馬鹿みたいに君を守りたいんだよ

 地方都市とはいえ、"芸能人"に宛てがわれたホテルはなかなかに豪華だ。ユニットに金がなかった頃は4人で布団を並べてほぼ雑魚寝みたいなものだったけれど、今回のロケでは当然のようにTrickstar全員が1人1室、それも内装に凝ったランクの高い部屋を用意されていた。
 最も、それを知った時のスバルの反応は芳しくなかったが。

(あいつも言ってたけど……みんなでワイワイ騒ぎながら寝るのも、修学旅行みたいで楽しかったんだけどな〜?)

 外の空気でも吸ってこようかと、コンビニで地方限定のお菓子やジュースなどを漁った帰り。
 真緒はビニール袋を片手にぶら下げて、虫の声がうるさく蒸し暑い外から冷房の効いたホテルのロビーに入った。暦の上ではまだ春だけれど、毎日の寒暖差が大きいのは困りものだ。
 スタッフから鍵を受け取り部屋に戻る途中、曲がり角で見知った姿を見かける。……ちょっとだけ、会えたらいいなと密かに期待していたところだ。
 少し足を早めて、でも足音は殺して。
 追いついて、その小さくなだらかな肩に手を置いた。

「うわっ」
「よっ、打ち合わせ終わったんだな?」

 真緒のしてやったりの表情から驚かされたことに気づいて、厶……とあんずが眉根を寄せる。声なき抗議を、真緒は頭を撫でてやることでうやむやにしようとした。
 もうシャワーを浴びたのか、いつものスーツ姿ではなくホテルで用意されている浴衣姿だ。なんの色気もない紺のストライプのそれが、いやに目を引きつける。
 珍しい、だけではない。ただの友達として口にするのは少し早いような感情が理由だった。
 撫でられるがままのあんずは、真緒の狙い通りに顔をほんのり赤くしている。こういう草の根的なアプローチが、今の真緒にできる精一杯だった。

「自販機にね、コーヒー買いに行こうと思ったら」
「うん?」
「道、わかんなくて」

 言われてみれば、あんずが立ち止まっていたのはホテルの案内板の前だった。彼女は地図を読むのがあまり得意ではない。

「さっき通ったから連れてくよ。俺も飲み物欲しいし」

 さりげなく手を引いて、ついでにさりげなくもう一度彼女の浴衣姿を目に焼き付け……。
 そして、真緒は違和感に気づいた。

(……なんか、かたちがいつもより生々しいような)

 真緒の名誉のために言っておくと、これは常にあんずの胸ばかり見ているという訳では無い。

(ちゃんと顔とかも見てるし。太ももとかも割と……いやいやいやそうじゃなくて!!)

 ところで真緒には妹がいるが、家族なのでだらしない姿だって見せるし、見ることもある。つまるところ、夜寝る前などは妹も、胸を矯正するための下着をつけていないのだ。
 そして今のあんずの胸部は、そのときの妹のそれによく似ていた。薄い浴衣を着ているせいで、ふんわりまるい輪郭がよくわかる。
 ノーブラだ。

「あ、あんず……これ羽織っておかないか?」

 極力あんずを見ないように、頭は対策立案のためフル稼働で、とりあえずまずは隠蔽工作に走る。
 春先だからと一応羽織っていた薄手の上着を脱いで差し出すと、遠慮がちに「いいよ、そんなに寒くないから」とやんわり断られてしまった。出鼻をくじかれたが、二の矢、三の矢だ。

「いや、浴衣だしシャワー浴びた後なんだろ?湯冷めして風邪でも引いたらコトだし」
「大丈夫、ちゃんと髪も乾かしてきたよ」
「いやいや、女の子がそんな薄着で夜に出歩くのは良くないって! 心配だし俺のためだと思ってさ〜!?」
「……わ、わかった。ありがとうございます」

 あまりにも真緒が必死なので引いた様子だったが、なにはともあれ、あんずは上着を受け取ってくれた。
 羽織ったのを横目で確認して、やれやれだ……と肩を落とす。しかし問題はこの後だ。

(しくじるな、衣更真緒……。あんずに恥をかかせず、他人に悟らせず、無事にこの場を切り抜けるんだ)

 自販機まではそう遠くないが、その間に他人、とりわけ男と出くわしたらと思うと気が気じゃない。
 でも正面から下着のことを指摘すれば、あんずが恥ずかしがってしばらく口をきいてくれないかもしれない。それもまた悩ましい。
 そんなことをぐるぐる考えながら、器用にあんずとの会話もこなす。

「今日のロケ、自然が多くていいところだったよね。特にあの、昔のアニメに出てきたみたいな、大きなブランコ」
「ブラ……あ、いや、ブランコな。乗ってみたら結構高くて怖かったぞあれ」
「あと、農家のご主人もとってもいい人だったよね。仕事に誇りを持っているというか……あのブランド米も美味しかったし」
「ブラ……ブランド米だな!? いや〜ほんと美味かったよ、あれだけでもうおかずは要らないっていうか……!」

 多少の雑念はあれど、とにかく会話することはできていた。
 せっかくあんずと過ごせる貴重な機会だったというのに、緊張しながら周囲を警戒していた真緒にはそれを楽しむ余裕もない。自販機手前まで来た時には、内心ぐったりと疲れ切っていた。

(サイダーでも買って、部屋でシャワー浴びて寝よう)

 そう決めて、ピッピッとボタンを押していると、

「ど〜〜〜〜ん!」
「うわっ、スバルくん!?」
「一人で暇だったからうろうろしてたんだけど、一気に二人に会えてラッキー☆ なにしてんの?」

 目標地点に着いたことで、真緒は気を抜いていた。廊下で真緒とあんずを発見したスバルは、飼い主と再会した犬のごとく勢いをつけてあんずに飛びつき、いつも通りぎゅっとハグしている。
 正面から。

「あああああ!! スバルお前っ……」
「なに……って、あれ? あんずブラしてなくない?」

 真緒は目を覆った。

(まあこいつなら言うよな!)

 あんずをちらりと伺うと、可哀想にぱくぱく金魚みたいに口を開け閉めしていた。そして、ぐるん、とその首が真緒の方に向けられる。

「ヒッ!」
「真緒くん……さっき上着着せようとしてたのって、もしかして」
「いやあの違うんです見たは見たけどそんなに見てないというか目に入っただけというか」

 壊れたレコードみたいに言い訳をつらつら吐き出す真緒に、あんずは目を潤ませてちょっと恥ずかしそうに、顔を赤くして、

「えっち」

 それだけ呟いて、たたた、と廊下を駆けて行ってしまった。真緒の上着をぎゅっと前に寄せて。

「……サリ〜、いまちょっとエッチなこと考えてるでしょ」

 スバルがじっとり睨んでくる。

「……ハイ」

 正直、かなり良かった。

――――――

 その後、部屋に戻ってサイダーで体の熱を冷やしていたら来客があった。
 真緒の上着を返しに来たあんずは怒っていなかった。というか、平身低頭平謝りだった。

「わたしのこと気遣ってくれたのに、あんな態度……本当にごめんなさい」
「……いや、いいって。お前を見つけたのが俺で本当によかったよ」
「そんな……あの、真緒くん? なんで目を合わせてくれないの?」
「……男には、色々あるんだよ」

 3日間はあんずの目を見て話せなくなったけれど、それでも真緒は満足だ。
 心から。

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