キネマと暮らす

 映画館に行こう、と誘われて二つ返事で了承したわたしは、次いで知らない地名を聞いて首を傾げた。

「そこの映画館に、どうしても行きたいんだ。ちょっと遠いけどいい?」

 遠い分には困らない、というか。彼は、スバルくんはただでさえ人目を引くし、その上いまではすっかりSS優勝アイドルとして名前を上げている。だから、地元や都会から離れている方がむしろ好都合だった。
 ただ、わざわざ選ぶような土地でもなかったので疑問に思っただけだ。それでも彼がどうしても、とまで言うのなら、反対する理由はどこにもなかった。
 改めて承諾の応えを返すと、彼があんまりにもぱっと華やかに破顔するものだから、なんだかものすごくいいことをしたような気になってしまう。

「それじゃあ週末は駅前に、9時待ち合わせね!」

 言われてから気づいたけれど、つい先日恋人関係になったばかりの男女が、初めて二人きりで一緒に出かける。
 つまりこれは、初デートだった。

――――――

「わあ」
「すごいね〜」

 それぞれがそれぞれに、ぼんやりした感嘆を漏らした。つまるところ、ものすごくボロかった。映画館が。
 地元の最寄り駅から電車で1時間半。乗り継ぎ無しで車窓の建物なんかを眺めながらお喋りをして、スバルくんの案内でたどり着いた。やけにレトロな字体の看板が光るビルの中に歩を進めると、切れかけた電灯が照らす先にチケットカウンターがある。
 何を観るかは決めてこなかった。やっているものを適当に観よう、とだけ話し合っていたから、カウンターの側に居並ぶポスターを一つ一つ吟味して、話し合って、いま流行りの俳優が出演している映画に決めた。

「大人2枚、お願いします」

 スバルくんが声をかけると、チケットカウンターの中の闇がもそりと蠢いて、おばあさんが奥から姿を表すとニッと笑った。
 寡黙だけれど愛嬌のあるおばあさんからチケットを受け取り(スバルくんが流れるようにわたしの分まで支払いを済ませていた。慌てるわたしをよそに「男前だね」とおばあさんが笑った)、二人で手を繋いで映画館の薄暗がりを進む。わたしのぴかぴかのパンプスには5センチだけヒールがあって、普段と幾分か勝手が違っていたので大人しく手を引かれている。
 横のプレートにシアター3と書かれたドアをスバルくんが開けて、視線と笑顔で入るように促してくる。なんだか気恥ずかしくてごにょごにょとお礼を言うと、「足元気をつけてね」とさらに追撃。
 そりゃあ、今までだって彼はわたしを大切にしてくれていたけれど、恋人になると、こうも『大切にされている感』が強くなるのだろうか。
 などとふわふわしたことを考えつつ、チケットに記載された席までふかふかした絨毯の上を進む。休日だというのに、人は片手で数えるほどしかいなかった。
 座席に座ると、右も左も誰もいない。後ろにも前にも。思わず経営状況が心配になってしまうのは職業病だろうか。

「まだ上映まで時間あるけど、飲み物とかだいじょうぶ?」

 少しだけ声を潜めて、スバルくんが尋ねてくる。ちょうどスクリーンでは大きな音で次期公開の映画なんかの宣伝をしているので、きっと誰も気にはしないだろうけど、わたしもなんとなくこそこそと返した。

「映画観ながら飲んだり食べたりするの、得意じゃなくて。スバルくんは?」
「俺も今はいいかな。ね、あんず今日の服かわいいね」
「ほ、ほんと? 変じゃない?」
「すっごくかわいいよ、もしかして今日のために選んだの? あとメイクもキラキラ〜ってしてるし」
「アイシャドウかな。普段あんまりやらないからちょっと怖かったけど、ちゃんとして見えるみたいで良かったぁ」
「かわいいよ〜、惚れ直しちゃった」

 ちゅう、と頬に柔らかいものが押し当てられて悲鳴を咄嗟に押し殺した。思わず睨むと、彼はくすくす笑う。

「かわいすぎてつい」

 その瞳が幸福そうに細められていた。わたしが初めての恋人だと聞いたはずだけれど、何故か妙に手慣れているというか。わかりやすく甘やかされて、かわいがられている。
 前からスキンシップは多かったけれども、それは犬や子どもがじゃれついてくるのと一緒だった。こんなに、大切な人を見守るみたいにするのは、スバルくんがわたしに恋をしているからだろうか。

