いや別にいいだろ届けなくったって! ハルカ一人で行ったって、この際ええやろがい!


「なによー。女の子一人に行かす気ぃ? あんなむさ苦しいおじさんのところに」

「俺が言うのもなんだけど、旦那になんて口聞きやがる……」

「良い機会じゃない。自分のポケモンも持ってて、最近はフィールドワークにも出て、少しずつ引きこもり脱却してるし」

「それとこれとは話が違うだろ!」

「ちょっと行って帰ってくるだけじゃない。それともなに? まさかとは思うけど、アンタ……」


 はっそこで母さんの見透かすような瞳と目が合ってしまった。俺が徹底して断る姿勢に、目の奥の揺らぎに、母さんはひとつの答えを出す。


「お父さんと会うの、怖いの?」


 ドキリ母さんの一言は、俺の心臓を鷲掴みにした。


「おじさん……優しかったよ?」

「いやいやハルカちゃん、そういう怖さじゃないのよこれ。長いこと引きこもりしてたし、オダマキ博士やあなたとは割とすんなり会話できるようにはなってるけどね。苦手なのよねー」


 ダラダラと汗が流れる俺の顔を覗き込む母。十年、二人きりで生活してきた母さんの洞察力から逃れる術はない。


「人と話すの。特に苦手な相手との会話は、この子にはハードル高いのよ」


 緊張、動悸、吐き気などなど……何かしらの状態異常が引き起こされる理由を、母さんは最も簡単にバラしやがった。

 この年頃の人間に、それは禁句だ。誰だってスマートに生きたいと思ってるのに、それに思考と舌がついてこない子供。ミシロのユウキとはそういう奴なんだと


「コミュ障ってやつね


 俺は、その一言が胸に刺さり……撃沈した。







 ここは、とある森の中。生い茂った木々が天然の避暑地をつくっている、生物たちの楽園である。

 四月の終わり、温暖な気候のホウエンに訪れるのは雨季。初夏の前触れが、他の地方よりも少し早くやってくる。その自然の中に暮らす命たちの蠢動(しゅんどう) を感じながら、一匹のポケモンは上機嫌だった。

 ジグザグマ生活適応力の高さから、ホウエン全域でよく見かけられるそのポケモンは、今日も鼻についた臭いを頼りに、きのみや人が落とした失せ物を見つけては、懐に蓄えていく。この個体にとって、それは何よりも優先されるルーティーンだった。

 だが


バサササササササ!!!


 鳥ポケモンの羽ばたきと鳴き声が、ジグザグマの周囲を騒つかせた。警戒と驚きが、彼の姿勢を低く身構えさせる。

 何かが……ジグザグマの見えないところにいた


…………!


 ジグザグマの嗅覚が、視覚よりも先に“その存在”を捉えた。


グルルルルル……!


 木々の向こう……のそりのそりと歩いてくる者は、低く唸りを上げている。

 姿は依然、木陰の暗さではっきりとはしない。だが、はっきりとした“敵意”が、ジグザグマの生存本能に訴えかける。


 早く逃げろと。


ガァッ!!!
 


next page