本の虫



 トウカジムの食堂に来れたのは、八時も過ぎた頃。それまで施設のあちらこちらを見て回った俺は、夕食にありつくのが遅くなってしまった。

 食堂に昨日ほどの人気はない。大体の連中は夕飯を食って寝支度を始めてる頃だと思う。まだ数人がテーブルに腰かけてたりするが、そいつらも談笑を楽しむ様子で、俺の存在には気がついてないっぽい。昨日の今日で、まだ悪目立ちしてる俺にとっては、ありがたい空間となっていた。


「やっほーユウキくん! こっちこっち!」


 がその静寂をぶち壊す声に、俺は心の底からため息をつくことになる。長机の一角に座っていたハルカが、大声で俺の名前を呼びながら手を振っているではないか。おかげで話に花を咲かせた女子グループが思い切りこっちに振り返ってきた。やってくれたなこんちくしょう。


「声、でかいって……」

「あ、ごめん、見かけたからつい……」

「まぁいいけど……飯とってきていい?」


 注目を集めてしまった後で謝られても、後の祭りである。今更責めても仕方がないので、俺は居心地の悪さを我慢しながら、ハルカに断りを入れてセルフカウンターへと向かった。

 食堂の給食員に焼き魚定食を頼んだあと、戻ってハルカの席に近づく。これだけ広く席が空いてるので、あいつから離れることも考えたが、敢えてそうしてハルカに変な勘繰りをされても面白くないので、結局彼女の正面に座る形を取る。

 すると、妙なことに気がついた。ハルカのいる席にはまだほとんど手のついてない食事の数々が並べられていたことだ。


「あれ……お前も飯、まだだったの?」

「うん。私も今来たとこだから」

「こんな時間まで何やってたんだよ?」

「ずっとバトルしてた」

「はぁ……ずっと……?」


 ずっとバトル? ずっとって、いつからいつまでの事だ? 昼の初っ端には『ライバルハンティング』をやってたから、その後すぐだったとして開始が二時くらいか。え、いや、まさか……。


「お前、二時ぐらいから今まで、ずっとバトルしてたの……か……?」

「うん! ここってすごいよね! ジム生だけじゃなくって、外来のトレーナーもバトルしに来てくれるんだもん! 腕が鳴ったよ♪」


 そういうハルカは実に楽しそうで……いやいや、流石におかしいだろそれは。一体何戦ぐらいやったんだ?


「最初はコート使用者のとこに名前書いてエントリーしてたんだけど、私と戦いたいって人が後を立たなくて……それで、めんどくさいから、コートひとつ貸し切って、ずっとやってたんだ♪」


 うっそだろお前。コート一面丸々占領したのかよ。いやそれどころじゃない。ずっとっておま……マジでずっとってこと……?


「よく……やったな……?」

「コートの監督さんからも『ジム生たちの勉強になるから』って頼まれちゃって。全部一体一(ワンオンワン)だったけど、すっごく楽しかった! ご飯食べるの遅くなっちゃったけど」

「ちなみに……使ったポケモンは……?」

「ん? ワカシャモ(ちゃも)一匹だけ。脚の様子見も兼ねてたけど、問題なさそうで安心したよ」


 問題ない……そっすか。普通は怪我明けのポケモンにそんな無茶させないと思うんですけど、今更すぎるツッコミですよね。そーですよね、はい。

 相変わらず規格外というか、森でも思ったけど、こいつらのタフさは尋常じゃない。どんなに相手を圧倒できるのか知らないけど、外来ならともかく、プロの卵でもあるジム生を相手に何十連戦もやるとかどうかしてる。

 ポケモンを合間で回復させてたとは思うけど、それにしたって限度ってもんがあるだろ……。


「ハルカさん、大人気でしたね。僕も戦いたかったですよ」

「あ、ミツルくん!」


 そう言って俺たちに近づいてきたのは、昨日話したジム生のミツルだった。ハルカと一戦交えられなかったらしいそいつは、残念がりながら席に着く。さりげなく、ハルカの隣に。


