528Hzの日々

 ぴちゃ、と跳ねたお湯が控えめな音を立てた。
 肩からつま先までしっかりと湯船に浸かったお陰で、身体のあちこちに溜まっていた目には見えない疲労が徐々に消えていく感覚。その快感に思わず「あぁ」と吐息を漏らすと、背後の―――私をしっかりと抱き込んでいるスバルくんが、くすくすと珍しく密やかに笑い声を立てた。

「気持ち良さそうだね、あんず?」
「ん……スバルくん、きつくない?」
「ちょっと狭いけど、あんずとくっついてるのは嬉しいから問題ないよ〜?」

 それから私をお腹のあたりで抱きしめていた腕に少し力を込めると、ふんふんと上機嫌に鼻歌を口ずさみ始める。Trickstarの持ち歌である、ポップでキュートな恋愛ソングだ。
 ただの鼻歌であっても、さすがは現役のアイドル。お風呂場のエコーがかかったその声音はどこまでも甘く、思わず聴き惚れてしまう。湯船の温もりと反響する歌声に、全身の力がゆるゆると抜けていった。ここがまさに極楽の湯。
 と、脱力してこっくりこっくり船を漕ぐ私に気がついたのか歌声が止み、代わりに大きくて温かな手がしっとり濡れた髪を撫でつけた。

「そろそろ出よっか。疲れてるみたいだし、今日は早く寝よ?」
「うん……」
「お〜い、あんず〜?」
「う〜ん……」
「しょうがないなぁ、じゃあ運ぶよ〜?」

 脇のあたりに手が入り込む。くすぐったさに身じろぎしたけど、スバルくんはものともせずにそのままひょいっと私を持ち上げつつ立ち上がった。ざばん、と湯船が嵐の海のごとく暴れる。

「ほらあんず、もうちょい頑張って!ベッドまで行こ」
「う〜……」
「起きて起きて〜!ほらほら〜!」
「あっ、やめっあは、あははは!」

 突然、こしょこしょと脇腹あたりをくすぐられて意識が醒めた。やられっぱなしは悔しいので、スバルくんにもやり返してみるとけたたましく笑いだした彼の手に力が入り、さらに強くくすぐられる。悪循環である。

「ふふ……スバルくんの昔から弱いところ、知ってるよ……あははは!」
「俺だって……あはは!……あんずの弱いところは、っふは、……お見通し!」

 もう当初の目的も忘れて、お互い裸のまま夢中でくすぐり合う。おしまいには二人ともびしょびしょに濡れた脱衣所の床に転がるようにして、もみくちゃになりながらぜぇぜぇ息を荒げていた。とても20代そこそこの男女とは思えない光景だろうと考えると、よけいに可笑しい。私たちはまるで、物心ついたばかりの何も知らないこどもみたいだ。
 しかし、ほんとはこどもじゃない私たちにはやらなきゃいけないことがある。それは即ち明日の仕事に備えた睡眠。大人も寝る時間である。

「……スバルくん、そろそろ寝よっか」
「……うん」
 二人して支え合いながらのろのろと立ち上がった。楽しいばかりではいられない、それが大人になるということなのだ。たぶん。

――――――

「あんずはさ」
「なぁに」
「これでいいと思う?」

 シングルベッドにむりやり二人で収まっているものだから、彼の声がすぐそばから聞こえてきてこそばゆい。お互い向かい合ってはいるものの、豆電球のぼやけたオレンジ色の光では彼の表情がわからなくて少し寂しい気がした。

「これって、どれ?」
「う〜ん、俺もよくはわかんないけど……普通さ、付き合ってない男と女は同じ部屋で暮らさないよね?」

 男と女。いつも天真爛漫な彼の口からこんな言葉が出てくると、多少面食らってしまう。
 とはいえ、この生活が異常なことなんて、お互いもっと前からわかっていたはずだった。世間体とか、倫理的なこととか、それらすべてを引っくるめてこれは『おかしなこと』である。それぐらい私たちにだってわかる、なんせもうこどもではないのだから。
 でも、それでも。
 普通から見て異常なことは、『間違ったこと』なんだろうか。

「スバルくん、私ね」
「ん?」
「スバルくんのこと、愛してるよ」
「……うん、俺も。愛してる」

 それから、「ああ、そっかぁ」と、なにか一人で納得しているような声が聞こえてきた。

「なに?」
「いや、恋とかじゃないけど、あんずとなら家族になれそうだなって思って」
「……恋人じゃないのに、いきなり家族になるの?」
「う〜ん、変かな?」
「うん、変だよ」
「そっかぁ」
「変だけど、すてきなことだと思うよ」

 無音。返事がなかなか帰ってこないものだから寝てしまったのかと思ったけど、急に忍び笑いが空気を振動させる。
 おや、と首を傾げると、首とベッドの僅かな隙間に腕が入り込んできて、目が覚めるほど強い力でぎゅうっと抱きしめられた。ぬいぐるみとかになった気分だ。

「……痛いよ?」
「ごめんごめん、嬉しくて。……眠くなってきちゃったし、そろそろ寝よっか」
「ん、おやすみなさい、スバルくん」
「おやすみ、あんず」

 それから、彼はさっきお風呂場で聴いたものより幾分かゆったりとした鼻歌を歌い始めた。これは彼らの歌ではない、ずっと昔のバラードだ。単調でなつかしいメロディを聴きながら、私は眠りの温い闇に落ちていく。
 普通じゃなくて、それでも尊い愛に包まれながら。

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