肩書き





キモリ“タネマシンガン”!」


 トウカジムの昼下がり。第四修練場で駆け回るキモリに檄を飛ばす。口いっぱいに溜め込んだエネルギーを種子状の弾丸に変換して放つ“タネマシンガン”は、向かい合うポケモンエネコへと迫る。


ニャッ!


 薄桃色の毛をした子猫らしいそいつは、大きな尻尾を体の前に差し出して種弾をガード。ダメージを抑えてみせた。


「いいよモモマル! やりかえしちゃえ

“チャームボイス”


 主人のユリちゃんはエネコモモマルを励ましながら反撃を指示。甘い声色に質量が込められ、音速の衝撃波がキモリを襲う。


(速い!)


 これを防ぐ術はなく、キモリにダメージ。その眉間には皺が寄る。


「大丈夫か!?」

ギッ!


 声をかけると、キモリは「問題ない」と言わんばかりに即答。動きに問題はなさそうだ。でも……。


(遠距離攻撃の差し合いじゃ分が悪いか……にしても“チャームボイス”必中攻撃は厄介だな!)


 この技はフェアリータイプの音技。高速の音波を広い範囲に押し付けることで、コート内では回避することができない。こういうのを“必中攻撃”というらしい。


(その分威力は据え置き……とはいえ、何度も食らえば着実に削られる。だったら

「キモリ、接近して

「やっちゃえモモマル!“おうふくビンタ”!!!」


 俺が躊躇ってる間に、モモマルは次の動作を始めてしまった。接近してきた子猫はキモリを間合いに捉えたあと、巨大な尻尾で打ちつけてくる。


(やば考えすぎた!)

避けろっ!」

ギッ!


 なんとか言えたのはそれだけ。それを聞き届けたキモリはしゃがんで尻尾の横薙を回避した。だが、モモマルの“おうふくビンタ”は連続技。二度三度と打ち込んでくる。


ニャッ! ニャニッ!! ンニャアッ!!!


 振り抜いた尻尾を体重移動で反転。反動で翻った尻尾が追撃。さらに体重移動……一連の動作で、あのデカいの尻尾を何度も振るう。キモリはそれらを紙一重で躱してみせるが、反撃まで余裕がない。


(どーする!? 攻撃の合間に返してみるかいや、ここは一旦距離取ってああでも“チャームボイス”が


 近接と間接、どちらにも対応策が取れるモモマルに対して打つ手がない。この状況を崩すにはどうしたらいいのか……考えを巡らせるよう試みる。

 だけど、それを待ってくれるはずもないわけで……。


バチンッ!!!


 キモリの頬にモモマルの“おうふくビンタ”が炸裂。その体は浮かされ、続く叩きつけがやってくる。


「やった! このまま

「す、ストップストップ! い、一旦ギブ!!!」

「わわっ!?」


 そこで待ったをかけた俺。勢いに乗ろうとしていたユリちゃんは、その流れを止められて思わず前につんのめる。


「ど、どうしたんですか!?」

「ご、ごめん……パニクってギブした……つ、強いなユリちゃん……」

「それはいいんですけど……その、まだギブアップするようなことは……なかったような……」

「そ、そうか……? 負け確だとは思ったから、これ以上やられるよりはと……」


 な、何やら微妙な空気がたちこめる。試合を中断されたユリちゃんに不機嫌そうな様子は見られなかったが、代わりに疑問符を浮かべてこちらに近寄ってくる。

 活躍したモモマルは、はたいたキモリに寄っているが、攻撃的な素振りはない。


「負け確……?」

「だってそうだろ? 近接戦闘じゃ先に仕掛けてきた“おうふくビンタ”から被弾を防ぐのに手一杯。距離を取ろうとしたら“チャームボイス”が飛んでくるし……打つ手なしだよ」

「あの間に、そんなこと考えてたん……ですか?」


 俺の説明を聞いて、ユリちゃんはますます怪訝な表情になる。な、なんだよその顔は……?


