幸せ家族計画
「……んず、あんず」
「え?なに?」
振り向くと、そこには凛月くんがいた。こちらを見上げながら一生懸命ぷくぷくとした小さな手を伸ばしている。……見上げながら?小さな手?
「あんず、だっこ」
「ん……はいはい。だっこね」
なにか違和感があったような気がしたけれど、そんなことより今は可愛い子どもの可愛いおねだりを優先することにした。小さな凛月くんは抱き上げてみるとふにふにと柔らかくて、なにより軽い。ぎゅうっと抱きしめてみると、甘えるようにすりすりとわたしの胸のあたりに頭を擦りつけてきた。
大事な大事な、わたしの、わたしたちの宝物。なによりも愛おしい天使。わたしの子どもであり、愛しい彼の子どもでもある。好きにならないわけがない。
綿菓子みたいに甘くてふわふわした幸せで胸をいっぱいにしながら凛月くんを抱いていると、後ろから誰かが近づいて来る気配がした。振り向かなくてもわかる、わたしのもう一つの宝物の気配だ。
「凛月、寝ちゃったな」
「うん、真緒くん。お布団敷いてもらえるかな」
「おう。しっかしコイツ幸せそうな顔してんなー」
真緒くんはいつの間にか健やかな寝息を立てている凛月くんのほっぺたをぷにぷにとつっつきながら「やわっこいなぁ」と嬉しそうに目を細めた。凛月くんが不満げにうめく声が聞こえてきて、名残惜しげにそっと手を離す。
そして布団を持ってきて床に寝床を拵えながら、真緒くんはわたしに楽しそうに語りかけてくる。わたしも凛月くんが起きない程度の密やかな声で返事をして、たまに話をふる。結婚して子どももできてずっとこんな感じだけど、この時間が愛しくてたまらない。
「今度さ、スバルたちが夕飯食べに来るって」
「本当?じゃあお料理がんばらなくちゃ」
「凛月が同じ幼稚園のいずみくんと喧嘩したって」
「あの子もあんまり素直じゃないからね……」
「幼稚園といえば、先生たちから『凛月くんはずっと寝てますけど、お家でちゃんと夜寝かせてますか?』って心配されちゃった」
「だよなあ……なんでコイツこんなに睡眠時間長いんだろうなあ?」
話している間に布団の準備ができて、わたしは真緒くんにお礼を言ってからそっと布団に凛月くんを横たえた。起きているときだって可愛いけれど、寝ているときの凛月くんは本当に陽だまりの中の天使みたいに可愛いと思う。小さな手がなにかを探すようにふよふよ浮かんでいたので、そっと握る。すると真緒くんの手も上から重なってきて、思わず二人で顔を見合わせた。
「……同じこと考えてたね」
「……おう」
真緒くんは照れたように顔を背けたけれど、すぐにふっと優しい微笑みをわたしに向けた。多分、わたしも似たような顔をしているのだろう。
「家族ってさ、なんかさ、」
「うん」
「幸せ、だよな」
「……うん」
真緒くんの瞳を見つめる。そこには恋よりも穏やかで、ぼんやりとしていて、心地よいものがあった。真緒くんから見たわたしの瞳にあるものだって、きっとおんなじ。
目と目が引き寄せ合うように、ゆっくりと顔が近づいていく。そして、わたしはそっと瞼を閉じた。
「あんず、起きろー?」
「んー……」
誰かの呼ぶ声がして、それから意識が浮き上がった。瞼を開くとそこは見慣れた2-Aの教室で、白い蛍光灯がちかちかと眩しく感じる。
私を呼んだのは、と視線を巡らせると、
「やっと起きたか、もう7時だぞ〜?」
「……うわぁっ!!?」
予想外の近さ、そしてなによりさっきまで結婚生活の夢を見ていた、彼氏でもない友人であるところの真緒くんがそこにいた。その事実に混乱を極めて勢いよく机から立ち上がると、勢いをつけすぎて椅子が思いきり後ろに倒れてけたたましい音を立てる。わたしの反応に、真緒くんも目を丸くしていた……恥ずかしい。
「おいおい大丈夫かよ?」
「うん、えっと、ごめん。なんでここに?」
「生徒会の仕事が終わってからうちのクラスに忘れ物を取りに来たら、ここだけ電気がついてて、もしかしたらって思って覗いたらお前がいたからさ」
衣装作ってたんだろ?と言われて手元を見ると、確かに作りかけの衣装がある。友達から個人的に頼まれたもので期限は無いに等しいけれど、できれば早いうちに仕上げたくて教室に残ったのだった。それがいつの間にか寝入ってしまって……あんな夢を……。
一人でさっきのトンデモ設定の夢について思い返していたときに、
「それにしても、お前にしては珍しくめちゃめちゃ驚いてたな。なにかあったのか?」
と、真緒くんから問われたわたしはぼんやりと返事をした。
「うん、ちょっと真緒くんと結婚してて凛月くんが子どもで……」
「……は?」
真緒くんが目を見開いて固まったのを見て、失言を悟った。
「ご、ごめんね!ちょっとそんな感じの夢を見てて……」
「あ、ああ、夢な……」
「気持ち悪いこと言ったよね、ごめんね!わたし疲れてるのかな?今日はもう帰って寝るね、じゃあまた明日!」
言いたいことだけまくし立てると、作りかけの衣装を袋に詰めて鞄を引っ掴んで、慌てて教室を飛び出した。
羞恥心から冷静さを欠いていたわたしは、教室に一人残された真緒くんが真っ赤な顔で呆然としていたことにも、廊下でこっそり一部始終を聞いていた人物がいたことにも、最後まで気づくことはなかった。
「ま〜くん、顔真っ赤ー」
「……うるさい、凛月」
「俺、あんずとま〜くんの子どもならやってみたいかな。甘やかしてくれそうだし」
「……こんなでかい子どもいらねぇ……」
「あんずと結婚するところは否定しないんだ?」
凛月にもう一度うるさい、と呟くと、あんずを追いかけるべく走り出した。
その未来予想図、ゆっくり聞かせてもらおうじゃないか。
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