夜のあいびき
「……あんず〜?」
「スバルくん?」
場違いな、居心地の悪い静寂と寒さ。枕元のデジタル時計を探し当て、闇に慣れた目を刺す光に瞬きを繰り返すと、時刻は3時15分だった。
間違えたなあと思いながら、スバルはベッドの上でうんと伸びをして、それから。
電気を消す前までそこにいたはずのあんずの残り香を求め、枕にふんふんと鼻を押し当ててあんず成分の補充を開始。暗闇に挑めるくらいまで充填されたあんずみを携えたスバルは、次いであんず(本体)を求めてベッドを降りた。
といっても、2人でつつましく暮らしている程度の広さだ。寝室を出てすぐ、台所に小さな明かりが点いているのを発見した。
油断したところをガブッとやっちゃおっかな、などと考えつつ抜き足差し足。
あんずが振り向く。
「わっ、な〜んだ気づいてたんだ〜?」
「気配がしたから……起こしちゃった? ごめんね、水を飲んだらなんか目が覚めちゃって」
パジャマ姿のあんずは、空のコップを片手に暇を持て余しているようだった。翌日が仕事なら無理にでも寝直しただろうけれど、珍しく明日は、スバルもあんずも休日だった。
スバルは、あんずにならってシンクのふちに寄りかかる。カーテンの向こうはまだ暗闇で、たまに大きなトラックの通る音がする他に人の気配は無かった。
自分たちの住む家なのに、人々が寝静まっている時間に起きているのは、いけないことをしているみたいだった。小さな電球でぼんやりと微かに照らされるあんずの横顔が、知らない女の人みたいに見えてどきどきする。
「なんか、変な感じじゃない?こんな夜中に喋ってるのって」
「ちょっとわかるかも、一人で徹夜ならよくするけど」
「例えばさあ……深夜帯の仕事が終わったら、行きつけのバーで待ち合わせして、」
「スバルくん、行きつけのバーなんてあるの?」
「いや無いけど、そういう設定なの!ここは行きつけのバー!」
くすくすと密やかに笑うあんずにつられて、蕩けた笑みを浮かべながら、スバルも戸棚からあんずとお揃いのプラスチックのコップを取り出す。冷蔵庫からは冷えたぶどうジュースの紙パックも出して、電球の光を頼りに自分のコップに注いだ。
「おねーさんも1杯どう?おごるよ」
「では、ご馳走になります」
魅力的な淑女を相手するのに相応しい恭しさでコップを受け取り、注いだそれをまた返す。いそいそとぶどうジュースを片付けると、2人でコップを目の高さまで掲げた。
「乾杯」
こつ、とワイングラスには程遠い可愛い音を立ててプラスチックのコップが合わさる。ジュースを喉に流し込めば、さっきまで眠っていた身体が甘さと冷たさに驚いているようだった。
「なんか、すっかり目が覚めちゃったなあ」
「ん〜、じゃあいっそ朝ごはん作っちゃう?サンドイッチ作ってさ、河川敷らへんまで行って食べようよ」
「今から行くの?」
口ではそう言いつつ、あんずはどこかそわそわとした様子だった。いつもと違う一日の始まりの予感に、スバルもわくわくする心を抑えられず笑みが込み上げてくる。頭の中では、次々とすてきな計画が浮かんでいた。
ちょっと手の込んだサンドイッチを二人で作って、水筒には暖かい紅茶をたっぷり入れて。たくさん着込んで、夜の闇に紛れて歩いて行こう。
寄り添ってたくさん話して、美味しいものを食べて温かいものを飲んで、夜が朝に変わるのをきみの隣でただ眺めていたい。
すっかり月が隠れてしまったら、人々が起きてくる前に家に帰って、二人でベッドに
沈んでしまおう。どんなに怠惰でも、いけないことでも、誰にも二人の邪魔はできないのだから。
「ほら、早く早く!夜が明けないうちに!」
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