「考える……だろ? それでなんとかしなきゃとは思ったけど、今の俺にはそんなの思いつくわけないし……」

「すごいなぁ……」

「へ……?」


 言い訳を聞いたユリちゃんから、今度は意外な一言が……な、何がすごいって?
 

「だって、バトルしながら考えてたってことですよね? そんなの、もっといっぱい練習した人ができることですもん!」

「え、そうなの……か?」

「それに、バトル中の指示だってちゃんとできてましたよ! 今までバトル、したことなかったんですよね?」

「え、待て待て! それは流石に盛りすぎだ!」


 年下の女子から羨望の眼差しを向けられたが、それは完全に誤解である。万が一にも吹聴されたらえらいこっちゃ。


「俺がバトルをやり始めたのはひと月くらい前からなんだよ。ハルカは知ってるだろ? あいつにせがまれて仕方なく

「あのスワローさんにお願いされて!?」

「遊び相手が他にいなかっただけ! お願いだから誇張して捉えないで!!」


 おかしい。自分は大したことがないという旨を伝えようとすればするほど、ユリちゃんの瞳が爛々と輝きを増すんだが。ミツルといい、ここの奴らはどうも思い込みが激しいらしい。このノリは苦手だ。


「……なんにせよさ。バトル中にテンパるような奴は、素人以前の問題だろ? 今の体たらくじゃ、野外演習はおろか野良試合も無理なんだよ」


 それはポケモン云々じゃなく、俺の能力不足と場数の少なさに起因する。技術にしろ慣れにしろ、今は自主練じゃどうしようもないことだ。だから実践をユリちゃんに頼んだんだ。


「誰だって、初めは緊張しますよ! そう言うわたしも緊張します……いまだに……」

「そ、そうなのか……?」


 さっきのバトルを見る感じ、とてもそうは見えなかったけどな。なんというか、活き活きとしてた気がするけど……。


「うまくやらなきゃ!って、余計な力が入っちゃって……でも、なんでかユウキさん相手だと、ちょっとだけ緊張が解れた気がするんです……」

「そりゃ俺みたいなのが相手じゃ、緊張なんてしないよな」

「い、意地悪な意味じゃないんです! なんというか、ユウキさん……優しそうに見えて……」


 優しそう……? この短時間で、どこの何を切り取ってそう思ったんだ?


「とにかく! わたしにとってもすごくためになるんです! だ、だからその、い、一緒に頑張りましょう!」


 不可解な言葉の説明もないまま、ユリちゃんは強引に話を切り上げて鼻息を荒くする。

 まぁ練習相手になれてるなら、こっちが変に気をつかうのも違う……か。


「わかった。引き続き頼むよ。先輩」


 そうして、俺は再びユリちゃんに挑む。それも相変わらずの惨敗だったが、繰り返すほどに俺の中にあった不安は、少しずつ薄れていった。

 翌日、午前のメニューでしごかれ、昼飯が終わった後にもう一度。ユリちゃんも午後の頭にある『ライバルハンティング』には行かないようなので、他の連中がジムを出払っている間に、この“第四”に集まる。

 この約束を取り付けられたのは大きく、バトルへの苦手意識はやるほどに改善されていった。これはハルカに嫌々付き合わされていた頃にはなかった感覚だった。

 ユリちゃん曰く、「どんどん強くなってます!」とのこと。相変わらず彼女には勝てないし、何が悪いのかを精査する材料も見つかってないけど、この言葉には結構元気付けられた。

 その翌日も、午後からは秘密の特訓。今のところ、この密会のことは周りに知られていない。いくらジム生だからって、五つも年下の女の子に教わりまくってるというのは、あまり知られたくなかった。自分でもチンケなプライドだとは思うけど……。

 あと同時進行で育てていたジグザグマが、“なきごえ”を習得した。こっちもユリちゃんからのアドバイスに従って覚えさせてみたが、バトルで使う“わざ”へと昇華させるのは、それなりにコツがいるみたいだ。