「ミツルくんも今からご飯? 随分遅かったんだねー」

「“彼”の新技にのめり込んじゃいまして……」

「彼って……そのキルリアか……?」


 俺が質問しながら見ているのは、ミツルの足元にいるポケモンである。

 背丈は1メートル弱。白くて小さな人型は、『バレエダンサー』を思わせるようなフォルムをしており、緑色の毛髪の間から覗かせる大きな赤い瞳と、額から伸びる赤い角が印象的なポケモンだ。常時爪先立ちで、挨拶にスカートを摘み上げながら頭を下げる様子からも、『彼』と言うのは少し違和感があった。メスじゃないんだ……?

「僕の相棒の“アグロ”です。ずっと前にハルカさんの手伝いもあって、ゲットした友達なんです」

「懐かしいなぁ。五年くらい前だっけ?」

「五年と三ヶ月前ですね。ジム入りする少し前のことでしたから、よく覚えてます」


 どうやら、ミツルはその頃ぐらいからハルカと交友があるらしい。それも大事な相棒との出会いに立ち会ったのだとか……そう思うと、何故がモヤッとするものがある。なんでだ?


「あの時はミツルくん、まだ体弱かったのにね。背も伸びて、なんか頼もしくなった?」

「僕なんか全然まだまだ! ハルカさんにはついにプロ入りを越されちゃいましたし」

「プロ入りの後先なんて関係ないよ! ね、今度バトルしようよ! アグロの新技、見てみたい!」

「あ、それいいですね! どれくらいこっちにいるんですか?」

「えっとねー……」


 そんな談笑を間近で見せつけられている俺は、疎外感で気分が重くなるのを感じた。これはしょうがない事だけど、ハルカとミツルの力関係は対等。『同じ目線で話せる仲』って意味では、俺よりもずっと仲良さげに見えた。

 何より、俺と出会うよりもずっと前に、それなりのイベントがあったらしい。幼馴染とはまでは言わないけど、特別な関係に見えなくもなかった。

 だから……つい口が滑った。


「お前らさ……付き合ってんの?」


 隣同士、肘と肘がくっつくほど近い距離感をジト目で睨む俺の言葉に、ハルカとミツルはポカンとしていた。そして

 直後、食堂に大爆笑が響き渡った。


「ぷアハハハ! 違うよユウキくん!」

「僕とハルカさん、初めて会ったきり五年も交流がなかったんですよ? そういう間柄にはなり得ませんって!」

「い、いや、ごめん。距離感近かったからつい……」


 我ながら素っ頓狂なことを訊いたと反省する。確かに久しぶりとか言ってた気がするわ。それにしても、紛らわしい感じ出してたのはそっちの落ち度だとは思うけど。


「さて、それじゃあ僕らもご飯食べるとしますね。おいで、アグロ」

ルルゥ♪


 ミツルはひとしきり笑ったあと、立ち上がってキルリアアグロと一緒にセルフカウンターへと向かう。それによって少しの間だけ、ハルカと二人きりになってしまった。

 き、気まずい……。


「どうしたの?」

「いやなんでも。変なこと聞いてスマンかった」

「ユウキくんも面白いこと言うよねー。でも確かに、ミツルくんってカッコいいし、モテそうだもんねー?」

「か、カッコいい……!?」


 いかん。なんか妙に上擦った声が出てしまった。


「ハルカさんにそう言ってもらえるなんて光栄ですけど、恐れ多いなぁ」

「そ、その割には、随分と余裕だな……?」

「ユウキさん、なんでそんな怖い顔するんですか……?」


 してない。断じて怖い顔なんてしていない。素早さが下がれなんて思ってもいません。言いがかりはよしていただきたい。

 しれっとすぐに戻ってきたミツルに難癖をつけられたが、これ以上何か余計なことを言う前に飯にありつく。今度はそんな俺の隣に、イケメン太郎が着席する。


「そういえば、ユウキさんは午後からどうしてたんですか?」

「どうしたも何も、見学だよ。野外演習を見終わったら、あとは自由に施設を見学してこいってサオリさんが……」


 俺に付きっきりってわけにもいかなかったんだろう。忙しそうにしてたし。


「どこいったの?」

「座学やってる教室と図書室。意外と普通の勉強もしっかりやるのな。もっとバトル専門の授業ばっかだと思ってたけど」

「僕もそうですけど、小さな頃からお世話になってる子も多いですからね、トウカジムは。正しい教養を身につけられるように、一通りの科目は受けられますよ。12歳を超えてから行く人は、あんまりいないですが……」


