衣更真緒は試されている

「お前に触ってみたい」

 あんずを家に送り、ついでに夕飯までご馳走になり、そして帰る前にあんずの部屋で他愛もない雑談を楽しんでいたはずの衣更真緒が、何を血迷ったか衝動的に零してからしばらくして。

 コチ、コチ、コチ、コチ。
 年頃の少女のものらしい、明るく柔らかい色調の部屋を静寂が包んでいた。唯一動き続けている時計の秒針の音だけが、耳に痛いほどに響き渡る。
 そして部屋の中心では、年頃の少年が同じく年頃の少女の背後に周り、その後頭部を一心不乱に見つめていた。――異様だ。

 話は冒頭の失言の直後に遡る。

―――――――――――――

 衣更真緒は、己の発言が招いた事態に内心全力で頭を抱えていた。

(うわ〜、やっちまった!! )

 先程の発言を真面目に、そう、彼女らしい真面目さでもって真摯に受け止めたあんずはただ一言「いいよ」と言ってくれた。その瞬間の衣更の驚愕たるや、押して図るべし、だ。
 いや俺彼氏でもないし、ていうかそんな簡単にほいほい乗っちゃっていいのかよ、まさか既に経験済みか……エトセトラ、エトセトラ。数々の煩悩が衣更の脳を覆い尽くしたのは、しかしあんずの次に続く言葉を聞くまでのことだった。

「で、どこが触ってみたいの?」
「……は?」

 そして理解した。『そういう意味』だってわかってないなこいつ、と。
 一気に脱力した衣更だったが、しかし問題はこれからだ。こうなったら最後までこの話題をおかしな方向に逸らすことなく、無難な所に着地させなければならない。
 苦し紛れに衣更はこう言った。

「じゃあさ、肩揉みしてやるよ。いつも俺にやってくれるけど、俺からやったことはないだろ?」
 
 少し苦しい感じもしたが、悪くない提案に思われた。しかし、あんずは渋る様子を見せる。

「真緒くんだって疲れてるんだから、むしろわたしがマッサージするよ」
「いいっていいって! いつもやってもらってるんだから、たまにはお礼させてくれよ〜?」
「でも……」

 後から考えると、ここで引いておけば話題自体を有耶無耶にすることができたのだが、しかしこのときの衣更は純粋にあんずへの感謝と奉仕の気持ちでダメ押しを放ってしまった。

「俺の気が済むようにやらせてくれよ、な? 頼むって」

 あんずは『お願い』に弱い。それは彼女に関わるものなら大抵知っている事実だし、だからこそ無理をしがちな彼女のことをみんなが心配しているのだが、それはそれ。今回は遠慮なく弱点をついた。
 衣更の狙いは当たり、しぶしぶといった感じではあったがあんずの了承も得ることができた。
 そしていざ、と床に正座するあんずの後ろに回って彼女の肩に手を置いたその瞬間、衣更真緒は戦慄した。

「……んっ!」

「うわ……変な声出ちゃった。真緒くん、手冷たいね?」
 
 恥ずかしそうに笑うあんずは可愛らしかったが、思春期ど真ん中の衣更真緒は和むどころではなく。

「お、おう、そそそそそうか!!!?」
「?……どうかした?」
「いやいやいや、何でもねえよ!さー続き続き!」

 とは言ったものの。意識がおかしな方に集中している衣更はそれどころではなかった。

(何だ今の声!!肌、めちゃくちゃ触り心地良かったし……ていうか髪から良い匂いするし!襟元からうなじ見えるし!照れてんの可愛いし!俺にどうしろって言うんだよ〜!!)

「真緒くん?やっぱり疲れてるんじゃ……」
「えっいや全然大丈夫だから!今すげー元気になったから!!!」
「え?」

 もはや何を言っているのかもよくわからなくなってきた衣更に、あんずはただ困惑するのみ。その表情を見て衣更は我に返る。

(いやいや、しっかりしろ俺!!あんずは俺たちのプロデューサー、あんずは恩人、あんずは女神、肩揉みにやましい気持ちなんか!断じて!!ない!!!)

「よし!やるぞ!!」
「う、うん。お願いします」

 謎の熱意に若干引き気味なあんずの肩に理性を総動員しながら再び手を置き、今度こそ無心で肩揉みを開始する。
 始めこそ煩悩を祓うのに忙しかった衣更ではあったが、次第にあんずの凝りを解すのに熱中していった。

「やっぱお前、相当肩凝ってるな」
「そう?」
「おう、この辺とか……」

 そこで衣更の手が、あんずの肩を一際強く揉んだその時。
――不意打ちの爆弾が落とされた。

「はぁ……きもちい……」

 思わず、と言ったように少女が恍惚と吐き出した吐息混じりの声。それは衣更真緒の頭を煩悩で満たし、脳の回線を焼き切り、そしてショートさせるまでに至った。
ぴしっ。

「あれ?真緒くん……?おーい……起きてる……?」

 その後あんずの弟がたまたま部屋を訪れるまで、自分の中のいろんなものと格闘する衣更の意識が戻ってくることはなかった。
 女神の試練とは斯様に過酷なものである。

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