 ポケモンの“わざ”は、特定の行動に体内にある『エネルギー』を混ぜ込んで行うものが多い。ただの声出しも、そのエネルギーを混ぜ込むことで、相手に能力下降のデバフを与えるわざになるわけだ。

 問題はそのエネルギーの扱い方が、俺ら人間にはわからないということ。わからないことは教えられないのだから、苦戦するのは当然だった。


「なんというかこう……『オー!』って力込めて、前に向かって『ワー!』って!!」


 ユリちゃんがそう言ってジグザグマを教えること10分最初は『んなアバウトな』と内心呆れていたが、繰り返すとそのうち、ジグザグマがユリちゃんの真似を始めた。まさかと思って眺めていたら……そのまま習得に至ったのである。


「簡単な技なら、マネしてるだけで覚えてくれたりしますよ! 頑張ったねジグザグマ!」

マァ


 だ、そうだ。

 しかし考えてみれば何も不思議なことじゃない。俺たち人間だって、意識しなくても神経伝達や食べたものの消化、会話なんかを難なくこなす。逆にそれを説明しろって言われても、そっちの方がムズい。

 ポケモンもそれと一緒で、エネルギーの取り扱いをいちいち指示されてもわかりっこない。逆に俺たちトレーナーが、『欲しい結果』を先に見せてやることで、ポケモンも自分で試行錯誤を始めるのかもしれない。これは結構大きな発見だ。ビデオとか、映像でも効果あるのかもしれない。

 さらに翌日。俺がジムに来て六日目の昼。俺はついに決心を固める。


「ユウキさん……が、がんばって!」

「お、おう………!」


 俺はトウカジムのオープンコートに足を踏み入れていた。人気のなかった第四修練場とは違い、ここにはバトルジャンキーたちがうじゃうじゃといる。血気盛んなジム生の他に、街に住んでるっぽい若者がちらほら。外来のトレーナーたち……俺は、こいつらと今日、一戦交える。


(落ち着け……勝てなくてもいいんだ……これも経験を積むため。そのスタートラインに立つまでの下積みは……やれるだけやっただろ……!)


 コート使用者の受付欄には、既に俺の名前がある。あとは管理人がマッチングを決めて、呼び出されたらコートに上がる。ルールは互いに一匹のポケモンだけを戦わせる『ワンオンワン』。使うポケモンはキモリで間違いない。ユリちゃんとのウォームアップは済ませてきたんだ。準備は……整ってる。

 整ってはいるんだけど……ちくしょう。全然落ち着かん。あ、なんか周りがこっちを見てる気がする? いかんねどうも。自意識過剰になってきて


「ヤッホーユウキくーん!!!」


 ドン、と。背後から一撃が加えられた。俺は心臓が止まるかと思った。


「あれ、どうしたのユウキくん? 突っ伏しちゃって」

「ば、ば、ばかやろぉ!!! 殺す気かぁ!?」

「ちょっと背中を叩いただけで大袈裟な♪」


 そう言ってヘラヘラとする赤いあんちくしょーは、言わずもがなのハルカだ。ふざけんな。お前の気まぐれで心停止したら、化けて出てやる。


「ったく……普通に声かけられないのか?」

「だってユウキくん、一人でブツブツ言ってたから、大声じゃないと気付いてもらえないかと思って」

「それは気付いてもらえなかった時に試せ! こっちは初めてのフリーバトルでアガッてんだよって、俺、ずっとぶつくさ言ってたの?」


 うんハルカは元気よく頷いてくれた。あーなるほど。見られてたのって、そのせいか。俺が周りのやつでも不気味な奴だと思うわそれは。恥ずかしいや。


「ところでユウキくん。あそこで震えてる子、知り合い?」

「え……? あそこって


 ハルカが指差す方を見ると、さっきまで俺の隣にいたはずのユリちゃんが、えらく遠くからこちらを見ていた。どうした急に。


「さっき大声出した時は、ユウキくんのそばにいたと思うんだけど……」

「それもしかしなくても、お前の声にビビったんじゃね……?」

「えー? そうかなぁ

「あの子はユリちゃんだよ。とりあえず謝っとけ」


 ハルカはそれを聞き分けて、マナーモードみたいになってるユリちゃんのところまで寄って謝る。声が出ないくらい怯え切った少女は、半べそをかきながらコクコクと頷くしかなかった。和解までの道のりは遠そうだ……。