 ミツルの説明にも納得だ。そりゃ好き好んで眠たくなるような授業を受けたい奴なんかいないだろう。地獄のトレーニングメニューとかが嫌で、逃げ込むやつはいるかもしれんが……。


「図書室は如何にもユウキくん、好きそうだよね?」

「人を本の虫みたいに……まぁ思ったより規模が大きくてびっくりはしたけど……」

「それは最近、『カナズミ』からたくさん寄贈してもらったからなんです。ちょっと前までは、学校の図書室とそんなに変わらない蔵書量だったんですけど」

「カナズミから……なんでまた?」


 カナズミシティと言えば、ホウエン屈指の学園都市だ。知恵の街とも呼ばれていて、あそこの図書館や教育機関には、アホみたいに本が眠ってるのだとか。あそこから贈られたなら、この規模も納得だけど……。


「師範がジムリーダーに就任した際、カナズミジムに掛け合ってくれたんです。あちらのジムとは“森”の管轄でよく交流してましたから、融通してもらう形をとってくれて……」

「仲良しなのはわかったけど、図書室の規模を拡大した理由はなんだよ? 今日行ってみたけど、あんまり人いなかったぞ?」


 まぁ、そのおかげで人目を気にせず居座ることはできたんだけど。すれ違うどころか、テーブルに腰掛けてたやつも片手で数えられるくらいで……利用者の数を考えると、この政策はミスってないかと思えてしまう。


「うちには色んなトレーナーがいますから。トレーニングに時間を費やす方が大半ではありますが、一方で調べ物に長けた人もいる。数こそ少ないですけど、そうした人たちにも応えられる施設を作ったのではないかと……僕は思います」

「考えすぎじゃないか? 意外と漫画とかも多かった気がするけど……」

「むしろそれ目当てでやってくる人も多いんですよ。僕もたまに行ってます。本は苦手だと思ってましたけど、最近はお気に入りの作者さんの小説なんかもできまして


 ミツルは楽しそうにしているのを見ると、親父崇拝がすぎると呆れつつ、なんだかんだ慕われているのがわかる。そして案外、こういうやつにとっては、活字に触れる良い機会ともなっているみたいだ。あながち親父の采配ミスってわけでもないのかもしれない。

 親父は家にこそ帰ってはこなかったけど、ここでしっかり仕事はやっているようだ。その事実を、昨日よりもすんなり受け止められている自分がいるのは……なんか不思議な気分だった。







 トウカジムに来て三日目。前日と同じ基礎体力トレーニングから一日が始まった。今度こそやり切ろうと思い、奮闘するも惨敗。流石に倒れる前にギブアップを申し出たが、大勢の見てる前で切り出すのは拷問に等しかった。

 午後からの野外演習には今回も参加せず、見学もそこそこにして再びジム施設の見学に費やす。今回は敷地の隅っこにある演習場までやってきた。

 正直に言えば、人目を避けていたらいつの間にかここに来ていたのだが……屋外にこんなスペースがあったとは。


「『第四演習場』……?」


 フェンスに囲まれた広場の入り口にある看板を読む。確か、一から六まであるっていうポケモンのトレーニング用のことだったか。ここはその『四』に当たるらしい。フェンスの内側はだだっ広い砂地、隅にはトレーニング用に使えそうな打ち込み用の丸太が並んでいる。他には……何もなさそうだ。

