くわせもの

「あんずちょっと太った?」

 思わず、パスタをフォークに巻き付ける手が止まった。テレビで流れる騒がしいバラエティ番組の音だけが頭上を通り過ぎる。
 今しがた、わたしを「えいっ☆」と言葉のナイフで突き刺したスバルくんはというと、変わった様子もなく正面でひとり食事を続けていた。帰宅後に時間が無いときありがたいレトルトのミートソースを、ひき肉の最後のひとかけまでフォークの端で掬おうと一生懸命頑張っている。
 わたしは、おそるおそる自分のお腹に手を当てて、むにっとお肉をつまんでみた。――やわらかい。お正月にスバルくんの実家でお義母さんに食べさせてもらった、お雑煮のお餅みたいだ。
 そういえば、もうずっと体重計には乗っていなかった。

「どったのあんず?」
「いいですか、スバルくん」
「? は〜い!」

わたしのことは後回しにして、まずは教育的指導だ。フォークをお皿に置いて人差し指を立てる。

「女性に、"太った"は禁句です。外では絶対に言わないように」
「でも、あんずはそのくらいが健康的でいいと思うよ?」
「そういう問題ではありません。そもそも女性は脂肪を溜め込みやすい体質なのでちょっと食べただけで見た目に出やすいのです。そして容姿に関することは事実であっても人に指摘するべきではなく」
「あんずがHiMERU先輩みたいになっちゃった〜、そんなにショックだったの? ごめんね……?」

 なぜかわたしが気を遣わせた感じになってしまった。どうなってるんだろう。
 眉を下げるスバルくん。その子犬のようにしゅんとした顔にめっぽう弱いわたしはというと、早くも許してあげて撫で回したい気持ちにされてしまっていた。

「でも、ほんとに外でやっちゃダメだからね?」
「うん。そうだよね〜、あんず相手だから油断しちゃった! でも俺、やっぱりそのくらいやわらかそうな方がいいと思うな〜」
「わたしが嫌だよ……。ダイエットの計画でも立てようかなぁ? アドニスくんとかお姉ちゃんとかに相談したら協力してくれるかな」

 スバルくんは綺麗に何もなくなったお皿の上にフォークを置くと、おもむろにテーブル越しに身を乗り出してきた。
 わたしの置いたフォークを手に取り、巻きかけだったパスタを絡めて、

「はい、あ〜んっ!」
「ん、んむむむっ?」
「えへへ、おいしい?」

 さっきダイエットしたいって話してたのに、いったいどういう了見だろう? 太らせて食べるつもりかな?
 無言で睨みながら咀嚼するわたしを頬杖ついて観察しながら、スバルくんは満足げというか感慨深げというか、満ち足りた表情をしていた。

「前のあんずはさ〜、お昼ご飯ゼリーだけとか、仕事忙しいから食べないとかしょっちゅうで、俺すごい心配だったんだよね。俺たちには『ご飯だけはちゃんとしなきゃダメ』って言うのにさ〜」
「むむ……」
「だから、結婚してから毎日ちゃんと食べてるの見られるの、嬉しいんだ」

 食べてるときの幸せそうなあんずも可愛いし!などと言いながら、また私のお皿のパスタをフォークに巻き始めるスバルくん。
 たしかに、彼と暮らしはじめてからは自然とちゃんとした食生活になっていた。いま私はひとりで生きてる訳じゃなくて、わたしがスバルくんのご飯を用意することもあれば、スバルくんがわたしのご飯を作ってくれることもある。
 わたしはわたしに優しくするのがまだ下手だけど、そのぶん優しくしてくれる、優しくしてあげたい人がそばに居る。わたしが手を止めたら、代わりにご飯を口に運んでくれる人がいる。
 結婚してよかったな。

「あと、赤ちゃんできたときのためにもちょっと太った方がいいし」

 あ〜ん、と、また口元にフォークが運ばれてくる。反射的にそれに食いつきながらも、わたしはスバルくんから視線を逸らした。
 太らせて、食べる気だ……。

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