「なんだよユリ。最近見ねぇと思ったら、珍しくコートにいるじゃねぇか?」


 俺とハルカで宥めているところ、どこからか男の声がユリちゃんを呼んだ。振り返ると、人混みの中から三人ほどがこちらに歩いてくるのが見えた。

 その内、先頭を歩く男逆立った黒髪が特徴的で線が細く、ジムで支給されているジャージを着崩した感じのが、声の主だった。

 ポケットに手を突っ込み、顎を突き出してニヤニヤと笑っている。なんだ、感じ悪いな……。


「つれねぇじゃんかよー。来たんなら俺たちも呼んでくれねぇとさぁ?」

「ユリちゃん……?」


 話しかけられているのは後ろの女の子。だが返事はなく、震えていた体はそのままに、顔色はさっきよりも青白くなっていた。


「おいおいユリちゃん? “友達”を無視するこたぁねぇだろ?」


 男がさらにズイッとユリちゃんに顔を近づける。だが、彼女は返事しない。いや、できない


「返事しろよオラァ!!! またポケモンズタボロにしてやろぉかぁッ!?」


 男の恫喝。それを聞いた途端、周りは冷や水をかけられたかのように静まり返った。

 怒鳴り声にではなく、多分……俺のせいで……。


「なんだてめぇ……?」


 今、俺が掴んでいるのは男の肩だ。ユリちゃんに突っかかるそいつを制するように……気がついたらそうしていた。


「……んなデケェ声出さなくても聞こえてるよ

「なんだってぇ!?」


 自分でも思ってたより、ずっと小さな声を出してしまった。そりゃ聞き返されるわ。いや、そんなことはどうでもよくて……あーもうっ!