 人がいないのはみんな野外に出てるからか……何にせよ、好都合だな。


「よし。出てこい


 周りに誰もいないのを確認してから、手持ちのポケモンたちを解放する。キモリとジグザグマ……二匹の顔合わせは済ませてある。


「ジグザグマ。今日はお前のバトル適正を見させてくれ」


 断りを入れる俺を、小首を傾げながら見上げるジグザグマ。ダメだな、何のことだかわかってなさそう。


「と、とりあえず手頃なそうだ、あそこにある丸太に向かって、なんか技を使ってくれないか?」


 そう言っては見るものの、ジグザグマは指差した方向と俺とを見比べるだけで『マ?』と鳴くだけ。うーん、キモリとのコミュニケーションはこのくらいで伝わるんだけど……つい最近まで野生だったコイツに要求するのは酷か。

 そう思って別の策を考えていると、キモリが行動に出ていることに気付くのが遅れた。


バシンッ!!!


 俺が指定した丸太に、強烈な尻尾の一撃が繰り出された。丸太は微動だにしなかったが、音の深さから威力が窺える。そのくらい見事な一撃だった。

 それを見ていたジグザグマは……。


グマッ!


 目を輝かせて、先ほどキモリが打ち込んだ場所へと駆け出した。そして、全体重を乗せた攻撃が炸裂する。


“たいあたり”!!!


 ドッという音が、体を叩きつけたジグザグマから発せられた。どうやら今のキモリの様子から目的を悟ったみたいだが、一発で攻撃を成功させたのは上々だな。


「大丈夫か? 痛くないか?」

マッ! マッ!


 心配になる点を訊いても、ジグザグマは楽しそうに走り回るばかり。何がそんなに楽しいのかわからないが、とりあえず“たいあたり”の訓練をするくらいは問題ないようだ。

 この後も何度か丸太に打ち込むジグザグマ。確かきのみが主食で、樹上にある獲物を落っことすために木にぶつかる習性がある。バトルの才能はわからないけど、“たいあたり”が思ったよりも堂に入って見えるのも納得だ。

 こうなってくると、他に使える技はないかと探りを入れたくなる。


「ジグザグマ、“なきごえ”って使えるか?」

マ?


 そうこうやって一時間くらいか。意思疎通に四苦八苦しながらも、なんとか今のジグザグマの全容を理解するに至った。
 
 端的に言って、“たいあたり”以外に使える技はない。生まれて間もないのか、レベルそのものは低いみたいだ。


「技ってどうやって覚えさせるんだろ……いや、とにかくお前は“たいあたり”の練習でいいか。バトルに出すのはまだ先でいいし……」


 ボヤく俺は、キモリの方を見る。

 緑色の小さな体、トカゲみたいなそいつは、そっぽを向いて気だるげに佇んでいた。このやる気のなさそうなのが、今のところ俺の手持ちの主戦力だ。バトルに心血を注ぐつもりがなかったから、これまで特別なトレーニングはしてこなかったが、ここで生活する以上は何かしないとな。

 とはいえ、こいつはジグザグマとは別の意味で何したらいいかわからん……。


「……というかそもそも、問題は俺だよな」


 キモリやジグザグマの訓練は大事だ。しかしそれ以上に、俺には実践経験が足りない。

 しつこいようだが、俺はこの歳になるまでバトルはおろか、身近なところにポケモンがいたことすらない。ハルカに無理やり戦わさせられなきゃ、今も博士の手伝いをしてたと思う。そのハルカ以外と、俺は戦ったことがなかった。


「今はなんとか見学で逃げてるけど、そのうちバトルはさせられるよな……勝てないにしても、せめて試合になるくらいの指示力は身につけないと、また妙な注目を浴びてしまう」


 でも……じゃあ何をすればいい? 一番良さそうなのは、ダメ元で色んなトレーナーと戦うこと。

 今のところ問題なのは、今の俺には足りないものが多すぎて、何から修正しなきゃいけないのかさっぱりだってこと。『わからないのがわからない』の状況を改善するには、何度かバトルして経験するのに限る。やっていけば、見えてくるものもあるだろう。