「スバルくんも、かっこいいよ」
「ほんと?一応変装してるけど、かっこよく見える?」

 たしかに伊達メガネや帽子で隠してはいるけれど、彼の輝きはそんなものでは隠しきれない。それに、姿だけではなくて、今日はなんだかスバルくんのすることすべてに胸がときめいていた。

「すごくすてき。だから、ちょっと顔を近づけてくれる?」
「えっ、なんで? なんか付いてる?」
「いや、その……かっこいいので、キスを、したいなと。思いました」

 少しくらい彼を翻弄したかったはずなのに、なぜか敬語だし、言葉尻は小さく萎んでしまったけれど、それでも伝わればいい。わたしも彼に恋をしているのだと。
 一瞬きょとんとされたので焦ったけれど、すぐに彼はくすくすと密かに笑った。わたしに向かって少し屈んで、目を閉じる。

「どうぞ?」

 やっぱり、まだまだ勝てないみたいだ。
 スバルくんに倣って目を閉じて、重ね合わせるだけのキスをした。上映開始のブザーとともに瞼を開くと、彼の瞳が近くで瞬いてくらりとした。

――――――

 映画は、なんてことない。笑えて、感動して、悲しいところもあったけれど、最後はハッピーエンド。そんな安心するほどありきたりで、幸せな筋書きだった。

「俺が小さいときにね、あの映画館に行ったんだ」

 お昼ごはんに入ったファミレスで、ハンバーグを飲み込んでからスバルくんが思い出したように言った。昼間の陽光が、少し曇ったガラス越しに暖かく照らしていた。もうすっかり春だ。

「父さんと母さんと、家族3人でさ。だからどうしてもまた来たかったんだけど、一人で行くのはなんか怖くて」
「だからここがいいって言ってたんだね」
「うん。初めてのデートで選ぶ場所じゃないのかもしれないけど」

 そんなことない、という気持ちを込めて首をぶんぶんと横に振る。彼がどんなに家族を大切にしているか、わたしだってよく知っていた。悲しいこともあったけれど、彼のお父さんとお母さんは確かに彼を愛して、お互いに愛し合っていた。
 そんなスバルくんの幸せな思い出の一部に触れさせてもらったのだ。これ以上の信頼はないだろう。
 そんなわたしの思いが伝わったのか、スバルくんは安心したように柔らかく微笑んだ。

「あそこね、来月閉館しちゃうんだ」
「えっ」
「だから、最後にあんずと行けてよかった。ほんとにありがとう」

 わたしが言葉を探して表情を曇らせると、彼はふるふる首を振った。

「大丈夫。大事な思い出は、ちゃんとぜんぶ覚えてるから」

 まだ小さくてぷくぷくしていたスバルくんの両手を、右と左からそれぞれ握る人たちがいたこと。
 席に座るまで手を繋いで、両方の耳からこっそり話しかけられるのが擽ったかった。そのとき観たのは、たしかスバルくんの好きなアニメ映画だった。怖い怪獣の出てくるシーンでは、左からお父さんの大きな手が、右からお母さんの細く柔らかい手が、スバルくんのそれをぎゅっと握ってくれた。
 主人公とヒロインのロマンスシーンは、スバルくんにはよくわからなかったけれど、お父さんとお母さんが頭上でこっそりと視線を合わせているのを感じて、なんとなく気づかないふりをした。
 そして、帰り道で眠ってしまったスバルくんをお父さんがおぶってくれたこと。
 ぽつぽつと話してくれたそれらの思い出は、今日映画館を見たことで鮮明になったようだった。わたしの脳裏にも、ありふれた家族の休日がありありと思い浮かぶ。

「あの映画館はなくなっちゃうけど、これからもあんずと、何度でも映画を観に行きたいな」

 それが彼の思い出をもっと美しく彩るのなら。わたしで良ければ、わたしを選んでくれるのなら、何度だって。

「怖いのは、わたしも苦手だから。手を繋いでくれると嬉しいな」

 そう言うと、スバルくんはにっこり笑ってテーブル越しに手を握ってくれた。
 今ではないのだけれど。そんな野暮な突っ込みは今は置いておきたい。なんせ、恋人同士なのだから。

 わたしはこっそり幻視する。いつかあなたと、二人の小さな宝物の頭上で秘密めいた視線を交わす日を。ひだまりのような手の柔らかさを。帰り道の夜風の匂いを。

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