「ちょっとうるさいんだよアンタ。話なら、俺が聞いてやる……!」


 さらに強く、俺は気持ち大きめに声を発した。内心バクバクなのを悟られないように、口をキュッと結んで。


「関係ねぇーだろ! 引っ込んでろっ!」

「あ、そいつ! 確かジムリの息子じゃなかったっけ!?」

「あー!?」


 男が荒ぶる一方、後ろにいた取り巻きの内一人が俺を指差す。


「ノリちゃん、あいつだよあいつ。何日か前にジムに入ったっていう……」

「あ、思い出した! 確かその前日に食堂で騒いでた奴だ!」

「あー……そういやいたなぁそんなの……」


 なんか、向こうが勝手に俺のことを思い出してくれやがった。余計なことを……。


「確か、朝の基礎トレにもついて来れないって奴だろぉ? 噂になってるぜ。『口だけ達者な半ベソ見学野郎』ってな!」


 男がいやらしい笑いを浮かべる。おい誰だその異名考えたやつは。


「なんだぁユリ。お前、そんな奴とつるんでるわけ? 弱虫には弱虫がくっついてくんのなぁ

「おい。話は俺が聞くって言ったろ?」

「無理すんなってロリコン。ホントは俺らにビビってんだろ?」

「バカはなんでも根拠なく決めつけるから嫌いなんだ。お里が知れるぞハリガネ頭」

「てめぇ……足ガクガクいわせてる癖に調子のんな!」

「え、まじ!?」


 反射的に足元を見る。だが、俺の両足は直立不動だった。あ、これボロ出したわ。


「ぶワハハハハハ! なんだこいつ、おもしれぇ!!!」


 笑われた。今だけは……今だけはせめてカッコつけたかったのに……一生の不覚。ウルトラミス。タイムマシンが発明されたら真っ先にここを修正しに戻ってやる。


「はぁ……ビビってんなら退けよマジで。俺はそっちのお嬢ちゃんに話があんだから

「話って?」

「今度はなんだ!?」


 羞恥に震える俺を押し除ける男に、今度はハルカが話しかける。それを見て、取り巻き二人は顔色を変えて男を引き留めた。


「ちょっとノリちゃん、そいつはマズいぜ!?」

「な、なんだお前らまで!?」

「あいつ“紅燕娘(レッドスワロー)”だよ! プロになったその足で、カナズミのトーナメントで優勝したっていう……」

「はぁ!?」


 男ノリちゃんとか呼ばれてるそいつは、改めてハルカをマジマジと見る。

 取り巻きの話を聞いて、多分自分の記憶とも照らし合わせてるんだろう。ここに来てから結構な時間が経ってると思うんだけど、即座にわからんもんかね。


「だ、だからなんだよ! スワローだろうがアウトローだろうが、俺らにゃ関係ねぇだろ!? こっちはユリに用があんでぇ!!!」

「だから、その“用”ってなんなの?」


 流石に慌て始めるも、吐いた唾を飲めなくなってしまったのかツッパるノリちゃん。それに対して純粋無垢な質問を繰り返すハルカ。顔色ひとつ変えないあいつを前に、若干男はだじろぐ。


「ユリちゃん、今ちょっと体調悪そうだし、ユウキくんが代わりに話聞いてくれるって言ってるよ? なんで怒ってるの?」


 やっぱり……こいつ何も状況わかってなかった。ユリちゃんが顔面蒼白なのは体調のせいではないし、俺が話聞くってのもそういう意味じゃない。怒ってんのは聞くまでもない。


「な、なんだてめぇ! 邪魔すんじゃねぇよ!!」

「もしかして、お昼食べ損ねたとか!? わかるよわかる。お腹空くと機嫌悪くなっちゃうよね? なーんだ、そうならそうと言ってくれればいいのに

「は、はぁ?」


 おお……暖簾に腕押しとはこのことか。まるで話になってないのが、かえって男のペースを狂わせる。その様子はちょっとおかしくて、様子を見てた周りからもクスクスと忍び笑いが聞こえてきた。

 ってオイ!


「あーなんか私もお腹すいてきちゃった! もしよかったらこれから食堂にでも

「こんの


 その時、信じられないことが起こった。ハルカが明後日の方を向いている隙に、あろうことか男は腕を振りかぶった。

 そのモーションが見えた時、俺は反射的にハルカの前に飛び出してまう。そして、容赦なく振り抜かれた平手打ちを、両の腕で受け止めた。


「痛ッ!」

「ユウキくん!?」


 痛い。受け止めたとはいえ、打ちたたかれた腕には響くものがあった。乾いた音は、少し和らいだ空気をピンと張り詰めさせる。


「どいつもこいつも舐めんじゃねぇぞ! ちょっと大人しくしてたらつけ上がりやがって! 俺ぁここのジム生様だぞ!!!」

「ちょ、ノリちゃん! 流石にやりすぎだって!!」

「うっせぇなぁ!!!」

「お、おい、アンタも謝れって! ノリちゃん、頭に血ぃ昇ると見境いないんだから


 取り巻き二人に宥められるノリちゃんとやら。その内片方が俺にそう提案してきた。頭を下げてこの場を収めろと。


「止めんなテメェら! ジムリの息子だのスワローだの関係ねぇ!! ここで二度とデケェ面させねぇように、俺が躾けてや

「躾がなってないのはそっちだろ……!」


 制止を聞き入れないノリちゃんに、俺は一際強めの言葉をぶつける。

 騒ぐ男。エキサイトすると何をするかわからない危険人物。それがわかってるなら、きっとここで頭を下げるのがベストなんだろう。こういうタイプに突っかかって行ったって、得なことはひとつもない。