 でも気乗りはしない。初日からずっと体力トレーニングにはついていけてないし、バトルでも醜態を晒したらいよいよだ。実際、“ジムリの息子”にしては出来が悪すぎるのは事実なんだけど……。


「まぁ、それはいいとしても……」


 俺はチラリとキモリを見る。

 実戦はコイツにお願いすることになる。負けの代償としてダメージを受けるのもキモリだ。いくら後で回復できるって言っても痛いもんは痛い。そんな割を食うやつに向かって「経験積みたいから殴られてきてくれ」とは言えないよな……。

 というか、キモリはバトルすること……どう思ってんだろ?


「…………あの!」

「ふァビュらsマっcスッ!!!」


 突然、背後からデカめの声が一発。ありえんくらい飛び上がった俺は、奇声を発しながら後ずさった。

 そこにいたのは……10歳前後くらいの女の子だった。


「なななないきなりなんだっ!?」

「すすすすスミマセン! な、何度か声、かけたんですけど……」

「は……声……?」


 そんなの聞こえなかったけど……いや待て。まさか、考え込みすぎて気付かなかった……とか?


「気付いてもらえてよかった……わたし、幽霊にでもなっちゃったかと……」

「もっと自分の存在に自信持って? いや、シカトこいた俺が言うことじゃないけども……というか、何の用?」

「へ……? あ、いや! その!」


 ツッコミはともかく、至極当然の質問をしたつもりだったけど、話しかけてきた本人は何故か慌てまくっていた。

 黒髪を後ろに束ねた頭には、桃色のサンバイザーが被せられており、服もそれに合わせた薄桃色のノースリーブシャツに茶色のスカートとなっている。

 多分、ジム生だろう。ここにいる子供は大概そうだ。でも、だったら俺に用事なんかないと思うけど……。


「も、もしかして……お困りですか!?」


 俺の質問は無視され、代わりに別の質問が返ってきた。『質問を質問で返すな!』とブチギレるサラリーマンも世の中にはいると聞くが、そこを責めるほど気も短くはない。


「困ってるって言えば、まぁ……でもなんで?」

「さっき呼んだ時、独り言が聞こえちゃって……バトルの経験値がどうとかって……その……」

「え、声に出てた?」


 マジかオイ。じゃあ今さっきまで俺は、誰もいない場所でブツブツと独り言を言ってたってこと? え、社会的に死ぬくない?


「す、すごく悩んでたのだけはわかって……わ、わたし、何か手伝えたらって……取り柄はないけど……バトルは……好きで……」


 辿々しく申し出る少女を見ていると、なんだかこっちまで申し訳ない気持ちになってくる。もしかしてイタズラか……そう思って周りを見るも、他に人影はない。

 100%善意なワケないか。でも下心があるようにも見えないし……うーん。


「バトル、好きなの……?」

「は、はい! 将来はプロになって、みんなをドキドキさせるようなトレーナーになるんです! シリウスとかスミガネとか、師範みたいな

「え、ちょ、いきなりどうした!?」

「ユウキさんもバトル、強くなりたいんですよね!? わ、わたしでよかったら、ぜひ協力させてください!!!」


 まさかの猛プッシュ。大人しそうに見えた少女は、突然早口オタクへと変貌してしまった。ん……? そういえば


「名乗った覚えないけど……なんで名前知ってんの?」

「師範の息子さん……ですよね? 有名人ですから……」

「あー……そう……」


 有名人か……どうやらこの二日三日でえらく名が知れ渡っているらしい。まぁそりゃこんだけ醜態晒してたら有名にもなろうわな。目立ちたくないっていう俺の願いは、とうの昔に破綻してたらしい。 

 それを知らせてくれた女の子は、相変わらず目を輝かせている。本当にどういう風の吹き回しなのか……。


「あのさ……だったら知ってると思うけど、俺はバトルが苦手なんだよ。トレーナーのこともさ。ここにいるのは成り行きで、今だって馴染めてない……その、何が言いたいかって言うと……」


