星は燃えて
ほんの少しだけ運が悪い日だった。
スバルはいつだって、周りの人たちをとびきりの笑顔にできる、そういうまばゆいアイドルでいたいと思っている。それが明星スバルの夢であり、アイドルとしての誠意であり――子どもの頃からの習慣だ。
毎日疲れた顔で精一杯笑ってみせる母に、本物の笑顔を。この世界を本当に憎んでしまわないように、まだ好きでいるために、必死で楽しいことを見つけようとした。だから見えなかったものも、見ないようにしたこともたくさんある。傷ついたと思わなければ、傷つけられていないから。
だけど最近は忘れていた。仲間に囲まれて、すごいライバルがたくさんいて、あまりにも毎日楽しくて夢みたいだったから。
(……親の七光り、ね)
そう吐き捨てたのは、今日のオーディションでスバルが勝ち取った席に座りたかった誰か、知らないアイドルだった。もう顔も、オーディション中に何を話していたかも覚えてないし、二度と会うことも無いだろう。
いつもなら痛いなんて全然思わないその言葉が、今日はやけに胸につかえる。そういえば今日はTrickstarのメンバーと会えていないし、朝からの雨で空気が重苦しくて暗いし、駅でおじさんにぶつかられたし、お気に入りのスニーカーを水たまりに突っ込んでしまった。
そんな日はなんとなく、誰にも会いたくない。”明星スバル”でいられないから。
だというのに。
「となり、いいですか」
浮かぶように軽くてちいさな声が、カフェのカウンターで突っ伏して動かないスバルの耳に届く。撫でられるような心地良さに顔を上げると、思ったとおりのスーツ姿の女の子。前髪が湿気で少しだけうねっている。
「わ、あんず。久しぶりだね〜?」
「最近顔出せなくてごめんね。いま立て込んでて……スバルくんは、今日オーディションだったよね? どうだった?」
「もちろん合格したよ! 褒めて褒めて!」
「おめでとう。さすがだね」
あんずの手がスバルに伸びてくる。すかさず頭を差し出すと、真緒や北斗のちょっと雑なやり方や、真がたまにしてくれるような気遣いのあるそれともちょっと違う、髪を梳いて愛でるようなくすぐったい手つき。
“あなたが特別で大切だよ”と言われているような気分になってしまう。けれどあんずは誰にだってこうするのだ。それは彼女を知る人間なら誰だってわかっていること。
スバルは知らんぷりしているけれど。
「今日ね〜、俺ほんとはちょっとだけ元気なかったんだけど」
「うん」
「あんずに会ったら、なんかまだ頑張れそうな気がしてきちゃった。単純だよね〜俺って!」
スバルは顔を上げようとした。けれど、少し強い力で上からぐっと押さえられる。意図は分からなくても、それに従って伏せたままでいると、やわらかい身体が上から覆いかぶさってきた。
あたたかい、彼女の頬がスバルの身体に寄せられる。
「わっ」
「……頑張らなくてもいいんじゃないかな」
「え〜、俺まだまだやれるよ?」
「う〜ん、でももうお仕事終わりでしょ。あと、雨だし」
「雨?」
「気圧が低いと眠くなったり、落ち込んだりするから」
――だから、今日はもう無理しなくていいと思う。
雨音が遠く聞こえる。雨が道を、人を、街路樹を叩いて、檻のように降りしきる。
いいのかな、そんなふうにぜんぶ雨のせいにして、彼女のやわらかい拘束のせいにして、”明星スバル”をお休みしても。
そんなふうに迷うスバルの頭を、あんずはさらに強く抱いた。
「雨がやんだら、星が綺麗に見えるよ」
だから今はお休みだよ、という彼女に、やっぱりあんずは騙せないなあとスバルは思う。
(もう1杯ココアを頼んで、あんずと一緒に飲もうかな)
(ねえ、俺のことお星さまだと思ってくれる君のためなら、俺もう七光りでもなんでもいいや)
たとえ君が見上げる星がひとつじゃなくても。他の誰よりいちばん早く、強く光るために。
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