プールサイドの女神
「あっつ〜……」
炎天下。
行儀悪く咥えたままのアイスのチューブからチュウチュウと音を立て、残ったぬるい果汁を未練たらしく吸いながら歩いていた。
冷房の効いた生徒会室の方がどう考えても快適だったけれど、生徒会長・副会長のツートップが交わす静かで不穏なやり取りは心臓に悪く、どうにも休憩には都合が悪かった。処理待ちの書類から1歩でも遠くに離れたい気持ちもあったし。だけど、それにしてたって暑すぎる。
アイスも尽きたことだ、そろそろ仕事に戻ろうか、と踵をかえしたとき。
ぱしゃん、耳に心地よい涼やかな音がして、次にはぱらぱらと冷たい水が降ってきた。
急な雨に驚いたけれど、すぐに思い違いに気づいた。犯人はプールのフェンスの向こう、俺をじっと見ている。
紺のスクール水着に、細くて白い手足が夏の陽射しを照り返す。胸元のワッペンに書かれた名前を見なくたって、ここに女子は一人しかいなかった。
「あんず〜、プールの補習か〜?」
あんずは無表情に頷いた。濡れた髪から水がぽたぽた垂れていて、「風邪ひくからちゃんと拭けよ」と促すと、彼女は問題ないと言いたげに首を振る。近頃ちょっと反抗的だ。
しかし、女の子っていうのはどうしてこう、抗いがたいくらいに柔らかそうなんだろう。
ずっとむさ苦しい男子校だった夢ノ咲において、彼女の存在は一際華やかだった。普通の学校なら、素朴な顔立ちに静かな性格の彼女が目立つことはそう無いはず。
彼女がここにいるから、俺はいつだって気が気じゃなかった。今だって、誰か他のやつに彼女の水着姿を見られてないか、とか、考えてしまう。
守ってあげたいなんて、余計なお世話かもしれないけど。
とかぼんやり考えてたら、また頭に水がかかった。
「うお、いきなりかけんなよ」
「ふふ」
『えっち』
あんずの小さな、しっとり赤い唇が動く。
「えっ、ちが、見てな」
くすくす笑いながら、あんずは向こう側に去っていく。
どうやら物思いにふけっている間、俺の視線は無意識によからぬところへ向いていたようだった。
フェンスの向こうにはもう誰もいない。蝉の声が、耳の奥に残る密かな笑い声をかき消していく。恵みの雨もすぐにじわじわ蒸発して、また俺は一人になった。
「……あっつ」
やっと動いた俺は、生徒会室を目指す。
もうちょっとだけ頑張れそうだと思った。
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