 説明を重ねても不思議そうに小首を傾げる小動物。結論を自分の口から言うのは気が進まないけど、この察しの悪さ相手には仕方ない……か。


「嫌われてんだよ。そんな俺を……なんで手伝おうって思えるんだ?」


 プロトレーナー。誰もが一度は夢見て、当たり前のように目指す職業。そんな憧れを貶した俺は、煙たがられて当然の存在だ。その上でジムのトレーニングにもまともについていけないようなヤツ、関わり合いになろうとは思わないだろう。風評被害の巻き添えはごめんだろうから……。


「罰ゲームとかさせられてんの? だったら災難だったな。でもつまんねーことしてる暇あったら、自分のために時間使った方がいいよ」

「ち、ちがいます! そんなつもり

「じゃあ、なんだよ……?」


 気持ち冷淡に言うと、女の子は固まってうごかなくなった。イタズラの類じゃないなら、単なる興味本位か……どっちにしても、この子のためにはならないのは明白。俺も妙なことに巻き込まれたくはないし……。


「手伝い、申し出てくれたのは……ありがとう。でも間に合ってるから


 そう言って背中を向けた俺は、自分のポケモンたちに向き直る。

 俺の顔を覗き込むようにしているジグザグマに、相変わらずそっぽを向いて関心なさそうに座るキモリ。こいつらのトレーニングには手を焼くことだろう。

 少しくらい、手伝いをしてもらうのも悪くないとは思う。だけど、俺よりも純粋にバトルを楽しんでるんなら、やっぱり関わり合いにならない方がいい。

 だけど


「『王子と願い星』……す、好き……なんですよね………?」


 そのタイトルに、ハッとさせられた。

 今、この子が口にしたのは、昨日俺が読んでた……文庫本の題名だった。


「わ、わたしも好きなんです……! あの図書室ができて、初めて読んでから……何度も借りてて……き、昨日も借りに行こうって思って……そしたら


 そしたら俺がその本を手に取っていた。覚えてる。どこにも行きたくなくて、図書室で時間を潰すためにずっと読んでたんだから。

 そうか……あの本は、この子のお気に入りだったんだ。


「ここで本読む人、あんまりいなくて……バカにされちゃうことも……あったから……ちょっとだけ、嬉しかった……です」


 ここはバトルを学ぶ場所。血の気の多い連中のことだ。実戦やる方が性に合ってるだろうし、“本の虫”はからかいの対象になるんだろう。

 要約すると、これってつまり……。


「わ、わたしも、まだ実戦が少なくて、弱くて、情けなくて……」

「その弱くて情けないヤツが、ここにもいたんだって……びっくりした?」

「そうです! あ、いや!? そ、そういうわけではなくて!!!」


 裏声出るくらい動揺してる。別に取り繕わなくてもいいっての……。


「冗談だよ。まぁ、本の虫のよしみってことで……色々教えてもらってもいいか、先輩?」

「え……じゃあ……!」


 俺の言葉から受け入れられたと感じ取った少女は、花が咲いたみたいな笑顔をこちらに向けてきた。眩しい。

 なんとも情けない話ではあるが、『同じものが好き』ってだけで断る気になれなかった。この子の必死さというか……この様子だと、話しかけるのにも勇気がいっただろうし。

 得体の知れない俺なんかのために、わざわざ労力割いてくれようってんだ。少なくとも悪意はないみたいだし、こっちも困ってるのは本当。利害が一致したなら、いいかと思った。

 しかし、いい加減不便だな……。


「その前に、名前教えてくれる?」

「あ、わたしってば、うっかり……へへへ」

少し打ち解けて、張っていた気が緩んだように、少女は照れ笑いを見せた。こう言っちゃなんだけど、この子をバカにした連中は見る目がない気がする。


「わたし、“ユリ”って言います! ユウキさん、よろしくお願いします!」


 元気よく挨拶をする彼女は、どこまでも純粋で、可愛らしく……濁った感性に潜んだ庇護欲が、うっすらくすぐられるのを感じた気がした。



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