悪い子のつくりかた


「じゃあ、わたしは仕事あるからもう行くね」

 手鏡を覗き込んで前髪を撫でつけながら、シングルベッドの上でまだ眠たそうなスパルくんにそう告げると、彼の眉尻がみるみる下がっていく。
 早く駆け寄って撫でまわして抱き締めなきゃ、と思わせるような悲しげな表情。けれどもわたしは社会人、兎にも角にも時間がないので、ぐっと堪えて足を玄関に向ける。

「待ったあ!」

 ……向けようとして、スバルくんの手によって思い切りスーツの裾を引かれ、前に向かってつんのめった。
 うわ、と何とか体勢を立て直しながら、異議を申し立てるべく犯人をじっとり睨んだ。
 ベッドから半分落ちるように身を乗り出してわたしに縋り付いている、その身体には何も身にまとっていない。日頃のダンスレッスンや趣味のスポーツで引き締まった細身の腰までが露わになっている。成人男性の生々しい裸体だ。
 その瞬間、わたしの脳裏では昨晩のあれやこれやが意図せず想起されて、頬に熱が集まった。この、スバルくんの住むワンルームマンションになだれこんで、たくさん触ってもらって、彼の見たこともない表情を見て。それから。それから……。
 朝にあるまじき気分になりかけて、とっさに視線を明後日の方向へ避難させる。そのまま相手の出方を伺うと、切なくなるほど寂しそうな声がわたしの出社への決意を鈍らせた。

「あんず、俺を置いて行っちゃうの……?」
「し、仕方ないの。今日は朝から次のプロデュース方針を決める大事な会議があって」

 浮気を責められるのって、こういう気持ちなんだろうか。今日のプロデュース先は彼の所属するTrickstarではないので、なおさら背筋がぎくりと強張る。
 もう、『仕事が恋人』ではないのだけれど。

「俺たち昨日付き合い始めたばっかりのカップルなんだよ、恋人なんだよ、新婚さんな
んだよ!キスもエッチも初めてだったし、あんずも夜はあんなに」
「あ、朝からそういうこと言っちゃだめ。あとまだ新婚さんではないよ」
「予約済みなんだからほとんど新婚さんでしょ〜? なのに初日から俺は冷たいベッドで一人取り残されて、あんずはさっさと他の男に会いに行っちゃうんだ……ぐすん」
「他の男じゃありません、仕事相手です!」

 人聞きの悪いことを口走りながらついに嘘泣きまで始め、いよいよ全力で駄々を捏ねスバルくんに負けじと強く主張した。
 いつもは仕事に理解があるというか、アイドルを輝かせるプロデューサーのわたしの活躍を応援してくれるのだけれど。
 そんな彼が、仕事に行くわたしを邪魔するのは珍しい。いじいじとシーツの上に「の」の字を書いて丸くなっている姿は微笑ましいし愛おしいけれども、ちらりと壁にかかった時計を見るとそろそろ本当に時間がない。
 スバルくんには悪いけれども、何とか引いてもらわなければ。その一心で、わたしのスーツを掴んで離さない手をぎゅうっと握り、子どもに言い聞かせるように視線を合わせた。……なるべく、身体は見ないように。

「ね、お願いだから離してほしいな。他にできることならなんでもするから」
「ほんと?」

 きゅうん、と子犬の鳴き声が聞こえてきそうなほど潤んだ瞳に絆されて(たぶんこれも嘘泣きだ。彼は以前演技の仕事で才覚を発揮して、涙を自在に零せるようになっている)、「ほんとほんと!」と二つ返事で軽く答える。そして安心させるように、まだセットしていないふわふわした髪の毛を撫でてあげる。
 スバルくんは最初、気持ちよさそうにわたしの手にすり寄ってうっとりと目を細めていた。もしかしてまた眠ってしまったかな、と手を引っ込めようとしたとき。

「言質、取った〜☆」

 にこ、と満面の笑み。そしてわたしは理解した。嵌められた、と。
 ああ、本当にわたしはスバルくんに甘い。惚れた弱みをわたしばかりが見せている気がする。
 スバルくんが、夏の太陽みたいに快活な笑顔のままわたしの耳元に顔を寄せた。

「今夜もよろしくね」

 低い声で囁かれるのに弱い、と昨日の短時間で学習させてしまったようだ。
 思わずフローリングにへたり込むと、「まだ腰も痛いだろうし早く帰ってきなよ。明日はお休みでしょ〜、楽しもうね☆」と打って変わってご機嫌な声で続けられて、恨めしい思いを抱えつつなんとか身体を起こす。通勤カバンを手にすると、這う這うの体で今度こそ玄関に向かった。

「いってきます……」
「いってらっしゃ〜い!」

 でも、まあ、わたしたちの関係は始まったばかりなのだから。彼の弱みは、これからたくさん見せてもらうことにしよう。
 まずは今夜にでも。

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