 例え不本意でも、丸く収めるのがスマートなやり方だろうな。

 でも……こっちにも承知できないものだってある。


「ったく……何やってんだ親父。こんなのが野放しとか……こりゃ仕事やってるって判定はまだ保留だわ」

「何ブツブツ言ってんだ気色悪りぃッ! 言いたいことがあんだったらはっきり言えやッ!!!」

「あぁ言ってやる! 女に手を上げる最低クソ野郎ッ!!!」

「…………ッ!」


 俺も、俺史上、出したことがない声に驚いた。親父に食ってかかった時とも、ヒデキと言い合いになった時にも出さなかったような……喉が焼けつくほどの怒号。さっきまであった怖いという気持ちも、今だけは麻痺してしまっている気がする。


「偉そうにふんぞり返りやがって! アンタがどんなもんかしらねぇけど、ジム生がそんなに偉いのか!? ユリちゃんだってジム生だろうがっ! ハルカだってお前なんか敵じゃねぇし!! 何様だってんだ!!!」

「………ッ! 言わせておけば!!」


 ガッ胸ぐらを掴まれた。だが俺も、引き際を見失っている。止まることはない。


「トレーナーの癖に暴力しか自己顕示できねぇなら、ジム生なんか辞めちまえッ! 俺を殴って気が済むならいくらでも殴れよッ!! そんでとっとと消え失せろッ!!!」

「こん……の……!!!」


 腹の内から湧いてくる怒りをそのままぶつける俺。男はもう我慢できなくなったのか、硬く握った拳を叩きつけようとしてきた。

 次いでくる痛みを覚悟して、ギュッと目を瞑る。だが、なかなか打撃がこない。いつ……いつだ……? 殴るならさっさと


「何の騒ぎだ!?」


 そこに駆けつけてきたのはコートの管理をしているコーチトレーナーの一人。騒ぎを聞きいて駆けつけたようだ。


「離れなさいキミたち! ここは神聖なコートの前だぞ!!!」

「チッ!」


 コーチによって引き剥がされた俺と男。冷ややかな空気は、一気に物々しいものへと変わる。これ……もしかしなくてもヤバい? いや、助かった……?


