昼、瀬名泉は猫に出くわす
瀬名泉は騒がしい人間が嫌いだ。
瀬名の好むような人間は、弟と呼び可愛がっている『ゆうくん』を除けばかなり少ない。とはいえ、嫌いなタイプを挙げるのならば真っ先に出てくるのが、騒がしい人間。特に、守沢千秋はまさに今、そのトップを爆走中だった。
(あ〜……守沢のダル絡みのせいで、教室じゃあおちおち寝られやしないっての。ただでさえ珍しく寝不足なのに、あいつに付き合って昼休みを潰すとかありえないんだけどぉ……?)
昼食を済ました後、次の授業まで寝て過ごそうと机に伏せった瀬名をしつこくバスケに誘ってきた守沢は、教室に置いてきた。今頃別の誰かが標的になっているのかもしれない。
教室では寝られそうにないと悟った瀬名は、この時間人通りの少ない中庭に向かっていた。ユニットメンバーの万年寝太郎を探していたときに見つけたそこは、ベンチも木陰もあり、今日のように気候の穏やかな日にはうってつけの昼寝場所となる。
だが目的の場所に着いたとき、瀬名の眉間に皺が寄った。同じようなことを考えて来たであろう、健やかに眠る先客の姿を見つけたためである。
それは、猫のようにくるりと背を丸めたまま固く目を瞑り、おだやかな寝息をたてる少女の姿だった。
(気持ち良さそうに寝ちゃってさぁ、俺は完全に予定が狂ったってのに。どうしてくれるの?)
あ〜んず、と音には出さず呼びかけた。心中とは裏腹に緩む自身の口元には気が付かないふりをして、そのまましばし彼女をとっくりと見つめる。
いつも無表情なのにどこか愛嬌のある顔は、瀬名も密かに気に入っている。呼吸のため少しだけ開かれた口元はまあ色っぽいかもしれない。素材はなかなか悪くない、と思う。
(俺だったからいいものの。こんなとこで寝て、たちの悪い奴らに良いようにされても知らないよぉ? まったく……)
と、ちゃっかり自分のことは棚に上げて心中でぼやいたとき。近くから話し声が聞こえた。
「おいあれ。2年の」
「ああ、プロデューサーだろ。な〜んだ、聞いてたよりは可愛いじゃん」
「え〜、俺はナシかな。色気が足りねえ」
目をやると、二人の生徒があんずを見ている。瀬名の視線に気がついた二人は気まずそうに固まったのち、そそくさと校舎の方へ去っていって、中庭には再び瀬名とあんずだけが取り残された。
そのとき瀬名の胸に去来した激情に、彼が名前をつけることができたのは幾分か後のことだ。ただそのときは単純に、いつものようにムカついた。だから、いつものように行動に移った。つまり、あんずの鼻を思い切り摘んだのだ。
「ちょっと、起きて!」
「!……んんっ! へなへんはい!?」
眠りが浅かったのかすぐに驚きで飛び上がった彼女は、穏やかな眠りを乱した不届き者をその目に写し、鼻が通らないために間の抜けた声で抗議をこめてその名を呼んだ。
「アホ面を公衆の面前に晒してんじゃないよっ、こっち来て!」
「ええ……ちょっと、痛いです引っ張らないでください」
「ああもう! ほらついてきて!」
わけがわからない、と言いたげな顔をしたあんずの腕を瀬名が掴んだが、抗議を受けて腕を離し、今度は手を取った。そのままぐいぐいと引っ張って、中庭の木の陰になっている芝生まで連れて行く。
そして、人目がないことだけ素早く確認すると地面に腰を下ろし、木にもたれ掛かった。それからぱしぱしと自分の膝を叩きながら、彼女に短く告げる。
「寝な」
「え、ええと……?」
「ここ、くまくんの寝床の一つなんだよねぇ。男の膝なんて硬いし寝づらいだろうけど、何も無いよりマシでしょ」
案の定、あんずは困惑している。しかしやはりまだ眠いようで、目を細めてふぁあ、とあくびをこぼす。それが恥ずかしかったのか、ぱっとちいさな手で顔を覆うと、照れたように上目遣いで瀬名の様子をうかがってきた。
瀬名泉はきゅんとした。
「ほらぁ、眠いんでしょ?」
「う……はい。でも、瀬名先輩にご迷惑が」
「いいから。特別にお兄ちゃんが甘えさせてあげるって言ってんの」
いつも厳しい瀬名の優しそうな様子に、警戒心がぐらついている様子のあんず。もうひと押し、とその頭を無理矢理掴んで自分の膝へ体ごと倒してやると、すぐにあんずの体から力が抜けて、ふにゃっともたれかかってくる。
「ほら、このまま寝なよ」
「んん……では、失礼します」
ついに折れたあんずがもぞもぞと体を丸める。しばらくして彼女は、すぅ、すぅ、と健やかな眠りの世界に落ちていった。
その、猫のようにしどけない様子のあんずを瀬名はしばし見つめる。
『俺はナシかな〜。色気が足りねえ』
先程の男子生徒の、不躾な発言を思い出す。
確かに、この少女は同世代の女子より飾り気がないし、愛想もない。それは男だらけの学院で生きていくためであり、またプロデューサーという肩書を背負うためでもあるのかもしれなかった。
それは、見ようによっては可哀想なことかもしれない。
(な〜んて、お門違いもいいとこだよねぇ)
それでも瀬名は知っている。厳しい目で企画書に向き合う姿を、温かい目でレッスンを眺める姿を、そして、きらきらと子供のような目でステージを見つめる姿を。それを、尊いものだと。
彼女は可哀想でも、不幸でもないのだと。
瀬名はふぁ、と一つあくびをこぼして、「俺も寝なきゃ」と呟く。携帯のアラームをセットしてから、彼はもう一度だけあんずの寝顔を見た。そして目を閉じる。
優しい夢が見られそうな、そんな誰も知らない幸福な昼下がりのことである。
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