「それで、何があった? 暴力沙汰など言語道断だ。どちらも怒鳴っていたようだが?」

「それはこいつが

「い、いやぁすいません……俺たちもやめとけって言ってたんですけどねぇ」


 事情聴取に入られた時、俺が話すのに割り込んだのは、ノリちゃんとやらの取り巻きの一人。小柄なそいつはコーチの前に躍り出た。

「キミは……?」

「うっす! 自分はCクラスの生徒番号82! “ヨネジ”です! そこの“ノリキチ”とは同じクラスでして……」

「そうかヨネジ君。それで、この騒ぎは?」

「いやぁそこの白い帽子の子が、どうしてもノリキチ君と戦いたいって言うもんで……相手にならないからやめとけって言ったら、逆上して噛み付いてきたんですよ」


 なっ丸っきりのデタラメじゃねぇか! 俺は憤慨して食ってかかる。


「嘘つくなっ! お前らがユリちゃんに突っかかってきたんだろ!?」

「おいおいどうしたんだよ新人? なんなら他の奴らにも聞いてみたらいいだろ?」

「聞いてみたらって……」


 そんなの、聞いたら一発でお前らが嘘ついてるってのがわかるだろ! ふざけやがって……。


「…………お、おい……?」


 だけど、俺の思った通りにはならなかった。見渡すも、この非常時に誰もが口を固く閉ざしたままなのである。

 そればかりか、視線を逸らされる始末だった。これでは真相がコーチに伝わらない。


「ハルカ、お前からもなんか言ってくれよ!」

「えっと……そもそもこれ、何で騒ぎになっちゃったんだっけ?」

「お前だけはしっかりしろよ! ユリちゃん……!」


 スッカラカンの鳥頭に見切りをつけた俺は、当事者のユリちゃんに振る。だけどすぐにそれが悪手だったと気付かされる。

 彼女はもう……何かを言えるような精神状態じゃなかった。


「……どうした新人くん? 誰も味方してくれないみたいだけど?」

「アンタら……!」


 ニヤニヤとする三人組。集団心理なのか揉め事は避けたいのかわからないが、見ていたはずの観衆が口を閉ざされたんじゃどうしようもなかった。

 悔しさで下唇を噛む俺だったが、そんなこととも知らないコーチは早々にジャッジする。


「はぁ。またキミか。困るんだよ、騒ぎばかり起こされるのは……」

「違う……俺がキレたのはそんなことなんかじゃ

「真偽はどうであれ、先輩に食ってかかったのは本当だろう? 先達を侮る者は、人を敬えない。キミの態度にも問題があるのは事実だ」


 それは……確かに言い過ぎだったかも知れないけど! 敬えってのか!? こんな暴力と悪知恵しか脳がない奴らを……!?


「キミはもう少し自分の立場を自覚した方がいい。実力も伴わないままジムに入り、トレーニングやコーチングの妨げになり続けるなら、いくらリーダーの息子と言えど、ここにいられなくなるぞ」

「なん……スかそれ……」


 ふざけんな。今大事なのはそんな話じゃない。こいつらが弱いものイジメしてたのは明白なのに、なんで叱る相手が俺になるんだ? こいつらは……あの野郎はハルカまで引っ叩こうとしたんだぞ!?


「少しは自覚を持ちたまえ! 我々の手を煩わせるほど、他の子たちにも迷惑がかかる

「まぁまぁまぁまぁ! その辺にしてやってくださいよコーチ!」


 そこで、コーチとの間に再び割って入るヨネジとかいう男。今度は何のつもりだ……!?


「彼もみんなの足を引っ張ってるのがわかってるから、必死なんですよきっと! ここはどうか寛大な心で……なにとぞなにとぞ」

「うーん……」


 何を言うかと思えば、こいつ……無理やり押し通す気だ。あんな風に言われたら、コーチにはあいつらが『突っかかってきた新人に懐の深さを示す先輩』なんていうあり得ない生き物に映る。

 ふざけんな……ふざけんなふざけんな!

 あんだけ暴挙かましといて、最後に信頼されるのは“ジム生”って肩書きだけか!? 他の奴らも何黙って見てんだよ!

 
「まぁでも、このまま許したんじゃ、それこそトウカジムとしては示しもつきませんしね。彼もなかなか矛を収められない様子……どうです? 彼とうちのノリキチくんを戦わせてみては?」

「は………?」


 落とし所を提示するようにして、モチスケは何かを言い始めた。話が妙な流れに……。


「彼がどうしてもって言うなら……ジム生としての威厳をかけて、戦ってもらいましょうよ! 彼も望んでいたことですし」

「俺はそんなこと

「わかった。コートを一面貸そう」


 嘘だろこのコーチ。マジで言ってんのか?


「キミにもいい薬になるだろう。先輩から学び、二度と不敬な態度を取らないと誓うなら、今回のことは不問としよう」

「なんでそんな……悪いのはあいつらで

「おいおいここまで譲歩したのに、まだ騒ぐのかいビビり君? キミが勝てば、こっちは三人揃って土下座でもなんでもしてやるよぉ?」


 この……野郎っ!

 あの態度、絶対に負けない自信があるからだ。そりゃそうだ。ジムに来て一週間足らず。ロクな実戦経験もない俺に負けるなんて、微塵も思ってないんだろう。

 この勝負、受けたら負けるのは必至。かといってこのまま引き下がったら……。


「………言ったな?」


 俺は迷いながら、その申し出を受けることに。それ以外に、この理不尽を覆す方法はなかったから。


「わかったよ……お前らなんかに、絶対負けてやらねぇ!!!」


 誰もアテにはできない。でもこのまま、泣き寝入りもできない。

 たとえ無謀だとしても……そのまま素直に引き下がるのだけは……。



 絶対に嫌だ。



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